村上原基の「出来た・出来ます体験」を紹介します。どうしても出来なかったことが何かのきっかけや工夫で出来た体験を広めたい

例えば英会話等出来なかったことが結果的に出来たという事例を紹介し、出来ないで悩み続け、具体的な話を聞きたい方に講師紹介

2019年明けましておめでとうございます。

2019-01-01 08:49:46 | 案内
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
講演例
  ・自分の人生論 ・山暮らし ・会話上達  ・老後の暮らし ・自主防災 ・資産運用 ・

   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設

出来た・出来ます

テーマ:2019年明けましておめでとうございます。

平成10年安曇川山中に暮らし始めて20年、三年前に町で中古一戸建てを買い
田舎で自由に自然に戯れ、田舎の人々に恵まれ、時間や空間を有効活用し、
活き活きした日々を重ね、子供のごとく一人暮らしの呑気な田舎爺
都会の嘘誤魔化しのライフスタイルは、私にとっては、すでに遠い昔の事だ

安曇川は大型店出店や宅地化による建設ラッシュ少しづつ賑わいを見せている
観光公害や大災害リスクに悩む大阪や京都の人が流入しつつあるのだろか?
京都の不動産は値上がりして手が出ないレベルになっているが安曇川は広く安い
住む場所はずーっと同じではない、地核変動のように確実に変動し続けている
都会はむしろ過去の繁栄を維持できなくなっているように私には見える

大都会も京都と言えども、この数十年で大きく変質している。そういう変化の中で、
京都や都会こそが住むべき最適な所という既成観念を変える時期が来ている
私のログハウスがすごく安いのに売れない現実に、都会偏愛のリスクを感じている
この国は、少子高齢化・意欲体力減退・便利平和ぼけ・バーチャル人生・・・・
多分、間もなく『かつて世界一繁栄した国』と言われる時が来るのだろうか?
「大都会は永遠なり」ではなく、むしろ様々な障害による崩壊のリスクは増大している
機転の利く利口な者は、今のうちに早く都会脱出すべきと私は思うがどうだろう?


田舎は、誠に静寂で清浄で自由に出来る⇒75歳の私が田舎でやっていること
 庭の改造 山のログハウスリオフォーム 大雪体験 暴風体験 台風被害処理
 夏の猛暑体験 山菜とり かりんの砂糖漬け サイクリング アルミ缶風車
 大雪対策工事 山間地友人の家のリフォーム手伝い 前の空地の整備 野菜作り
 庭の巨峰ブドー初収穫 台風被害回復手伝い 初夏と秋熱中症体験 干し柿
 次男結婚 長男に孫 終活の一環断捨離開始 卓球台作成 ログハウスの雪囲い
 論語勉強 松下時代の友人と再会 台所レイアウト改善 阿弥陀山登山 アユ釣り
 ローム友人飲み会 山のログハウス値下げするも売れず 物の紛失なくなる

田舎で簡単に出来るこのような事は、都会では到底出来ないことばかりなのだ

都会に住むと情報は多く、議論好きなので”頭デッカチ”で”偏屈”になりやすい
頭だけであーだのこーだのという議論合戦は危険だが、都会ではその傾向が大きい
都会には個人のしっかりした考えがありそうで、実はなく、扇動され流され易い
人生を深く捉えようとせずに表面的にさっと撫で廻すような考えになりがちだ

日中は野良に出てせっせと作業をし、夜は静かに古人に学び、自己反省する
今年は
卓球クラブを少しづつ軌道に乗せたい。また地域の相談や手伝い活動も拡げたい
昨年に引き続き、自分の信念・信条を自信をもって表明できる自分に成長したい
100歳時代を迎え、老後を暮らすには良き町、いつでもお立ち寄り下さい

新年に当たって:悪い習慣や行いを全て正すことは極めて大事

私が55歳で滋賀県安曇川の山に20年暮らし、劇的に変わった
そして今の状況をつぶさに観察してみると
1)住む環境を狭苦しい都会から田舎など自然の多いゆとりある場所に変えた
2)その結果かもしれないが、人間として成長し大きく変わった
3)歳をとり論語のようにやっとそれらしくなった
4)自分の過去の悪い癖、習慣、行いが正された

以上のうち4)について、具体的に私が守っている行いをあげてみよう
 1身体を動かす、ストレッチ、散歩、作業、負荷運動を行う
 2座る時間を減らす
 3あわてない、ゆっくり確実に行動する
 4食事を定時にきちんととる
 5過食をしない・過飲をしない・腹八分目
 6短期の観光旅行はしない
 7喫煙など身体に悪いことは一切しない
 8一日4回歯磨きをきちんとする
 9出来る範囲で大工・土木・植木剪定・野菜作りや諸作業は自分でやる
 10出来る範囲で店に行かずに自分でやる(散髪・新聞)
 11無駄なものは買わない(新聞・ネット・夏の風呂)
 12贅沢をしない、無駄なことをしない
 13人を責めない、すすんで褒める
 14誰とも気さくに会話する
 15腹たてない・喧嘩はしない
 16何か問題が起きた場合、冷静に原因を明らかにする
 17原則として都会に暮らさない、山や田舎に暮らす
 18趣味を増やす、何でもやって見る(一回でも1年だけでも構わない)
 19歳だから、と安易に歳のせいにしない
 20便利さ・華やかさを求め過ぎない
 21来る者は拒まない、去る者は絶対に追わない、別れを悲しまない
 22過剰に心配しない・嘆かない・怖がらない
 23他人の言うこと、ウワサを全く気にかけない
 24考える人であることも大事だが、それ以上にやる人であること
 25災害予防や緩和及び対応処置を独自にやること
 26一つに絞らず、分散させる
 27価格が下がったら買う、価格が上がったら買わない
 28状況を時々変化させる
 29定期的に掃除をする(冷蔵庫・台所・洗面所・風呂・寝床・トイレ)
 30無理しない、無理を続けない
 31俺がやってやる、自分のおかげ、とは一切思わない、見返りを求めない
 32整理整頓清掃清潔
 33問題を見つけて、こまめに改善する
 34健康に十分留意する・生活習慣を良好に保つ
 35急がず慌てず、慎重かつ確実に行動する
 36物は出来るが限り再使用(リユース・リサイクル)する
 37会話する場合は笑顔と笑い、自分だけ一方的に話さない
 38やらないでいるより、失敗してもよいからどんどんやる
 39趣味はやって見てどんどん増やす、レベルは問わない
 40絶対に法律や組織の規則に違反しない
 41夜は11時以前に寝ない、寝だめはしない(昼寝・夕寝は構わない)
 42生まれ故郷から数か所引っ越し、会社も数社転職する
 43昼は身体動かす・夜は頭を動かす
 44メモをとる
 45競技スポーツや争い事にのめり込まない
 46他人の言った、どうでもよい事をさらっと受け流す
 47他人のアドバイスにつっかるんでなく、むしろ一応取り入れる
 48定期的に点検し問題はすぐに是正する
 49「知らない」「分からない」「出来ない」を言わない
 50「つらい」「しんどい」を言わない、もくもくとやる
※他にもあるはずだが、私の場合はこんなところだ、お粗末様でした
 
この全てが本来ごく当たり前にできるのは普通のことなのですが
私が周囲の人を観察すると、以上の30項目のほとんどが出来ない人が多い
そういう人に限って、私に深刻な悩みを愚痴のように打ち明けてくるのですが、
それらの典型的な不幸・苦しみ・悩みの項目を幾つかを紹介すると
 ①慢性腰痛・慢性便秘・慢性頭痛・慢性肩こり
 ②難病・障害
 ③頻尿や不眠や浅い睡眠による睡眠不足
 ④大病・生活習慣病・病弱・不調
 ⑤疲労・不元気・やる気喪失
 ⑥喧嘩・不仲・虐め・パワハラ
 ⑦苦手意識
 ⑧孤立・孤独
 ⑨貧困・貧富の差
 ⑩上司や部下との関係悪化
 ⑪家族関係・夫婦関係・友人関係悪化
 ⑫愚痴・溜息
 ⑬知恵・改善・独創性欠落
 ⑭大災害・大事故
 ⑮自信不足・気後れ・不安
 ⑯会話・付き合い下手
 ⑰介護・子供の面倒見による疲れ
 ⑱社会性・指導性欠如
 ⑲憂鬱・精神病
 ⑳生き甲斐喪失

例えば便秘するという悩みに対して日頃の自分の行いを反省し、正すようなものである
正しい行いとは、運動・定時に3食・水分補給・野菜・排便習慣・・・など
虫歯や歯周病には、歯ブラシ・一日4回・歯間ブラシ・唾液・歯垢・噛む・・・
不幸・苦しみ・悩みの元は、日々の自分自身の正しい行いにある
安曇川長尾のマイログハウス付近の初雪(目下格安売出中物件)


我が家の駐車場から初雪を観る


昨年多発した水道凍結に備え風呂の湯沸かし器の風や寒さ除け

出来た・出来ます骨子Nо.75安曇川田中で近所の家の庭の補修全てやります

2017-12-02 17:39:17 | 不可能を可能に
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いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

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テーマ
安曇川田中で近所の家の庭の補修全てやります

安曇川田中に降りてきて以来、山の時と違ってやる仕事が少ない
そこで友人の家の庭などの補修があれば手伝っている
何しろ私にとっては趣味のようなもので、大工作業は最も楽しい
山で20年やてきた大工仕事や庭仕事の経験がそのまま活きる
都会で山暮し以前の私には到底出来なかったことだが
今やなんでも手軽・気軽に引き受けてしまう
大きな取柄はコンパクトで安いこと、長年の住人の体験が活かされること

依頼者や近所の人は私が汗水垂らしてやっている姿を見て
「大変でしょ、まあ気の毒に、頑張らないで」みたいなことを言われる
全くの見解不一致、私は「やらして戴いている」「喜んでいる」のに
周囲の方々の見方は「やらされている」なのだ

私は大工や植木や庭の手入れをするとなると、朝起きるのが嬉しい
ウキウキしている。そして9時になるといそいそと作業を開始する
一日中やっていても何の苦痛も感じない
腰痛もちだが、腰痛もさほど苦痛にならないから不思議だ
好きこそなんとやら、好き=楽なのだ
だから仕事選びも好きなものを選んで仕事や会社を選ぶのが大事

今回は近所の人の兄さんが近くの空き家を別荘として買った家を
私が庭やエクステリアの補修を買って出たということだ
正直私のような爺さんに大工が出来るわけがないと思っているらしい
ところがいざやってみるとかなりきちんと出来るし、出来栄えも良いので
びっくりされるらしい

