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村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

609.借り物の人生を捨てましょう

2025-03-08 20:16:16 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
履歴:東京台東区育英小学校⇒台東中学校⇒白鷗高等学校⇒東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
住居:東京浅草猿若町誕生⇒埼玉県川越疎開⇒東京浅草三筋町、夏は藤沢市鵠沼⇒大阪(門真⇒萱島)⇒京都⇒滋賀(長尾⇒田中)
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器(昔のものは省略)
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**
借り物の人生を捨てましょう

コロナもインフルエンザもとりあえず政府から言われて押し付けられたワクチンを黙って打っておけば、それで大丈夫・・・こういう考え方自身がそもそも危ない。大事なことは自分で調べ自分で考える、他人の意見を聴くのもありだが、最終的に自分で結論を出す。ただ何となく他人の意見を無批判に借りて従ってしまうのはいけない。そういう生き方は、自分の人生とは言い難い、”借りもの人生”(ヤドカリ人生)と言う。
私がヤドカリ人生を完璧止めた時期は55歳で山暮らしを始めた時だ、山で一人だと全て自分で決めて行動せざるをえなくなったからだ。
私は去年からワクチン接種を止めた。自分でそうしようと最終的に決めたのだ。でもそれで終わりではない。ワクチンを打たないということは自分で風邪ひかないように暮らさないといけない。そしていまのところ風邪はひいていない。偶然ではない、風邪をひかないように自分で自分が決めたルールをきちんと守っているからなのだ。
こういう生き方をすることは大事なんですが、何となく怖くてやらない人が多くなっているが、危険な兆候だ。そして何かまずいことが起きると「親が悪い」「先生が悪い」「政治が悪い」と喚きたてる
そんな無意味な人生は捨ててしまおうじゃないか。・・・
そういう他人のせいにする典型的な人が4人いる。中国・ロシア・北朝鮮・それにアメリカの指導者達である。彼らは「自分が悪い、自国の反省」を絶対にしない”ヤドカリ大統領達”であるが、実に危険な兆候だ。下手すると地球崩壊、人類滅亡につながる危険性を秘めている。
所で周囲を観回すとワクチンを接種している人が案外風邪ひいている場合が多いのも事実なのだ「ワクチンを打っておけばそれで大丈夫」のようなことを医者は言うがそんなことを信じてはいけない、肝心なことは自分自身なのだから
ワクチンを軽々しく信じて無批判に打ちまくり、身体に怪しげな毒を注入することが良いのかと疑う心を忘れてはならない。
こういうことはワクチンに限らない。人間は社会からいろいろな精神的な毒素も次々に自分にとり入れて、あたかもそれが良い事のように信じてしまう傾向がある。私が55歳で山や田舎に移り住んだのもそういう弊害を避けるためでもあった。

風邪予防のルールを紹介すると、田舎住まい、冬は人込みを避ける、うがい、歯磨き4回、手洗い、マスク、運動習慣、睡眠、家の断熱、厚着、暖房は控えめ、間食しない、禁酒、手足の指のマッサージ、入浴は十分温まる・・・
こういうことは「面倒臭い」で片付けてしまう、だから「まあワクチンでも打っておこうか」というスタンスなのだ。 地震も災害に対しても同様に面倒臭いからあまり真面目にやらない人ばかり

私は自分で大工をする。そして何かあれば自分で何とかする。今日パワーウインチを買った。平時にも災害時にも何か引っ張ることが必要になりませんか?

600. 人生の指針となる張り紙をしましょう

2025-01-15 16:23:18 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
履歴:東京台東区育英小学校⇒台東中学校⇒白鷗高等学校⇒東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
住居:東京浅草猿若町誕生⇒埼玉県川越疎開⇒東京浅草三筋町、夏は藤沢市鵠沼⇒大阪(門真⇒萱島)⇒京都⇒滋賀(長尾⇒田中)
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
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趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器(昔のものは省略)
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**
     🌸やっと繋がりましたね。やれやれ🌸
人生の指針となる張り紙をしましょう

私は55歳で一人山暮らしを始めその後も田舎町で暮らし続けていますが、60歳くらいで人生勉強会を設立しブロぐやホームページで色々考えを表明し続けてきました。
そこで私の家の庭の村上原基人生勉強会の応接では従来からいろいろな張り紙をしてきましたが、訪問者から言われることが「なぜ村上さんこんなに張り紙をしているのですか?」「張り紙を貼っていてもほとんど守れないのではないですか?」ということです。一般的に「禁酒」の張り紙のように、一向に出来ないことを思い付きで掲げている人が多いですからね。出来ないことをあれもこれも張り紙を掲げてどうにかやろうとする のではなく やったことを維持または更に改善するために張り紙にして掲げましょう