実はやった本人の私も案外上手く出来て満足しているのだ
まあ三方良しみたいな結果になる
依頼者も付近の人も私も皆win winなのだ、皆が喜んでいる

①表の庭の凄まじい雑草を一日で引き抜いた

②翌日はその庭のススキの大きな根を引っこ抜く

③そして置石を並べ替え、除草剤によるドクダミの退治

④全体を調整し、美しく仕上げる

⑤次に横のボロボロなラテイスをはずし新たな柱を土中に埋めて立て

⑥翌日新しいラテイスをはめこみ完成

⑦なぜか置いてあった大きな鉄枠を二分割し、風呂釜の風よけの壁として立てる

⑧玄関前の蔓延った根を掘り起こし、大きな石を除去したり埋めたり

⑨風よけの壁鉄枠に木材を取り付けトタン波板で覆う

⑩屋根の雨とゆが変形し雨がたまっていたのを直す
⑪裏庭を整地しとりあえず駐車可能にする

⑫前庭の入り口に移動可能なフェンスを手作りし設置

まあ大工さんに依頼すれば手間賃など高額の負担になるが
全部で材料費4万円ほどで完成することが出来た
私も楽しかったし、大いに勉強になった

実は素人大工に依頼すれば手間賃は0円だが、プロに頼むと高い
友達の素人大工な自分でやることはかなり大幅に費用軽減になるのだ
例えば駐車場などは私が木と波板で手作りすると3万円程度だが
恰好よいのを作ってもらうと30万円はしますからね十分の一ですむ
特に人手不足に伴い大工の手間賃は今後どんどん上がって行く

他人の仕事を無料でやるのも、私の成長の結果かもしれません
というのは、山で広大な空き地を一人で整備した経験以降
全く苦にはならず、むしろ楽しむようになったからです

任かされて素人大工をするのは実に愉快だ
お兄さんと奥様も喜んで戴き、当初のぼろぼろ雑然とした印象が
すっかりきれいで整然と整備できたと思っている

なお家の中はプロの大工さんや業者に依頼しこれも完了し
早速住めるような状況に変身した。部屋も当初は汚れ、黴臭かったが
すっかり普通の室内になり快適に暮らせるようになった

安曇川などの空き家は安く広いので、きちんと手入れすればお得です
私のような素人大工を利用するのも上手い手ですね
私は、おだてりゃ何でもやりますよ、気軽に頼んでみて下さい

出来た・出来ます骨子Nо.74「若い頃絶望し、断念したことの復活」

2017-10-18 08:18:39 | 不可能を可能に
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テーマ
若い頃絶望し、断念したことの復活

若い頃、何かと劣等感にさいなまれ、
どんどん成長するどころか、小さくなって行く自分があった
学校・近所で周囲の人と比較し、自分が駄目人間なことを悔やむ
長所を探すが何もない、かと言って左程の努力もせず悩むだけ
若い時は未熟だから、そんなに急に能力アップ出来ることもない

その他、顔や容姿や成績や付合いや人に好かれるかかも悩みの種
あーだこーだと、多岐にわたって悩みが尽きなかった
そうこうしているうちに、自信がないからと、遠ざかってしまいがちになる
勉強・稽古ごと・友達作り・体力・芸術能力・会話力・リーダシップなど・・・
だんだんに苦手ばかり増え、成績は無論、自分の位置は低下するだけ

ついには登校拒否一歩手前まで行ってしまう

会社に入ってからも、ますますそういうことが増えてきて
人によってはノイローゼ、うつ病になる若者も増加している
有名人にも、麻薬に走ったり、非行に走る若者も多い
若い時に絶望し断念することの影響は大きい
私自身もそういうことに悩まされ苦しみ、どうにか乗りきってきた

そこで、私の体験に基づき、そのようなことを少し考えてみた
55歳で会社を辞め、妻を病気でなくし、山に暮らすようになったが
以来私は大きく変わって来て、74歳までいろいろやってきた
昔断念したことが、この歳になって出来るようになったことも多い

その中で今年のことだが
私の体験した一つの例を紹介して話を始めよう
今年4月に絵画教室に通い出した、なんと63年ぶりだ
小学校時代、絵が下手で、絶望し、ついに大の絵嫌いになった
小学生でも、周囲に絵達者がいた、それらと比べるようになり
自分の絵に嫌悪感や羞恥心が日増しに高まって行った
絵の成績はどんどん落ちて行く、絵嫌いになっていく
誰もそういう経験があるだろうが、それ以来絵を描かなくなった

劣等感が激しく、74歳まで絵を描いたことはない
約1年半、近所の人から「絵を描きませんか?」とお勧めを戴いた
でも、「絵だけは勘弁下さい」と、ずーと断り続けて来たのだ
ところが
不思議なもので1年半後、絵画をする決断をしてしまった
その変化については、今は、自分を褒めたい気がしている
1年半かかったが、絵嫌から絵を描こうに意識が変わったのだ

すでに数回絵画教室に通っているが、1回目はすごくドギマギして
当然のこと、碌な絵が描けなかった、お粗末なサンマが描けた
でも、何となく気分が良く、楽しかったのを覚えている
そして2回目以降何となく絵が描けるような気分になって行った
徐々にというか急速にというか、絵描きが楽しくなって行った
まさしく「まあ、何と言うことでしょう」であった

絶望・断念は人間を委縮させてしまうだけなのだ

絵画教室に通い始めて描いた絵は
・さんま(最低)
・靴、ポール、帽子の絵(おー案外描けたぞ)
・自画像(自分で挑戦してみたが難しかった)
・新旭駅前のコーヒー店の風景画(外で絵を描いた、戸惑った)
予想外にデッサンは無論、色をつけることも出来るようになった

絵描きについて、かすかな自信が63年ぶりに復活した、スゲー遅咲き
教室の高齢の男先生のずばりの指導がすごくためになるし、楽しい
絵描きの世界観が全く変わった、光が差し始めた
何故こういう適切な指導を小~高校でしてくれなかったのか?
絵嫌いになったのだが、実は根本的に下手糞ではなっかったのだ

英会話なんかも、典型的な教育失敗例で、未だに改善されていない
「いい加減な教育しやがって」と文部省を訴えても良いくらいのものだ
日本の教育は「一応教育してやる」的レベルで
「教育の効果が確実に出る」ようにはやられていない
私の経験でも
効果が出る教育を日本の義務教育や大学教育で受けたことはない
5段階評価で2~4が多かった、5は僅かだった
「お前さんは能力なし」とお墨付きをもらい、烙印を押された
テストによる、テストの、テストのための教育、効果はどうでもよい
先生の責任はテストで良い成績をとれば一切問われないのだ

英会話が出来なくても、テストの点数が高ければよかった
先生ではない、単なる説明者、尊敬する先生は一人もいなかった
企業に入ると俄然状況は変わり、厳しい教育訓練の日々となる
外国に行くと俄然英会話ができるようになる
学校教育は落ちこぼれ作りにだけ役立ってきた

学校の教育が役立ったことはほとんどなかった
一体何だったんだろう?何ともお粗末な教育を受けて来たのだ
一流国立大学の教授なんてお粗末極まりなかった、トホホッ・・・
文字が読める、足し算引き算掛け算が出来る最低限度の教育

ところで若い頃絶望し断念したことがどうだったのだろうか?
1)当時は断念して正解だった、まだ機が熟してなかっただけ
2)何らかの出会いや経験によって、自分の幅や深さが高まっていた
3)年齢を重ねて全体的な能力・脳力が向上した、絵なんかも描ける
 (しかし、若い時のあまりに根強いコンプレックスが妨げていただけ)

それならば、断念した頃以降どうすればよかったのだろうか?
1)絶望、断念しても絵描きを続けるべきだった
2)その後も絵を描くために先生を捜すなど努力を続けるべきだった
3)絶望し断念して、10~20年程度、時の経つのを待てば良かった
 何らかの原因で出来ないこともやがて出来る時が来るものだ

若い時に絶望し断念してしまうと、一生やらないことになりがち
危険だ、怖いことだ、残念だが多くの人がこのタイプになる

私の最近の思いは、
若い頃出来たこと、やって来たことは、単なる勢いだったが
年取ってからゆったり手掛けたことは、深みや味わいがある
勉強は若い時にやるもの、始めるものと思うのは大きな勘違い
始める年齢や環境によってそれぞれに違った味わいになる
スポーツも(恋も)必しも若い者だけのものではないのだ

むしろ若い時からやるより
若い時にはあえてやらないで、年取ってからやるのも妙策だ
一度絶望し断念してある期間をおいて、
何かの出会いで再開するのが良い結果を生むのかもしれない

一見正統派みたいなやり方が良いとは断定できないのだ
天才キッズとか早咲きが必しも良いとは限らない
遅咲きには遅咲きの妙味があるし、本人も至極楽しかもしれない

絵画もそうだが、美味い下手は実はどうでもよいのだ
そこを勘違いすると人生の楽しみ方を知らずにあの世行きになる
スポーツも早い、強いは実はどうでもよいのだ
オリンピックは勝つためでなく参加することに意義がある
上手い絵を描くのではなく、描きたいように絵を描けばよい
芸術もスポーツもこうあるべきとか、型に押し込めるのは邪道だ

私の場合も絶望・断念したから、普通は永遠に落ちこぼれるところを
偶然に引っ越先の安曇川の田中の町の人に救われたのだ
そういう救いの神みたいな人が、たまたま、いたのだ、巡り合わせだ
その神様のお誘いを素直に受け入れるかどうかが鍵だ

そうすればギヤが入り再び絵描き車が走り出すのである
私は絵描きギヤーが入ったことを今思えば、すごく感謝している
というのは絵嫌いが多い反面、それだけ
絵描きが素晴らしいことを私が実感出来たからだ
今迄63年止まっていた脳の働きが、絵を始めて再始動したことだ
脳は言っているだろう「あー63年ぶりに起こされ、俺にも朝が来た」

家の壁は一つづつ私の絵に変わっていく、有名画家の複製絵より
断然私の絵のほうが嬉しい、楽しい、本物の自家製でコストは安い
誰が描いたかも知れない古臭い絵でなく、自分で好きな絵が飾れる
絵から私の声も聞こえてくるのだ、1億円の絵より私の絵が好きだ
金持ちの家に有名画家の高そうな難しい絵が自慢気に飾ってあるが
私には、他人のものがあれこれ並ぶ家が、必しも豊とは思えない

現代の都会人は自分で物を作らない、昔は何でも自分で作った
作れないようになったのだ、狭い家、テレビにネットで暇もない
ちなみに私は自分でやってきたし、今もやっている
絵・大工・水道・野菜作り・椎茸・散髪・物書き・剪定・庭・木材切出し等

自然に身体も動かし・頭も使う、現代人は頭も身体もあまり使わない
全部自分でやれるし、やっているが、自分の思うままになるのが良い
自分の絵も飾らなくなった、昔は祖先や子供や叔父さんの絵があった

若い時は駄目、歳とって飛躍的に能力発揮する人も僅か存在する
多分、何らかの出会いによってギヤーが入った人なのだろう
そんな人も案外身の回りにいるものなのだが・・・
自分に、まだギヤーの入ってないものがないか宝探しが必要だ

私の友人で絵を描く人はいないが、本当に珍しいのだが
一人だけ75歳から始めた80歳の男の人がいる
その人は驚くことに、今後プロになろうと意慾を燃やしている
やっと私も絵という高尚な趣味を持つ友人を持てたわけだ
全く新たなジャンルの友人ができるのも嬉しい
そういえば、年老いてから
古来の高僧や偉人は、上手い書画を描いた人が多い