ところが私の場合はかなり守っているのです。私が守ってきたことをむしろ結果として書き留めているのです。そして村上原基人生勉強会ホームページにもいろいろな壁紙を掲載してきました。今回も家や庭の大整理・リフォームのために庭の張り紙を全部外しましたが、あまりに寂しいので一枚の壁紙だけリニューアルし残しました。この内容は私はほぼやっていることです。私が出来ていないことを希望的に掲げているのではありません。
張り紙を掲げるのでしたら、すでにある程度まで出来ていることを掲げましょう、そしてより深めて行きましょう。

597.「ゆったりした暮らし」をどう取り戻せるのか?

2024-12-03 13:31:32 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
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趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器(昔のものは省略)
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**

「ゆったりした暮らし」をどう取り戻せるのか?
人は何時までも若くはない、歳相応に少しづつ荷を減らし、趣味を持ち自分だけの時間も楽しむ、ゆったり自分自身を見詰め直す

私は都会暮らしで長年”せっかち”に生きて来た。小学校の通信簿に「貴方は凄くせっかちです。何も逃げませんよ」と先生はやんわりとですが、私のせっかちとその結果何事もぞんざいなことや引っ込み思案を心配してくれていたようです。当然母も心配していたが、その母も私に直させることは出来なかったようです。それでも、81歳、27年の田舎暮らしの末、最近やっとのこと、ゆったり・ゆっくりした生き方を少しづつではあるが得られつつあるのです。
まあ55歳で山暮らしを始めたことは、少なくとも都会に暮らし続けるよりずーっとゆったりした暮らしへと私を導いてくれたはずですが、でも山での一人暮らしの時期であっても、私はずーっと依然頑張り続けてきたように思います。世の中にすごい業績を上げる人が称賛されますが、この人達も成功者ではありますが、所詮はせっかち・いらちで、ある意味偏屈や頑固や気難しい人間的に必しも褒められた人ではないもんなんです。
せっかちでないし、それほど忙しくはないという人でも日本人の多くはどちらかというと特有の百姓根性で勤勉でせっせと働き、動き回るタイプの人が圧倒的に多い。もし若い頃からゆったりしている人がいたとしたらば、そんな人は、よほど優秀な人か又は日本人としては真っ当に生きていけなかったはずなのです。まあ日本人のせっかちさがある意味日本の経済や文化を支えてきたことは間違いないのですが、問題は60歳とか70歳になってもせっかちな病的な性格をきちんと直さないし直せなくてイライラしたり不都合を感じている人達なのだ。豊かな時代もっとゆったり暮らすべきなのです。
私は過剰なせっかちは一種の病気だと思っています。せっかちをきちんとコントロールできうまく活用できている人はおらず、やはりどうしてもあれこれ弊害が出てくるもんなんです。
戦時中に生まれた私は、体力も並み、頭もさほど良くなく、末っ子で、戦後で貧しかったせいもあって若い頃は自信がなく、せっかちでいつも追い立てられるようにセカセカしていた。ごく最近2年前くらいまでその性格は直そうとしていても一向に直らなかった。ところが田舎暮らしを30年続けて、さすが80歳を超える頃から僅かづつではあるが、やっとゆったりすることが実感出来る気配を見せ始めた。その理由はおよそ次の通りです。
①急ぐと転倒や事故など危ない年齢になった
②筋肉も減ったのでよたよた歩きしかできなくなった
③もの忘れがひどく慌てるととんでもないことになる
④忙しい事が減り、田舎ではゆったり過ごせる環境がある
⑤ゆったり・ゆっくりすることを身体が覚え始めて来た
⑥ゆったりするほうが今の自分であっていることがやっと分かって来た。急がしいことの愚かさもやっと分かって来た
⑦長年せっかちを直そうとしてきて、治せる環境や暮らし方を手に入れた
⑧人生勉強会の活動を通じてこの27年、生き方や暮らし方全般を改善してきた


まあいろいろ並べ立てたが、そうしないと説明できないほど80年間も続いた”せっかち”という病気なのです。以上のように理由は、ほとんど年齢によるものではあるが、「なぜそんなに急ぐの?」「急ぐと何か良いことでもあるの?」若い頃は都会自体がせわしなかったので、私もどうしてもせっかちである必要もあったのだろうが、現在田舎暮らしの81歳の私にとっては、そろそろ急ぐ意味がなくなって来ていることは事実で、急げば何か儲かるとか、最早自分の成長になることはない。すなわちいくら何でも、もうそろそろ”ゆっくり・ゆったり”で暮らすほうがずーっと望ましいようになってきたのである。出来れば70歳くらいにそういうことに気づくべきであったのだが、遅まきながらやっと80歳で気づき出したということである。
いちど”せっかちや急ぐ”をきちんと断捨離すべきなのだ
何故かと言うと最近の私がゆったりしてきて、おかげでストレスが減り日々楽しく生き生き元気で暮らせるよう実感しているからだ。私は55歳で滋賀の現在の田舎に移り住んだし、それ以来田舎で更にいろいろな趣味を体験し、身に着けられて来た。