物忘れの激しい私の脳の働きが最近やや良くなって行くように思う
絵が上手い下手は関係ない、とにかく絵を描くことが良いのだ
運動も同様で、とにかく、結果を問わず身体を動かすべきだ

ところで、最近、
「村上さんは絵心がある」などと私に言う人が出現するようになった
昨年まで、絵など全く縁のなかった私に向かって「何が絵心だ」
そういう安易な言い方は正しくない、絵心は皆の脳に在庫されている
ただ長年眠っているだけで、今後も眠り続ける恐れがあるだけだ

例えば、腰痛なども、直らないと諦めてしまう人がいるが、
諦めたら負け、二度と直らず、むしろ着実に悪化して行く
老人に多いのが「もう歳です」と歳寄り臭くなってしまうことだ
”老人・老化とは心の諦めである”
諦めが老化を進め、本物の老人を生んで行く
歯もそうだが、歯を磨かない・間食する・口が汚れたまま寝てしまう
「歳だから歯が抜けて当前」と思い込むと、歯はアッという間になくなる

絶望が断念につながり、その後どうなるかというと
1)永遠に断念しっぱなし
2)時々断念を中断し、いろいろやってみるが効果なし長続きもしない
3)その後何らかのきっかけで、やってみて、ついに克復する

野球に例えると
逆転満塁ホームランだ、諦めないと老後そんな素晴らしいこともある
まあそういう状況は、人生の変曲点とも言うべきもの
マイナス状況が俄かにプラス局面に変曲するのだ
人生の変曲点を掴む人と不幸にも掴めない人、まるで違う人生だ

ところで
絵の場合は、一般的に女性は絵画教室に通うが
私の場合も当初そうでしたが、男は絵画教室には行きたがらない
現実に絵画教室の生徒は女が95%、男は一人もいればよいほう
なぜかというと、男は面子を重んじる「日本の男は恥ずかしがり屋」
私のように「面子を軽んじる男しか絵画教室に行こうとは思わない
「男よ、もっと面子のレベルを下げろ」「面子など邪魔なだけだ」
そう言えば、男は年取ってからの付き合いが楽しくない人が多い
世間と交わらない、人と会話しない、難しいことを言う、頭が固い

女の方が絶望・断念の復活が上手いということだ

絶望し断念するのも、次のような原因が考えられる
・面子を重んじる、上手くできないと恥だと思っている
・完全に駄目とあまりに強く思い込んでいる
・やろうとする気力がなくなってくる
・やる価値や意義を感じなくなっている
・面倒くさい
・もう歳だし、今更やっても大したことない、しょうもないと考える
・やったところで長続きしそうにないと勝手に思う
・この歳で一から始めることが億劫
・適当な先生がいない、教室はあるが敷居が高い
・その他いろいろな原因を作ってはやろうとしない

さてもう一つの例として最近こんなことがあったので紹介する
それは椎茸作りに関してだ、山で椎茸作りをする人が多い

私が田中である人と付き合いし始め、「山に椎茸の原木がないか?」と
相談を受けたので、山にあるので、さっそく木を切ってあげた
そうしたら、その人がその木を町のコンクリートの土間に1年ほど放置
一年後私が確認したらその原木が乾燥し切って木が割れていた

私はその人に言った「こんなに乾燥したら駄目ではないの?」と
そうしたら、その人が「お前何を言うんだ、これで良いのだ」と
私も実は、山で10年くらい見様見真似で椎茸を作っていたのだ
山は湿気が多く、原木も生乾きが良いと勝手に思い込んでいたのだ
ところがその人は「カチカチに乾燥するほど良い」と言うのだ

そしていろいろ聴くうちに
1)原木は1年乾燥し完全に乾かすこと
2)更に穴をあけ更に3か月ほど乾かす
3)種菌を植える間隔は木の太さにもよるが密でよい
4)種菌を植えるのに金づちを使って強くうちつけてはならない
 木の棒で優しく打つこと
5)2~3週間木が白くなる迄、横に並べ水をやりビニールで巻いて保存
 (白くなるのは菌が回った証拠なのだそうだ)
6)その後、ビニールから出して立てて置き、毎日米のとぎ汁をかける
 (水分を絶対欠かしてはならない、場合によっては一日2回散水)

そうすると収量が多く
原木の寿命が伸びる
ということを聴いて二度びっくり
私は10年くらいで椎茸栽培をやめてしまった、絶望し断念したのだ
その人の話を聴き、実際に見せてもらうことでまたやる気になった

しかも、今住む町の家の中でも出来ることを知った
早速山で原木を確保し来春に習ったように再度挑戦してみることにした
大したことないことでも、諦めてしまうのはもったいない

これなども絶望、断念後、ある人との出会いで復活した例であろう
多くの人が人生前半での思いによって将来を決めてしまう傾向がある
私も、そういう人生を歩んでいたら、実につまらん人生になっていたはずだ

コンサルタントや大工や野菜作りや山暮しや人付合いや一人暮らし等
以前は出来るあてもなかったことが、今は人並以上に出来ている
特に大工が自分で出来ることは、暮らし方に大きな変化をもたらした
自分が長年暮らす家を自由に変えることが出来ないとは、情けない
以前から言っているように、若い時のように何でも頼む・依存でなく、
年取ったら自分で何でもやるようにすることも、真の自由を得る道だ

野菜作りも木の剪定や伐採、山暮し、人付合いも同様の大きな変化
絵はそんなに簡単ではない、たかが絵描きだが自分を大きく変える

私の若い頃の劣等感やコンプレックスの状況は次のようなものだ
1)人付き合いが下手、友人はほとんど数えるほどしかいない
2)初対面の人、目上の人が大の苦手
3)口下手、会話下手、苦手な人とは口がきけない
4)引っ込みじあん、内弁慶、人前で話せない
5)せっかち、慌て者
6)小心者、臆病、心配症
7)絵が下手、幼児なみ
8)習字や文字を書くのが最悪
9)本を読まない、語学関係も苦手、英会話が出来ない
10)囲碁将棋はからきし駄目
11)運動もどちらかというと平均より下、体力がない、喧嘩も苦手
12)自立・自律ができずに長いこと中途半端だった

私の場合幸運にも現在74歳遅まき乍ら、全て克服できている
若い時の絶望、断念が、ほぼ80%は再挑戦が成功している
そんな私などは、極めて珍しい例かもしれない
何らかの出会いがそういうことを劇的に可能にすると思う
宮本武蔵などもそういう例であろう

しかし世間には若い時の思い込みやコンプレックスを引きづり
一生、出来ずに終わる人も多いのだろう
人付き合いや会話が高齢になっても、苦手な人を多く知っている
無論絵なども一生描かない人(特に男)も多く知っている
というより、あまりにも多いのは悲しいというか今更ながら驚きだ
こんなことは実に悲しいこと、本来あってはならないことなのだ
英会話も本来はペラペラ出来なくてはいけないはずなのだが

私の若き日は劣等感やコンプレックスとの闘いであった
何とも空しい日々であったことか・・・・
でも、おかげ様で65歳から私は一挙に挽回した
9回の裏、ホームランみたいなものだった
でも9回の裏三振のままで終る人のなんと多いか・・・

せめて絵でも始めたらいかがですか?
良い先生のいる絵画教室に通って下さい
または若い時から大の苦手に敢えて挑戦してみたらいかがですか

・パソコンを諦めている
・インターネットを諦めている
・田舎暮らしを諦めている
・部屋の片づけを諦めている
・友人造りを諦めている
・スマホを諦めている
・ギターやピアノを諦めている
・物書きを諦めている
・人に好かれないを諦めている
・チャレンジ・冒険を諦めている
・腰痛を諦めている
・性格の悪さを諦めている
・人生を諦めている
・貧乏を諦めている
・老いを諦めている

安易に諦めるとは悲しいことです・・・・・
当り前のように、諦めるとは恥ずかしいことです・・・・・
義務教育で被爆した数々の劣等意識を綺麗さっぱり洗い流せ
そして早く再挑戦せよ

多分驚くほど、意外にスラスラ何でも出来るようになっているはず
脳には眠り続け一生目を覚まさない部分が多すぎる・・・
そしてボケや痴呆の悪化がかなり食い止められる結果に驚け
私のように都会から山や田舎に移り住むことも効果的と信じます
そういうことによって、
「駄目だという長年の強い思い込みを本気で消し去る」こと

11月2~5日の展覧会に出品する作品です
絵描き半年とても出展など恐れ多いです


今年もサボテンの花がさきましたが
絵に描けというので、泣く泣く描いてみました

出来た・出来ます骨子Nо.73「私はそれが苦手です」と簡単に拒否・拒絶しない

2017-06-14 16:28:36 | 不可能を可能に
指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(通称:竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

出来た・出来ます

安曇川長尾のログハウス売り出し中
9/20価格引き下げました(こんな良い物件チャンス二度とない) 従来540万円 ⇒ 変更後450万円⇒360万円に再引き下げ⇒360万円に再引き下げ

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
  ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル

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「私はそれが苦手です」と簡単に拒否・拒絶しない


人がいない長尾の山から安曇川の終の棲家の田中竹の里に移り住んで早2年半
同じ安曇川でも、山の暮しとは大きく違う町の暮らし(都会は人ゴミの町)
田中も静かな田舎ですが、冗談に「田中は大都会だなー」って言うのです
そういう中で、久しぶりに近所付き合いも始まって来た
ところが私に関しては、近所付き合いが上手いとの評価を戴いている
「付近が明るくなった」など嬉しいお褒めの言葉も戴いてしまった

実は凄く不思議なことなのだが、20年の山暮らしの結果だろうか?
私は都会暮らしの55歳までは、とにかく人付き合いも何もかも下手だったし
人間関係では、むしろ悩み続けて来たからだ、友人もほとんど出来なかった
どちらかというと暗い性格だったろうか、ところが
最近の私は友人も多く出来、皆から村上さんは付き合い上手だと言われている
ところで、世の中にはかつての私のように人付き合いが苦手な根暗な人は多い

最近それと同じような現象があった、それは絵描きについてである
絵を描くのと習字は70年間私のコンプレックスの最たるものであったのだ
絵はとにかく下手、並の下手ではない、自他認める”絵と字の音痴”
習字は先生から「すっごーく字が汚い」と生徒の前で大きな声で言われ
字が下手⇒国語嫌い⇒本読まない⇒文章書かない⇒文科系は苦手意識
絵も同様に私にとって大の苦手なものの最たるもので、長年私を責め立てて来た
先生や親や先輩や友人のたった一言が人の人生に災いを植え付けてしまうのだ

ところが偶然に田中の3軒隣に絵の先生が住んでいたのだ「絵を描きませんか」
私にとっては、悪魔のお誘いであり、当然うかつに乗れませんでした
「絵と字は我が人生で最大の苦手なんです」と1年半断り続けて来た
その時は悪魔か女神かよくわからない人が登場したのでありますが、それでも
絶対に絵を描くなんてことは我が生涯にありえないと心に深く刻んでいたのです
どんな甘い誘惑や魔の手が来ようと、絶対に微塵も揺るがぬ信念でありました

しかし、何と言うことでしょう、
私は2年目の4月5日絵描きを始めてしまったのでした
まあ小舟で太平洋に漕ぎ出してしまった(それほど大袈裟ではないってか)

「村上さん、お絵かき教室が始まります、たった一年間です、いかがですか?」
「一年間か、まあ駄目ならば2~3回出て止めればいいか」と思ってしまった
青天の霹靂とは、まさにこの時の私のことです
そして、4月5日ついに絵描きの教室に行くことになったのです

何せ50年以上も絵を描いたことがなく、すごい絵コンプレックス人間で
「絵は大の苦手で描けない」と信じ切って生きて来た小ぽけな私めです
当然生まれてこの方、人から絵や字を褒められたことも全くありません
その私がなんと、絵描き教室に来て絵を描き始めてしまいました
あーあ、ついに踏み越えてはならない一線を踏み越えてしまった!!!
かつて東工大、大阪単身、松下電器、京都移住、エンゼル工業、ローム、
コンサルタント自営、安曇川の山のとき同様な青天の霹靂がやって来たが

私にとっては大袈裟ですが、つらい、人生最大の心臓バクバクものでした
4月5日初日、初心者ばかりかと勝手に思って参加したら、皆経験者でした
「今度参加する村上さんです」「えーっ初心者は俺一人だけ」しかも大半は女性
いきなり「さあー今日のテーマはお魚です、どうそ書き始めて下さい」だって
「一体、何を、どう描けばいいのか?」「何だかんだと言われる」のですが
土素人に、難しいことを理解し、実行出来る、そんな余裕はありませんや
裸で女性の前に立たされたような恥ずかしい心境でした(例えが良くなかったか)

とにかく絵を描かなくてはならない、必死です、鉛筆デッサンの方法は知らない
でもでも、そのうち何とか絵になり始めると、やっと少し落ち着きましたがね
絵は俺がやるべきものではないと、現実問題としてはっきりした初日だった
休憩まで必死に魚を睨んで、画用紙の上に絵描いて行きました
1~2時間くらいだったでしょうか、「休憩ですお茶をどうぞ」
私はいろいろな面で、ホトホト疲れていました、疲労困憊でした

間食しないし、お菓子やお茶どころでもなく、他の人は、さすが上手い
私の絵はやっとこさっとこ、かろうじて絵になっている、という状況
でも言い聞かせました「絵なんか上手くなくてもいいのだ」と
でも、あとでこの言葉は意外に大事なことだと気づくのですがね

休憩後、気分一新、再度絵を描く作業に集中して行けました
するとどうでしょう
何とも言えぬ落着きで、神経集中、精神統一、瞑想みたいな気分になっていた
周囲のことが気にならず、ひたすら絵を描くことに集中して行ったのです
絵が上手いか下手かはどうでもいい、夢想無念・無我・無心・
ひたすら絵を描くことに全神経を集中出来ること、そのものが素晴らしいと実感

初日の結論は、「当分、止めずに絵を続けよう」だったのです

早速スケッチの本を買ったり、家でデッサンを始めました
そして6月7日3回の絵描き教室に通い、三日坊主にたどり着きました
あとはどこまで続けられるか?案ずるより・・・・
その後、デッサンは案外上手く描けていったのです、びっくりしました
案外描け、先生のずばずばと有益な助言も良く、更に褒めても戴きました
「きちんとしっかり描けています」ですって・・・・真実、嬉しかったですね

先生のアドバイスを受け、教室で他の人の絵を見て、上達したように思います
「苦手ではない、案外描ける」というふうに変わったのが現在の実感です、
「よかったコンプレックスで一生を終わらなくて」そして、
ここ数年いろいろな苦手を克復した私は最大の苦手も克復したことを嬉しく思った
習字も自習でやっていますが、意外とソコソコ書けるようになってきました
苦手ではない、苦手と強く思い込み、それをやらない理由にしてきただけなのだ

最近他の人にも絵描きを勧めるが、かつての私のように「大の苦手です」と言う
何と私が絵を描けと説得する側になっているという、皮肉な結果になったのです

かつて会話も大の苦手でしたが、今は会話は大好きに大きく変わりました
私のことを、何時間でも話す、或る意味やや困った人になっているのです
かつて山暮らしも大工も野菜も料理も大の苦手でしたが、今は得意分野です
「苦手です」この一言で片付づける人生は不毛です「苦手です」は禁句なのだ

さて絵描き教室の第三回目は題材が沢山おかれた、そして目の前に靴が置かれた
どうやら靴二つとよれよれの帽子を描かなくてはならないようだ
しかし悲しいことに靴は描いたことがないので自信がない、
まだ新しい画題が出るたびに不安や恐怖感が生じ、ひどく戸惑う私なのです

ところがこの難題も結果的にクリヤーしてしまい、それどころか案外上手い
こういう経験の積み重ねが自信になっていくのでしょうね
「絵だけは、苦手、勘弁して」と言う人もやってみれば案外上手く描ける

まだ絵に関してかなり消極的ですが、徐々に快方・開放・解放に向かっています
55歳で未知・未経験の山に暮らし始めた時のことを思い出します、
何かのきっかけで、偶然に物件のあるその山に入り来てしまったのです
そこですぐに中古ログハウスを買った私だったのです

当初5年くらいは山に5日京都に5日という繰り返しでした
そうです、最初は山にずーと住み続けることが苦痛だったのです
当初数年は山暮らしに馴染めなかった、それが何ということでしょう
10年目くらいから自然に山に住む比率が増し、京都が苦痛になって行き
そして15年目には完全に山暮らしが好きに、都会嫌いに変わって行ったのです

そんなものなんです、当初は苦手だの難しいと思われたことが
決断して挑戦すれば、そのうち楽しさに逆転して行くのです
つらい、苦手なことが嬉しい、楽しいことに変わってしまうのです
だから仏教、禅宗でも、「己を捨てよ」と言うのでしょうかね
「捨てよ・捨てよ分別を捨てよ」「死ね・死ね・死にきれ」
バンジージャンプのように思い切って飛び込むのです
「苦手」「固定観念」に縛られている、自分のつまらん分別を捨てよです

石の上にも3年、継続は力なり、職人は10年で半人前、三日坊主

・出会い: 今回の絵でも3軒隣に絵の先生がいたことがきっかけです
・次に : まずとりあえずやってみること、分別を捨てよ
・更に次は:やるという決断です、駄目な理由を探さないこと
・そして: 快感や手ごたえを得ること、褒められることも大事
・そして: あせらずゆっくり続けること、何か効用を見出すこと
  (ここまでが最も大事、ここまで至らない人が多い、すなわち出会いがない)
:更に : 静かに埋没すること、黙々とやる
・そして: 自分の新たな生きがいや趣味や技術として続けること
・最後は: 深めること、他人にも教えること、やってあげること
・更に : こだわりを捨て、ゆったり味わうこと、人生を深めること
  (最初から「苦手ですから」なんて言う人の人生は貧しい・悲しい・惨め

とにかく、なんだかんだ言わずに、やってみなはれ

否定語を使わない⇒でも友人や子供は、当然のように、すぐに否定語を使う
現代人は否定語で生きている、ほぼ毎日否定語を使わない日はない
質問やお誘いをして見て下さい、多分100%否定語が帰ってきます。
「出来ない」「苦手だ」「何でそんなことせないかんの」「やりたくない」
「うざい」「興味ない」「意味ない」「バカバカしい」「一体なんのために」・・


御願い:「田舎に住みませんか?」「老後は山暮らし始めませんか?」
  答え:コンビニもなレストランもない、やめときます、無理、もう歳だし、都会が便利

御願い:「絵描きませんか?」
  答え:絵は苦手、絶対に無理です

御願い:町の役員お願いします
  答え:無理です、歳ですし、身体も動かないし

御願い:「俳句しませんか?」
  答え:俳句なんてやたことないし、素養は全くありません

御願い:「野菜作りませんか?」
  答え:野菜なんて作ったことないし、やり方が分らない

御願い:「インターネットしませんか?」
  答え:難しいし、特にいりません、何も不便はないですから

御願い:「株式や資産運用しませんか?」
  答え:危ないことはしません、第一お金がありませんから

御願い:「誰でも会った人に気軽に話しかけませんか?」
  答え:そんなこと恥ずかしくて絶対に出来ません

御願い:「家買いませんか?」
  答え:今の家で精一杯です、二軒も三軒も買う余裕はないし、一体どう使うのか?

御願い:「東京まで夜行バスで行きませんか?」
  答え:いつも新幹線で行きます、8時間もバスに乗ってられません

その他:バンジージャンプしませんか? 外国に暮らしませんか? 部屋の物半分に減らしませんか?
    座禅しませんか? 本書きませんか? 人前で話ししませんか? 料理やりませんか・・・

その弊害の主なものは、次のようなものだ
やらない理由がすぐに見つかるのだ
・あまりに便利/不便
・豊/貧しい
・何でも機械がやる
・金出せば何でも買える
・面倒くさい
・出来ない
・経験ない
・必要がない
インターネット・家電製品・インフラ・ロボット・テレビ・携帯・スマホ
3軒隣の横山道子先生(写真左の人)の個展を近所の友人と見てきました

今年も一年一度のシャボテンの可憐な花が咲きました、雨にあてないで

村上原基の出来た出来ます講演サービス

2016-11-19 15:23:44 | 不可能を可能に
やれば出来る、でもやり方が間違っている    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所:滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
村上原基人生ブログ
    出来た出来ますホームページ(依頼用のメールが掲載されています)
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や人生談義にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ

村上原基の出来た・出来ますのご案内
村上原基の出来た・出来ますのご案内
    記事掲載⇒講演・指導依頼⇒日時場所決定⇒実施
事務局:MDD村上原基(人生勉強会)   事務所:滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)
私村上は、過去出来ないことで随分苦しみ悩み、損をしてきたことか、それがやっと60歳以降出来るようになってきた
出来ないを少しだけの努力で出来るに変えられるのだったらトライすべきではありませんか?
出来ないまま何年も抱えて悩むより、今すぐに出来るようにすることは何と楽しく、大きな利益でしょう
出来ないと思い込むこと、何もしないでほったらかしは実に馬鹿げていませんか?