①田舎に移り住んで自然で自由なゆとりのある環境を得た事
②趣味を増やした事
が、やっとのこと”ゆったりに回帰した”大事な鍵
なのだと思っている。

もし私が都会のマンションに住み続けて、趣味も少ないまま狭いマンションの一室で「毎日何かやろうと焦り藻掻く毎日が続いていただろう」、ゆったりとかゆっくりを永遠に味わうことはなく、それこそ「死ぬまでセカセカしていた」と思っている。それが今はいろいろな趣味があり、また田舎の自然と広々とした環境で、自由に出来ることが気持ちを緩やかにしてくれていると確信している。昭和20年代の東京暮らしの時代にも田舎並みのかなりの自由さがあったのだが、今の都会では全く存在しない。
山や田舎住まいの私の趣味の中には大工とか野菜つくりとか雑草抜きとか町内の清掃とか「それが趣味か?」と疑うようなものも含むことが普通の都会人とは違う点です。都会の人の趣味はお金をかけ立派なお道具が必要なんてものが趣味のように聞こえますが田舎ではありとあらゆる作業みたいなものを自然の野原でやることですら立派な趣味なんです。都会では庭いじりとか草木の剪定とか雑草抜きとか大工仕事なんてやりたくても場所もないし騒音を出せないのでそんなことが趣味だなった言う人は少ないと思う。しかし身近な自然に向き合い、やる作業はゆったりに一番ぴったり当てはまるものだと思います。
私のような田舎で暇な老人に「本日はお忙しいのにわざわざお越し頂いて恐縮です」なんて社交辞令な言葉を言われるが、「俺はあくせく働くほど忙しくはない、忙しいのではとは失礼な」と最近はこういう社交辞令にさえ違和感を覚えるのである。日本人にとっては、「忙しい人=立派な人」なのである。私としては、忙しくてもゆったり出来る人間でありたいと思う。日本人の多くは、まだ暇をじっくり味わい・楽しめる域には到達出来ていないのであり、なんせ、せわしなく動き回る水準なのである。
私以外の多くの人は、私のように二つの鍵を得られていなかったし、忙しい事を目指し続けているのではないかとも思うのです。そういう人は高齢になっても、なかなかゆとりの生き方を取り戻すことは難しいように思います。結果的に「死ぬまでせっかちが直らず、永遠にゆったりを知らない人」となるのです。
環境を大きく変えること、ゆったりとした自然の環境に思い切って入りこみ、そこでいろいろな趣味に目覚めることが大事なんだと私は思っています。過密で高層ビルが立ち並び、なんだかんだと種々雑多なもので埋め尽くされている都会暮らしとか、身近に出来る趣味の少ない人は、「ゆったり」という境地に達することは容易ではないように思われます。昔は都会で毎日いつも何かに追われていたが、今私は少なくとも毎日追われているという感覚は全くない、81歳で田舎住まい、暇だらけで趣味は多い、追われないのは当然と言えば当然なんでしょうが、それでもそう簡単に得られる境地ではなかったように思っている。
ゆったりするとはどういうことかをよくよく考えてみる事ですが、多くの人は「ゆったり」なんて暮らしをしていないので、「ゆったりとは何か」なんて全く分からないままなのです。
私が最近思うゆったりとは、つぎのようなもので、こういうものは年とともに備わって来るものだと思っています。
①ビルが少なく川や山など自然豊かな地域で
②騒音がなく静か、落ち着きのある場所
③過密で人は少ない、人も自動車もあまりいない
④空気や景色がきれい
⑤一戸建て、家や庭や空き地が広い
⑥趣味をやる環境や場所が身近にある
⑦趣味が多く日替わりでも趣味を楽しめる
⑧近所の人も穏やかせかせかしていない
⑨自然自体も遊びの場となる
⑩時間がゆっくり流れる環境に15年以上暮らし続け、慣れる
⑪つまらんことに拘らない
⑫病気・災害・事故などを予防し、準備し備える
⑬十分の暇があり、かつその暇を楽しく使える
⑭忙しく自分を追い込まない、追われない
⑮自分を捨てきる