1.概要
   長い間、出来なかったことが、出来るようになった経験の骨子を当blogで紹介します
      ・内容に関心があり、より具体的な個人的な指導を受けたい人
      ・より具体的な内容の講演会を希望する人は、依頼をして戴き
   地域の講演会や会社の研修や個人・グループの指導などにご利用下さい

2.指導や講演依頼      希望があればメールでご連絡下さい
      掲載骨子についてより詳しい具体的な話が聞きたいとか個人的な指導を受けたい場合
      □個人的にある期間指導を受けたい(自分問題を何とか解決したい人向き)
       村上が独自の調査分析に基づき、出来る方策を提案し、実施して戴くように指導
      □個人で是非詳しく聞いてみたい(講師に直接、とりあえず話だけでも聞いてみたい)
      □講演会をして欲しい(多くの人に話てやって欲しい)
      依頼は氏名、年齢、住所又は会合場所、希望内容、電話、メールを連絡下さい
3.費用      ⇒費用は有料
  指導講演の種類と標準価格
     次の3種類の講演や指導を設定していますが一応の目安で、個々のご要望に対応します
      ■個人指導 2時間程度 1~3万円/1回×回数
      ■講演会 2時間程度
        少数:5人以下     1~3万円程度
        大人数:20人以上     5~9万円程度
       会場など一切は依頼者の費用負担で依頼者が準備して下さい
       但し交通費が必要な場合はおよそ1000~5000円、遠方は実費+宿泊代追加
       依頼を受けてから、折り返し見積もりを連絡しますので確認の上、正式発注下さい
講演会
講演内容を次の13に集約してみましたのでご覧ください、一覧以外もご依頼下さい。
下記講演を受け付けします

1) 24歳で東京から関西へ引っ越し、京都を中心に住み続けて50年の思い
   東京浅草⇒大阪門真⇒大阪萱島⇒京都市伏見⇒安曇川長尾山中⇒安曇川田中
2) 大企業から零細企業・ベンチャー企業・コンサルタント自営で感じたこと
  松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク自営
3) 55年の都会暮らしから、滋賀県の山暮らしを20年続けて思ったこと
  山暮らしの意味・価値・山暮らしの在り方、華やかさや派手さは無用だ
4) 都会暮らしのいろいろな問題、山暮らしで気づいた田舎の楽しさについて
  田舎は広くて何でも自分のやりたいことが出来る、特に子供には最高
5) 私の地道な体験を通じて、諦めない老後の健康維持について思ったこと
  老いることの値打ち、諦めるということはその価値を捨てることになる
6) 長く口下手で悩み続けて来た私が、急に誰とも楽しく会話について語る
  とにかく口下手で悩み続けた私が、なぜ急に変わったのか?歳月のせいか?
7) 嘘誤魔化しだらけの都会の暮らしからの抜け出すことの大切さについて
  嘘・誤魔化しに気づいた、こりゃイカン、嘘・誤魔化しばかりの自分や人びと
8) 都会暮らしを続けて来た私が、山暮しをして出来るようになったこと
  山菜・野菜作り・大工・水道工事・木の伐採・焼き芋・野良仕事・庭づくり
9) 人は如何に生きるか、60歳から真剣に取組んで来た私の人生論を語る
  人生勉強会、村上原基、ブログを書き続ける、自分の人生を見直す
10) 狭苦しい都会を離れて田舎で一人暮らし、最近の私の一日について紹介
  山に暮らすと都会の狭苦しさ、他人の目を気にして、こそこそ生きるのが鬱陶しくなる
11) 約30年得もし損もして、やり続けて来た私なりの資産運用について
  まずは経験を積む、毎日経済状況を知る、分散投資、年間100万円儲ける、欲張らず
12) 73歳人付き合いで悩んできた私の最近の、人との付き合い方について
  老いて、人嫌いになって、女に関心がなくなってから、上手く付き合えるようになった私
13)耐震化・省エネ化・安全化・健康化・資産化
  出来る時に必要なことをやっておこう、例えお金や労力がかかっても断固やる


4.掲載・講師を希望の方へ 
     ご自分の体験について講師をしたい人はメールでご要望下さい
     講演や指導が十分出来る自信にある人に限ります
      面接し、合格した人については登録後骨子掲載が可能になります
      掲載したい骨子は、まずメールで送信下さい、その後お会いして詳細を打ち合わせし、
      修正をお願いします。    掲載できない場合もありますのでご了承下さい



過去のブログ一覧
目   次  (10日毎に新規骨子をblogに掲載後、ここに転載) 作成日
Nо.72「73歳、最近”心身財人生”順調な私の毎日の暮らし方」 2016/9/22
Nо.71「4年前に足のむくみ対策により頻尿改善の、73歳のその後」 2016/9/18
Nо.70「都会暮らしによる嘘誤魔化しを回収・分別・廃棄しすっきり人生開始」 2016/9/8
Nо.69「高僧にほど遠いが、ある程度、無・空・虚・捨などの体得」 2016/9/6
Nо.68「耐震についてまとめ、もっと真剣に向き直そう、お金も使おう、田舎に住もう 」 2016/8/30
Nо.67「リタイアー後、60歳で一度大胆に清算し、自由で心地よく悠々自適」 2016/8/28
Nо.66「結果を追う人でなく原因を深く追う人になれ、真剣かつ真面目に懲りよ」 2016/8/15
Nо.65「耐震向上と省エネ性能向上のために真剣にこつこつ着実にやる」 2016/8/7
Nо.64「文句言わない、喧嘩しない、争わない、簡単なようで難しい」 2016/8/5
Nо.63「ひいきチームの勝ち負けがどうでもよく、プレー自体を楽しむようになった」 2016/7/30
Nо.62「およそ縁のなかった女の会合、新たな社会に飛び込んでしまった」 2016/7/28
Nо.61「老人ですが、草むしり・掃除・草木剪定などを運動としてこなしている」 2016/7/26
Nо.60「知らぬ間に自分にびっしり纏わりついた嘘誤魔化しからの脱出」 2016/7/19
Nо.59「日本人は会話をしていない、会話になってない、会話をしない国民」 2016/6/30
Nо.58「自然とはどんな場所かを18年の山暮らしで知った」 2016/6/29
Nо.57「結果的に、不自然なことは上手くいかない、自然なことは上手く行く」 2016/6/28
Nо.56「自分の生き生きした生き方を阻害しているものを取り除く」 2016/6/23
Nо.55「他人の一言を真剣に聴き、受け止め、きちんと反応する」 2016/6/21
Nо.54「都会は人が多い、人の目を気にする都会から山の中で暮らす」 2016/6/16
Nо.53「自然ぽいのと自然そのもとは全く違う、勘違いしないこと」 2016/6/15
Nо.52「見知らぬ人に勇気をもって声をかけるというか気軽にかける」 2016/6/11
Nо.51「一日一掃除とか、一日一改善とか、一日一会話とか、一日一善行」 2016/6/10
Nо.50「笑い下手な人が多くなったが、70歳過ぎて私はやっと笑い上手になった」 2016/6/6
Nо.49「世の中には意外と間違っていることが堂々と横行している」 2016/6/3
Nо.48「出来そうもない大きな仕事も時間をかけると出来ることを知った」 2016/5/31
Nо.47「面倒くさい・つらい・嫌い等と決めつけや固定観念を捨て去る」 2016/5/30
Nо.46「不安と恥ずかしさ、私もひどかった、でも年齢とともに無くなった」 2016/5/28
Nо.45「貧乏人ほど、安全資産の金白金などの貴金属を長期でコツコツ貯めていく」 2016/5/26
Nо.44「間食をしないで15年、凄く良い面が沢山あった」 2016/5/25
Nо.43「身体各部を隈なく動かす習慣をつけ、運動は食事同様偏りはいけない」 2016/5/23
Nо.42「嘘誤魔化しの都会暮らしからの脱出」 2016/5/19
Nо.41「友人をえり好みしない、誰とも付き合う、友人も偏食は良くない」 2016/5/17
Nо.40「73歳にして惑わず、やっと善悪や物事の判断等に惑わなくなった」 2016/5/15
Nо.39「物書きが全く駄目な私が50歳くらいから、読み書き話すが仕事になった」 2016/5/14
Nо.38「孤独な若い時期、身寄り無し京都、妻が他界、今さわやか独居老人」 2016/5/13
Nо.37「空き地をどうする?地主にも近隣住民にも自分にも三方良し」 2016/5/12
Nо.36「自由に自分の意志で人生を選択し、「我が人生悔いなし」にした」 2016/5/11
Nо.35「歳とって、ますます掃除が嫌いになったが、面倒臭いからの脱出」 2016/5/10
Nо.34「山や田舎町で、ほとんど電気・ガス・水を使わないようにしている」 2016/5/9
Nо.33「歳とって家にいる時間がながくなって、退屈が平気になった」 2016/5/8
Nо.32「長尾の山でバイオトイレを18年使用してきた、これも災害時に役立つ」 2016/5/5
Nо.31「嫌な親、嫌な友人、嫌な男、嫌な老人にならない、嫌われる人生は止めた」 2016/5/3
Nо.30「過去の巨大地震を参考に、あれこれ巨大地震に備えてきた」 2016/5/2
Nо.29「人がいない、夜は真っ暗、しかし今は怖くない」 2016/4/28
Nо.28「スポーツは何でも出来る私です、スポーツは私を強くしてくれました」 2016/4/26
Nо.27「老後あちこち観光や出歩かなくなった、観光や旅行は若い時のもの」 2016/4/25
Nо.26「山で虫や蛇と付き合ってきた、何事も頭ごなしに毛嫌いしない生き方」 2016/4/24
Nо.25「腰痛の73歳安曇川田中から雄大に聳える安曇川蛇谷ケ峰902mに登山」 2016/4/23
Nо.24「山の放棄された林を長年、一人でこつこつ整備して、林の環境を維持」 2016/4/17
Nо.23「田舎の山暮らしによって何でも自分自身でやるようになった」 2016/4/16
Nо.22「国語科目が最悪だったが、今は読み書き話すで人生明るく楽しくなった」 2016/4/15
Nо.21「72歳、本格的サイクリングを始めた、健康・エコ・楽しい」 2016/4/14
Nо.20「転職4回、最後に、目指していた憧れの経営コンサルタントで15年」 2016/4/13
Nо.19「胃弱軟弱な私がある時ジョギングによって劇的に丈夫になった」 2016/4/11
Nо.18「生まれながらのしつこいセッカチを努力と工夫で直してきた」 2016/4/8
Nо.17「苦手だった人前で話すことを克服した、自信のある分野を作りあげること」 2016/4/7
Nо.16「山暮らしで、やっと野菜作りができるようになった」 2016/4/6
Nо.15「ひどいコンプレックスで長年悩んできたが、65歳以降、完全に吹っ切た」 2016/4/5
Nо.14「高齢男子の私、54歳から料理始めて、今日まで料理している」 2016/4/4
Nо.13「なかなか止められない悪い癖を次々に止めて行った、悪癖の断捨離を」 2016/4/3
Nо.12「やっとこの歳で、切れない、大声出して怒らなくなった」 2016/4/2
Nо.11「資産を分散させ、大きく資産が目減りしないように管理する」 2016/4/1
Nо.10「店に行く、依存し、金払って、他人に頼むでなく、自分でやる」 2016/3/31
Nо.9「大工なんてやったことない自分がそこそこ大工が出来るようになった」 2016/3/30
Nо.8「一社だけでなく、大変だが、いろいろなタイプの企業を体験した」 2016/3/30
Nо.7「元東京人の私が琵琶湖湖畔の安曇川の山暮らしをして18年」 2016/3/29
Nо.6「長いこと全く苦手だった卓球が急に短期間に上手くなった」 2016/3/28
Nо.5「東京から大阪そして京都に移り44年、何とか京都に溶け込む」 2016/3/25
Nо.4「長年腰痛に苦しんだが72歳で総合病の腰痛を克服」 2016/3/22
Nо.3「虫歯も歯肉炎もほったらかし、正しい歯磨きを始めて約20年」 2016/3/18
Nо.2 [長年しつこかった花粉症が鼻炎を直すことで、起きなくなった] 2016/2/30
Nо.1「会話が苦手だったが56歳から無類の会話好きに」 2016/2/29

blog例


  村上原基の一言・・・
    英会話って確か6年くらい勉強したよね
    一体なぜ話せないの?
    理由は簡単だ
    話さなかったからだ
    そしたら
    どうしたら話すの?
    そこが問題であり、解決の鍵だ
    なにか日本の英会話教育は欠落しているのだ
    暗記とか聞き流し・・・、私もやったが、上手くいかない
    自分で話す、実際に毎日やることだと思うのだが
    最初は下手でも、間違っていてもいい
    とにかく、ひたすら毎日無手勝流で話すことだ
    あっ、いかん、答え言ってしもうた

出来た・出来ますへの道へのヒント
       嘘誤魔化しは解決への道を遠回りし、崖から落ちるだけ
       真剣かつ真面目に真っ当な道は解決への近道
       自分自身による解決だけが問題を根本解決する
       自分が正しい又は行くべきと思ったら、焦らない、でも勇気をもって実行する
       常に創意工夫する、一日一改善
       ハンデキャップや劣等感は悩まず、素直に受け入れてしまう、
むしろそれが自分の特質だくらいに思うこと
         悪く悪く思い込むことが悪い状況から抜け出せない一番の原因であることが多い
       悩み・事故・病気・災難も同様に悩み・苦しみ過ぎずに甘んじて受け入れる姿勢
       必ず何とかする、何とかなると信じてがっぷり四つで取り組む、諦めない
       経験を積むこと、いろいろな仕事・会社・地域・趣味を体験する


次の、出来ない要因が多い人ほど出来ずに悩む、苦しむ



出来た・出来ます骨子Nо.72「73歳、最近”心身財人生”順調な私の毎日の暮らし方」

2016-09-22 09:22:38 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
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同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
  ご希望のより、田中の空き家もご案内します
メイル

テーマ
73歳、最近”心身財人生”順調な私の毎日の暮らし方
   田舎でのびのび平凡な暮らしで健康であることに喜びを感じる
   今や毒気がかなり抜け、都会人とは別次元、これを称してミニ悟り


概要
1.過去はどうだったか       60歳~70歳は、都会人を引き釣り、暗中模索の老齢初期
昔都会に住んでいた頃は100%嘘誤魔化しだったが、今はせいぜい10~20%くらいだろう
人の多い都会では嘘誤魔化しをつかざるを得ないが山奥では全くその必要がなくなった
都会では政治家・先生・親・有識者全て100%嘘誤魔化しで生きている、そうでないと生きていけない
嘘誤魔化しの下手な人は悩み苦しむ、中国や北朝鮮を観ると分かりやすいが日本も例外でない
都会では、100%嘘誤魔化しの人達が、「私は嘘誤魔化しが嫌い」なんて言っている
「嘘誤魔化しをついてはいけませんよ」なんて真顔に子供や生徒に言っている・・・・・
都会のように人口密度が高いほど、猛者の集合、必然的に人はゆとりを失い嘘誤魔化しが多くなる

そして山暮らしや田舎暮らしの私は
1.医者・整体・運動・食事・暮らし方一応何でも手当たり次第やってきたが老いるばかり
2.要するにやり方が分かっていなかった、間違っていたと言わざるをえない
3.しかし歳は待ってくれない、諦めたこともあった、「もう歳なんだから」でも苦しい老後は嫌だ
4.老後の暮らし方を見直していった、幸い私は55歳から山暮らし田舎暮らしをしてきた
過去もいろいろ老化対策をやってきたが、何故か72~73歳でやっと具体的な結果が出てきた

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       やはり長い山暮らしがきっかけ
山に18年住み、昨年1月72歳直前から安曇川の田中に更に家を買いそこを終の棲家にした
まあ、いよいよ本格的に後期高齢者への突入においてじっくり腰を据えて見直してきた
サイクリング・ポールウオーキング・ストレッチ・ラジオ体操などを始め考え方も大きく変えた

3.どうしたのか、何をしたのか       自分なりに良いと思うものを日々地道に続けている
1)食事   量は少なく、間食せず、過食や過飲しせず、粗食だが、しっかり必要なものをとる

朝はサラダ、果物・黄な粉入りヨーグルト、野菜ジュース、パン    昼は麺類   夜はご飯に肉や魚
全体的に野菜はきちんととっている、ご飯や炭水化物は少なめ、間食はしない、
酢を使う、砂糖は黒砂糖、パンはほんの少し、うつぶせで腹部のマッサージを毎日1~2回
夏は冷やす、冬は暖めるがエアコンは使わない
2)運動     生き物は身体動かしてこそ生きている証拠で、寝たきりや座りきりは死も同然

サイクリング・ポールウオーキング・ストレッチ・ラジオ体操、一時間の草むしり、家事全部
昼間は室内より外に出て身体動かす、座っている時でも頻繁に立ち歩く
足ふくらはぎのマッサージ、顔や目や手を動かす、壁打ちテニスやボール投げや懸垂や縄飛び
鉄棒を設置し頻繁にブル下がる、時々友人と小山の登山や中距離ウオーキング
3)薬   年取ると管理や健康維持の行動だけでは支えきれないものは医者に頼らざるをえない

悪玉コレステロール対策:メバロチン   十二指腸胃炎対策:プロテカジン
冷え対策:メバロチン   高血圧対策(さほど高くない):アムロジン
エビオス   ビタミン:EX NEO   目薬(ロートクリア)   前立腺がん手術後の年4回注射
4)副食、菓子、飲み物     身体に悪いものは食べない、良いものを選び出し補う程度

クコの実、干しぶどー、ウエハース(まるごとはーす)、コーヒー、ブラックチョコレート、ゴマ
夏は汗をかき、夕方缶ビール一本、夏はおかんした日本酒コップ半分、チーズ、山菜、干し柿
自家製しそジュース、自家製ハーブジュース、自家製糠漬け、季節の山菜・果物及び庭の野菜
5)暮らし   他人や他人の考え方の単なる真似でなく自分独自に暮らしている

毎週半分は長尾の山に行き庭や周辺の手入れ、山の友人と飲み会   一日4回歯磨き
昔の友人などとの運動と飲み会、前の空き地の草むしり、庭の野菜と草花の手入れ、
町内会の役、市の健康推進委員の講習会参加、大工仕事はほとんど全て自分でやる、
エアコンは、まず使わない、夏は半ズボンで靴下ははかない、夏は夕方水シャワー
18年の山暮らしで得た貴重な体験を元に人生研究し、インターネットのブログ投稿を続けている
最近は本をほとんど読まない、身体を動かし、活動に参加し自分で考えて行動し、活動的に
人と話をするのが好き、しかも誰とも話せる、パソコンもやっているが最近はかなり減った

4.どうなったのか       老人は自然の豊かなゆったりした田舎で暮らすべきだ
最近は73歳だというと、全然そんなには見えないと言われる
自分で言うのも何だが、一日中外で運動や作業している私のような老人は珍しい
身寄りもいない田舎で老人一人暮しだが、楽しく、快適、生き生き暮らしている

5.一体なにが原因で出来なかったのか       自然のない狭い都会では満足な老後は無理
嘘誤魔化しの都会を見切って、是非エイヤーと田舎暮らしを始めて欲しい、⇒嘘誤魔化しの自覚
息苦しい都会で、あれこれ周囲は人々のことを気にかけて自分を見失い、息がつまる
山の中や田舎は何もない・つまらない・暗い・怖い・虫が嫌・いざという時に困る・人がいないではない、
都会こそ臭い・汚い・狭い・恐ろしい・危ない・息詰まる・高い・自然がない・不自由・嘘誤魔化し

6.何が良かったのか       老後の暮らしとしてはほぼ満点の暮らしをしているように思う
すごくゆとりを感じている、すごく健康も感じている、すごく人付き合いの楽しさも感じている
山で20年ひっそりと自然に向き合い暮し、今はその近くの町に庭付きの平屋に暮している

7.提言       晩年くらい、せせこましい都会を離れて、思う存分自然に気楽に、ゆったり暮そう
老後は、本格的に人生勉強の期間だが、都会暮らしではそういう心境にはなかなかなれない
せいぜい更に嘘誤魔化しが上手くなるくらいのものだが、そんな人生や老後は御免だ
老後は、嘘誤魔化しのない清浄静寂空虚自然な環境で暮らすべし、人工的なものから脱出
長い間、都会で得た嘘誤魔化しの一切を捨て、裸の自分で老後を空虚に生きるべし

都会人は何故か「自分が嘘誤魔化しのカタマリだ」ということを全然認識していない
むしろ「自分こそ一番正しい」などと誠におかしな、お笑い種のことを信じ切っている
こんな人間が都会にうじゃうじゃしているから、揉め事や喧嘩しないほうが不思議
私にすれば、よくもこれだけ嘘誤魔化しをしていて、うまく社会が機能していると驚愕する

日本人は本音と建て前、控え目、おもてなし、尊敬語、謙譲語、褒めの文化があるのが頷ける。
昔からそういう知恵で争いを事前に回避してきたのだ、そんな国は日本くらいのものなのだろう?
自分の意見をずばりと、はっきり言う場合は、日本ではよほど注意し慎重にしないといけない

空き缶で風車作り、難しかったが、やっと30分で出来るようになった

出来た・出来ます骨子Nо.71「4年前に足のむくみ対策により頻尿改善の、73歳のその後」

2016-09-18 13:37:34 | 不可能を可能に
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テーマ
4年前に足のむくみ対策により頻尿改善の73歳のその後
    一つの療法に走りがちだが、一つの療法だけで簡単に直るなんて甘い夢みたいなことではない
    若い時にはきちんとした身体、老化で痛み、弱って来た身体をほったらかしにしたせいなのだ
    ほったらかしにした心や行動自体を根本的/綜合的に悔い改めることだ
    部分的な病気を局部的に直すのが医者 、 綜合的に身体全体を直すのが自分  


概要
1.過去はどうだったか       まず日々の暮らしを綜合的にきっちりすることから
足のむくみ対策は、テレビかネットで知った方法で、やってみると効果があったのは確かだが
しかし多くの対策同様、効果は一時的であった、その理由は根本原因ではなかったからだろう
よくあることは、一度やって効果があったというデーターが出たことが、永遠に続く保証はない
最初の数回だけは良いデーターが出るのを悪用している場合も多いので、騙されないように要注意
足のむくみが重要原因の人は、それで良いのだが、私の場合は、喜びも束の間、頻尿はやがてぶり返した
足のむくみとりは今もやっているが、過去の私の腰痛や頻尿の療法実施の姿勢を反省してみた
あれこれやるが、対象療法・部分療法・真の原因に手を打ててなかったことに気づいた

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       何事もまずきちんと見直しから
私は当時、頻尿・足腰の劣化・腰痛・軽度のメタボ、それに最近は睡眠不良で悩んできた
そういうものが老化に伴ってひどくなっているのは確かであり、多くの老人も同様と推察する
3年前に隣人から自転車に乗りなさいとアドバイスを受けたが70歳の私は、あまりやる気はなかった
とりあえず、隣人の助言を信じ、正しい乗り方も教えて戴き、さっそくやり始め徐々に上達した
これが案外面白く、技術も上がって、空いた田舎道を疾走するのが今や私の大事な日課となっている

3.どうしたのか、何をしたのか       病気を直すのでなく、暮らし方・生活全体を直す
自転車乗りも負荷を上げていき、同時にストレッチや軽い体操もしっかりやるようになった
二年前からは自転車やストレッチは習慣となり、きちんと毎日やるようになり足の筋肉が戻って来た
そして今年、春に目の前にそびえる蛇谷ケ峰に登山したがきつかったが達成感と自信を味わった
そして今年から更にラジオ体操3回/日、ポールウオーキングをやり始めた
ここ20年一日1時間以上草むしりも未だに続いている、独り身なので無論家事も全てやっている
いろいろな運動をやり着実に筋肉を貯金していくことを日々続けている
・歳だからと考えない・総合的にやる・医者を信じない・自分で考える・守りから攻めに・・・・・

4.どうなったのか       過去の問題を反省し個別的な療法から総合的な自分なりの暮らし
過去やれ整体だ、針だ、注射だ、体操だと都度情報を頼りに、思い付きでお金や時間をかけてきたが
一時は治ったようだが、その後はむしろ以前よりひどくなっている、主体性なくやっていたためだ
整体の先生が絶対に直るからと一年通ったが、多額なお金を使っただけのことだった
腰椎注射も薬も結果的に根本的に腰痛は治らなかった頻尿も同様に何をやっても直らない
医者は私の暮らし方や身体全体を知らないで問題箇所だけ診断し治療する、あくまで商売
例えば、サプリは一年飲でも皆効果なく、一応トライしたが全て止めた、宣伝のうたい文句は疑え
そこで過去の考え方を180度変えた
歳のせにしない、若い頃にやっていた普通の暮しを年齢相応に真面目やろう
やれ腰痛だ、やれ頻尿だ、やれ眠れないと個々をどうしよう、こうしようというのは止めよう

5.一体なにが原因で出来なかったのか       安易な飛びつき、他人任せ・行き当たりばったり
見たり、聴いたりしてすぐに飛びつき、やるが効果は一時的、永久に根本改善が出来ていない
腰痛を直そう、頻尿を直そうと、必死に苦しむ症状に注目し過ぎてあれこれやり過ぎ、狼狽える
夏はクーラーにあたり家の中でじっとしてましょう、熱い風呂にゆったり浸かりましょうは正しいのか
私は今年から、夏でも外で運動や作業をし、クーラーは使わず、午後3時頃に水でシャワーにした
正に年寄りも冷や水だ  年寄りに空調は駄目   夏は冷やす冬は暖める
老若男女皆座る事が多くなっているが、小まめに、頻繁に立ち歩く、外にも出るようにしている
もっともらしいこと、過保護なことはかえって、老化や体力低下に結びつくことを反省すべし
自分に合わないことは止めるが、自分が良いと判断したら、例え、効果が少なくても続けている

6.何が良かったのか       腰痛対策、頻尿対策と個々の対応は限界がある
もはや、腰痛がどうの、頻尿がどうの、睡眠がどうのではなくきちんと暮らすことに大幅変更した
自分が良しとして決めたことは、毎日きちんと続けることにすることが出来るようになった
少々腰痛や頻尿や睡眠不良に悩まなくなった、一喜一憂しない、しかも諦めないで挑戦する
時々仲間と長い距離歩きや登山など、きつい挑戦を、歳だからと避けずに、時間がかかってもやる
必要なら医者で副作用の少ない薬を処方してもらう。薬も場合によって必要と考えを切り替えた
「年寄りだから、無理できない」でなく、出来る範囲で挑戦や運動や作業をやるようにした
多くのもっともらしい情報に振り回されず、自分がやってみて正しいと判断したことだけ続ける

7.提言       73歳でも諦めず運動・作業・体操・冒険⇒守りから攻めへ
腰痛を直そう、頻尿を直そう、個別対応だけではなく、暮らし方や療法を総合的に見直し再構築する
自分にあった暮らし方や療法を自分が納得の上、きちんと定め、毎日地道に続ける
老いていく身体をホッタラカシにしない”歳よりの冷や水”だからやらないというのは間違い
間違ったことを鵜呑みにしてやっている場合が多い、やってみて自分で納得することが大事

ポールウオーキングも始めました歩く姿勢がまっすぐになり、足腰への負担が減り、
    腕の筋力アップ、腰痛も痛みませんし、毎日、低いが山道を登れるようにもなりました


先日平均年齢68歳の5人で安曇川から湖畔べりを近江今津まで16kmウオーキングしてきました

出来た・出来ます骨子Nо.70「都会暮らしによる嘘誤魔化しを回収・分別・廃棄しすっきり人生開始」

2016-09-08 07:08:32 | 不可能を可能に
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都会暮らしによる嘘誤魔化しを回収・分別・廃棄しすっきり人生開始
     必死に嘘誤魔化しを求める都会人、何とも悲しいことです
    社会も自分自身もいかに嘘誤魔化しをついているかをまず冷静かつ正確に認識することから始まる
    嘘誤魔化しのない山の暮らしを10年以上体験しましょう
    山奥に住むと都会には戻れない、都会があまりに殺伐としているからだ


概要
1.過去はどうだったか       いかにも素晴らしい人も事も、所詮は嘘誤魔化しに過ぎない
昔親から「嘘誤魔化しは泥棒の始まり」「嘘誤魔化しは絶対にいけません」とよく言われた
自分が親になってもこの言葉を子供に教えている。金メダルも勲章も嘘誤魔化しに過ぎない
私が55歳から山に18年暮らして思うことは都会の嘘誤魔化しの物凄さとか異常さであった
都会の暮らしをしていると、99%は必死に嘘誤魔化しをやらないと生きていけないのだ
都会では嘘誤魔化しで埋め尽くされているから「嘘誤魔化しを言うな、やるな」というのが奇妙

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       嘘誤魔化しさようなら
55歳から山に18年暮らしで都会の嘘誤魔化しに気づき、がらっと人生観が変化してきた
偶然に山に住むことになったのだが、山に暮らして良かった、人生最大の幸せであった
もし都会から私が山に移り住まなかったら一生嘘誤魔化しを誤解したままになっただろう
人生を一度全部捨て、過去の自分をご破算にして、出直し人生に向き合う必要性を認識した
いままで一生懸命観ていたこと、やっていたこと、感激していた事が全てくだらんことに化した

3.どうしたのか、何をしたのか       嘘誤魔化しと真実との区分、嘘誤魔化しの分別廃棄
都会暮らしの人間は、どんな人も99%嘘誤魔化しを言ったりやったりしている
しかし、そんなものは全く意味のないもの、麻薬患者が悪党が正義を求めるようなものなのだ
物事の価値観が180度変わったことは残りの人生に大きなプラスとなった
観るもの聴くものが、今までのと全く違って見える聞こえる、迷わなくなる、混乱しなくなる
都会人は嘘誤魔化しが分っていない、嘘誤魔化しとそうでないものをはっきり区分出来るようにする
一般人は何が嘘誤魔化しなのか、自分は大半嘘誤魔化しだという認識が欠落している
厳しい修行が必しも必要なものとは思わないが、嘘誤魔化しに気づくためには有効だろう

4.どうなったのか       自分の嘘誤魔化しの生き方をしっかり認識出来た
例えば神社仏閣で拝むことも変わって来た、自分の人生観をより深めることを祈るようになった
物や金が欲しい、出世したい、楽したいなどということは願わなくなった、何の価値もないのだ
そんなものは自分にとって欲しくもないし、神仏に願うことでもないことがわかったからだ
部屋の物を減らすのも自分の欲を減らすのもまず第一段階すごく自分を軽く、快適、楽にします
ましてや、わざわざ嘘誤魔化しをついたり、やったりしなくなり、嘘誤魔化しに煩わされない
ひどく嘘誤魔化しに犯され、何がどう嘘誤魔化しなのか分からない混乱した状況をまず直す

5.一体なにが原因で出来なかったのか       嘘誤魔化しから抜け出そうとも思わない
人々は嘘誤魔化しにどっぷり浸かって長年生きてきたのでそれらを真実と思い違いしている
自分がどう、どのように毎日毎時間嘘誤魔化しをしているか、きちんと認識しないといけない
都会や生きていくために仕事をし稼ぐためには嘘誤魔化しが必要悪なのだ
よくよく周囲をみまわしてみると、なんと嘘つき・誤魔化しの人間がうようよしていることか
そんな亡者で埋め尽くされる都会に暮し続け自分は嘘誤魔化しをつかずに生きられると思うか?
日々、有識者や政治家が出鱈目、嘘誤魔化しを述べ、市民はまんまと乗せられている
そういう暮らしの環境でいつの間にか嘘誤魔化しが嘘誤魔化しでないような錯覚に陥っている
麻薬がなければ真っ当に生きて行けない麻薬中毒患者のような状況になっている

6.何が良かったのか       人も店も何もない山では、長年の都会の暮らしを忘れられる
麻薬を断ったように、予期せず、私はたまたま都会や人間を18年断ったのだ(断つことの効能)
「山で一人何しているのか?」という質問が多かったが今、その答えが分かった
一般人は無論、僧侶も都会暮らしをして、嘘誤魔化しを捨てきれない状態では到底悟れない
都会暮らしで、長年染み付いた嘘誤魔化しの生き方を、私は山奥で洗い落してきたように思う
不便で豊でなかった昔でも都会を捨て、山に篭る人がいたらしいが、現代はもっとひどいのだ
都会で嘘誤魔化しの暮らしをしてるから、悩み、苦しみ、生きがいも、安穏も、やる気もなくなる
嘘誤魔化しを一生懸命に何とかしようと思い悩むから、考えがまとまらない、不自然になる
癒しを求めて田舎に旅行する人が多いが二三日そんなところに行っても、帰ればリバウンドする

7.提言       真面目な人は嫌い、適度に嘘誤魔化しが出来る人かいい、そんな次元は駄目
中途半端な田舎暮らしは、何の意味も価値もない、都会の嘘誤魔化しからの脱出が大事
嘘誤魔化しの結果は、嘘誤魔化しでしかない、だからいくら足掻いても、闇から抜け出せない
都会に住む限り悩み、苦しむ人は、なかなかそういう暗闇から抜け出せないし、更に苦しむだけ
便利で豊な反面、都会は煩い・狭い・殺伐・人の目を気にする・危険・不自由・自然無し・暑い
牢屋やコンクリート小屋みたいなところに長年押し込められていると人間は嘘誤魔化し暗くなる
何故、自分をそこまで都会のような嘘誤魔化しの場所に押し込めていられるのか不思議だ
田舎も今や都会化している、所謂限界集落のようなひっそりとした山奥に住むことだ

山の暮らしは人も店もなく自然だけ、家の中も質素で家具もほとんどない

出来た・出来ます骨子Nо.69「高僧にほど遠いが、ある程度、無・空・虚・捨などの体得」

2016-09-06 08:52:07 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子Nо.69「高僧にほど遠いが、ある程度、無・空・虚・捨などの体得」
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   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
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安曇川長尾のログハウス売り出し中

安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
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テーマ
高僧にほど遠いが、ある程度、無・空・虚・捨などの体得
なろうと努力をしないだけのことだ、諦めては何もならない
    重い荷物を背負って遠き道を行くのではなく⇒身軽にゆっくり道を楽しく歩むべし


概要
1.過去はどうだったか       無・空・虚・捨なんか自分には到底関係ないと思い込んでいた
無・空・虚・捨などは難しい、偉い坊さんしか出来ない認識していた⇒そんなことはない
無・空・虚・捨なんて、怪しげなことは、普通の人がやっても到底できることではないと思い込む
無・空・虚・捨なんてことやろうとしたら、肝心の金儲けや出世が出来なくなってしまう
第一、そんなことを真面目にやろうとしても、やれる能力がない、要するにやらないから、出来ない
卒業・結婚・事故・大不幸・就職・大病などをきかっけに心を入れ替えるが長続きしない

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)      決定的なきっかけが必要
普通には出来ないが、何か格別なきっかけが多くあれば理解し体得は不可能ではない
出来る出来ないは別にして、ひたすら生まれてから、無・空・虚・捨を求め続けることは大事
縁があれば、大事なきっかけを掴むような心構えが大事だ、逃げ腰では一生出会えない
私の場合、東京から関西へ、そして55歳から山で一人暮し続けたことで目覚めがあったようだ
どちらかというと若い時から人生追究を続け、自然に出会い、自然と向き合うことも大事
いろいろな状況で断捨離をどんどんやってみることも有効だ

3.どうしたのか、何をしたのか       都会を離れて山に長くくらしたことが可能にした
東京⇒大阪大企業⇒京都零細企業⇒京都ベンチャー企業⇒妻他界⇒山にログハウス購入⇒コンサルタントを自営⇒人生勉強会立ち上げ⇒山に一人18年暮らす⇒田舎町の田中に終の棲家を設ける
沢山持っているもの、長くやっていること、果たしてそれが最も良いとは限らない
私は結果的に次々に捨てて次の段階に進んで来た生き方をしてきたような感じがする
最近終の棲家の田中に移り住んで京都伏見や長尾の山荘を整理している内に気づいた
伏見や長尾の家は、物を極限まで減らしたが不自由がなく、むしろ快適になったと実感して
55歳から安曇川長尾で18年間山で暮すと人・物・店・騒音・混雑は無くなり、すごく快適だった
それ以外にも無くなっても別に困らないどころか、むしろ快適なことが理解出来てきた

4.どうなったのか       簡単に一口で言えば物事にほとんど執着しなくなった
昔はひたすら何でも買い込んで、部屋が物で溢れていたが結局あまり有効に使われてない
物だけでなく欲ばって何でも手に入れようと焦る、必死になるだけの自分だった
でもその結果何か素晴らしいことや確固とした人生観が出来たかというと全くそうではなかった
むしろ62歳くらいまで、悩み、苦難が多かった、迷い、いつもおどおど自信もない自分だった
部屋も相変わらず物が増えるばかり、無・空・虚・捨・絶とかとは全く縁がなかった
山暮らしをしてから断捨離という言葉を知った、山暮らしが相まって少しづつ目覚めて行った
72歳山を下りて田舎町に終の棲家を買い住まいを整頓をするうちに無・空・虚・捨が見えて来た
最近の私はすぐに違うものに興味が移る、空きポイと言われるが、捨ててるからかもしれない

5.一体なにが原因で出来なかったのか      都会の人間は執着の塊だからね 
・都会に住む普通の人で特に若いうちは執着が強すぎて、無・空・虚・捨・絶は到底できない
・いざやろうとしても、相当の偉い僧侶が厳しい修行を続けないと到達できない
・普通の人は、あらゆるものに拘りが強すぎて、まず「やってみよう」という気さえおきない
・一般的に人は無・空・虚・捨の反対のことをやりたがるし、ついつい、やってしまう
・物欲の強い普通の人間が絶対に求めないことだから、無理と言うしかない

6.何が良かったのか       無・空・虚・捨な場所に長年暮らすことと修練すること
人も店も便利さもない山の自然の中で18年暮らしたことは、いろいろなことを捨てるのに役立った
嘘誤魔化し・無理・無駄な物や考え方はどんどん捨てていく、いつまでも拘っていないで
大した修行をしたわけでなく、自然の中で18年じっくりあせらず、無・空・虚・捨をやって来ただけ
多くの物を持つことより、少ない身近な物をいかにうまく使いこなすかが重要なんだ
都会の人が山に来て質問することは「何もない山で毎日なにしているんですか?」です
何もかもある都会で、何だかんだ好き放題やっていると無・空・虚・捨は身についてこない
自然以外は何もない山で日々何をかする習慣が都会育ちの私からあく抜きをしてくれたのだ

7.提言       執着したまま嘘誤魔化しで一生を終えるかどうか自分で考えて選択することだ
無・空・虚・捨を少しでもわかって、身についてくると、随分と人間がしっかり、落ち着いてくる
便利で、不自由なく、人が多い都会で必死に修行らしきことをやってもなかなか身についてこない
いっそ私のように山の中にひっそり15年以上暮らすことを勧める、人への執着が強い人も多い    むしろ私の経験では一番の障害は人である、まず人から離れることが大事だと思っている
無・空・虚・捨を唱えても身につかない、無・空・虚・捨の環境に身を置いて暮らすことだ

73歳、最近3年運動や体操や歩行やサイクリングを続けメタボ克服

出来た・出来ます骨子Nо.68「耐震についてまとめ、もっと真剣に向き直そう、お金も使おう、田舎に住もう 」

2016-08-30 09:27:01 | 不可能を可能に
出来た・出来ます骨子掲載開始   ⇒指導や講演を依頼出来ます    村上原基 
   京都事務所:京都市伏見区深草出羽屋敷町ファミール伏見
   滋賀支所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里)     
村上原基人生勉強会
台東区立育英小学校⇒台東中学校⇒都立白鴎高校⇒東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒
    ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業⇒人生勉強会創設
いつでも気軽に人生相談や出来ない相談にお越し下さい⇒滋賀支所又は京都事務所へ
骨子について指導や講演を依頼したい場合⇒依頼ホームページへ

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安曇川田舎暮らし案内ボランティア
安曇川の暮らしをご案内します車でお越し下さい
同乗させて戴き私の家を中心に紹介します。  9時~12時までに安曇川駅にて解散
JR安曇川駅集合9時、村上同乗
田舎町田中の家⇒長尾山の家⇒安曇川駅周辺
ご希望で朽木、新旭、高島を時間が許す限り回ります
メイル

テーマ
耐震についてまとめ、もっと真剣に向き直そう、お金も使おう、田舎に住もう
     日本人はもっと、しっかりリスクに現実的に備える民族にならんといかん

概要
1.過去はどうだったか       一般的には地震への備えは出来ていないが、私はやって来た
過去大きな地震が国内だけでも数回発生したが、その反省と改善を実施している人は少ない
東京育ちの私はそれなりに地震対策を継続的に実施し、個別に、当blogなどで紹介してきた
今回私のやったことを中心にお勧めする、すぐにやるべき耐震対策をまとめておきたい
地震国日本の家屋は大丈夫ではなかった、耐震基準もギリギリ、大地震にはすごく脆いのだ

2.どういうきかっけがあったか(きっかけが意外と重要な鍵)       過去の教訓を自分なりに活かす
・阪神大震災以降       何しろ関西で大地震が起きたのが大ショックだった
 京都のマンション一か所だけでは地震後の住まいに不安を覚え滋賀県にログハウス購入
・東北大震災以降       とんでもない規模にびっくり、地震対策の甘さを思い知った
 京都のマンションや山のログハウスだけでなく平屋の家を安曇川田中に購入し終の棲家に決定
・熊本大震災以降     まだまだ抜けがあった瓦屋根や二階屋の弱さ、耐震基準の甘さを知った
 田中の家の瓦屋根を撤去し軽いガルバリューム鋼板に葺き替え、寝床に手作りのアーチ設置

3.どうしたのか、何をしたのか       私がやって来た地震に対する大事な対策を列挙
1.今住む家以外に離れた場所の田舎にもう一軒安全な家を確保する
2.海側の普通の家より、山側のログハウスがよい(海や川のそば、造成地、崖下は絶対に避ける)
3.家は平屋がより安全:都会の2~3階の細長い弱い家より、田舎で広いどっしりとした平屋
4.二階は軽くし、二階に重い荷物を置かない、または物は全体にバランスよく置く
5.屋根の片側に太陽光発電や物干しなどを設置しない    家に優しく、荷物を減らそう・捨てよう
6.屋根は軽くするために陶器やセメント瓦をやめ、ガルバリューム鋼板などに葺き替える
7.瓦すなわち個別瓦でなく板状の屋根がよい、そうすると地震の時にずれたり落下したりが少ない
8.地盤が弱い場所は木造家屋でも、新築の時に、地下にくい打ちをしておく
9.寝る場所の周囲は倒壊防止をし、更に、手作りで良いから木組みの安全ドームを設置する、
10.土台は基礎はしっかりしたものか、柱はシロアリで腐っていないか確認する
11.いざ地震が起きたら家の一部に臨時に食事や寝る場所を事前に確保しておく


4.どうなったのか       私の場合結構お金をかけ大胆にいろいろ手を打ってきた
1)家は基本的に京都の伏見のマンションと安曇川の家2軒でいざという時に備えた
2)田中の家は平屋で陶器瓦をガルバリューム鋼板に、寝床はドームを設置
3)地震発生時、山のログハウスは地震に強いので避難先に考えている

5.一体なにが原因で出来なかったのか       問題意識とやる気とお金を惜しまない
出来ることもやろうとしない、甘く見ている
阪神・東北・熊本大地震情報を有効活用していない
家は一軒が当然と思い込んでいる、複数の家を持とうとしない
二階家や陶器製の重い瓦が当然と思い込んでいる
家が半壊や全壊した場合の心細さや資産喪失を深刻に考えていない

6.何が良かったのか       やるべきこと、出来ることは精一杯やったと思っている
安心安全は自己努力によることを理解した
ほとんどの日本人が意外に安心していて、耐震改善に無頓着であることを反省
都会に住まなければならないという認識を完全に捨てられた
特に直下型地震など巨大地震が起きると大都会の混乱はかなり大きいので都会を離れた
限界集落なっだかんだと言われているが、人口密度が少ない田舎にもう二軒別荘を持てた
巨大地震や直下型に対して日本家屋は弱い、耐震基準でさ安心できないことを理解した
半壊でも余震などを考慮すると安心して家の中に住めないことを想定した

7.提言       いろいろな意味で都会を離れよう、田舎は安いし広い
とにかく問題点をはっきりさせる、そして問題は早急に改善しておく
金や手間暇を惜しまない、根本問題や最も大事な問題を意外にやり過ごす人がほとんどだ
地震対策と言ってもやることが小さい、金もかからないことだけしかやらないは、駄目
高齢化・巨大災害・貧困・健康には金や努力を惜しんではならない、やるべきことは事前にやる

今年夏にやった省エネと屋根軽量化の田中の家