私なりの考えでは、自由な環境や自由な心境や自由な日々を増やすことだ、都会は自由であるかのような錯覚をしているが全くそうではない。元55年間都会暮らしだった私が田舎に27年住むと田舎の自由さが分かって来たように、日本を訪れる外国人が日本の都会より田舎を好むようになるのはまさに田舎には自由さや優しさやゆったりさやある意味の土地の歴史を感じるからだろう。
都会はあれこれ目の前の欲望を満たしてはくれるがその一方で元来あったはずの自由が奪われている。都会の場合欲望とはまさしくどくどくした欲望であって、田舎に住む私の場合はもっと素朴で自然なものに感じる。自然や自由を失って目先の欲望を必死に負い続けているのが都会人なのだと思う。例えば私は超高層マンションなんかに住みたいとは思わない、贅沢な自動車なんかも要らない、派手な流行の最先端の恰好をしようなどとも思わない。都会の人の趣味はセカセカしたもの闘争的なもの恰好良くしたいものが多いのは事実で、どちらかというと流行や風潮に振り回されたものである。
都会では老人達も僅かでも若者とも競っている、「自分はまだ若いの、恰好良いの、まだまだ負けない」なんて雰囲気があるように思えてならない。力みがある、見かけを気にかけ、何か意味ありげなギラつく老人が多い。私でさえも京都に帰ると、私自身も僅かでも都会人に戻ろうとする気分が出てしまうのであるから。
過密な都会、物やサービスの価格の高い都会では当然のこと、田舎は過疎というとダメな地域と思われがちであるが、都会だって昔は田舎同様に過疎だったのだ、それをあれこれぎっしり詰め込み続けるとあーなるのだ「田舎の成れの果て」に過ぎない。田舎は、しっかりとそうならずに維持出来ていると思えばよいのだ。私が田舎が過疎で滅ぶなんて考え方は全くないし、田舎の将来を心配などしていない、あくまでも自然が存在し続けるだけだから。むしろ都会こそ過密で滅びかねないとかなり以前からひどく心配し続けて来た。田舎は現在も将来も自然であり自由であり続ける、他方、無制限にあれこれ持ち込み過ぎている都会は気が張り詰め、自由度がどんどん減っている。そんなところで「ゆったりせよ」と言うのが無理なんでしょう。
すごくゆったりしています



595.貴方は自由な時代に本当に自由に暮らしていますか?

2024-11-11 11:01:41 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気・多くに挑戦・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
履歴:東京台東区育英小学校⇒台東中学校⇒白鷗高等学校⇒東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
住居:東京浅草猿若町誕生⇒埼玉県川越疎開⇒東京浅草三筋町、夏は藤沢市鵠沼⇒大阪(門真⇒萱島)⇒京都⇒滋賀(長尾⇒田中)
専門:IE・VE・無駄取改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化・資産管理
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器(昔のものは省略)
**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**
貴方は自由な時代に本当に自由に暮らしていますか?自由の意識が欠落してませんか?
 ・不自由な暮らしをして老後を迎え死んでしまうなんて情けない話ですね。
 ・貴方は心底自分が納得するような自由な生き方をしたことがおありですか?
 ・やれ平和とかエコとかリサイクルとか絆とか言うけれど、貴方にとって自由はどういうものなんですか?
 ・物資豊で便利な都会に住むために、かえって自由を犠牲にしていませんか?
 ・これまで一度も心の底から「自由だ」と感じたことがなく、縛り付けられてきませんか?
 ・社会から、会社から、他人から、家族から、常に不自由(拘束)を感じさせられていませんか?
 ・あなたは本当に個性的ですか?今ここで、その個性的なものを全部出してみて下さい
 ・今や平和や自由は当り前になって、しっかり意識出来ていなくて、平和ボケと言いますが、自由ボケしてませんか?
 ・貴方は自由を選ぶのではなく、楽することを選んでいませんか?
 ・大して得ることなく、自分の人生を四角四面に窮屈に生き続けて来ていませんか?
貴方は、心の底から自由ですか?自分の現在の自由さを疑ったことがありますか?もし自由だとして、自由な貴方は何をやっていますか?何をしようとしていますか?現代は自由の大事さの認識が希薄になっている。むしろ自分自身を縛り続けてきませんでしたか?
江戸時代や明治大正時代頃までは身分制度や貧困や家族の厳しい掟や上下関係など本当に不自由な暮らしを耐え忍んで来たので、長いこと、自由を求める空気はすごく強かったと思いますが、戦後一挙に民主化し自由を手に入れ、その後技術革新や法制度の改正などによって現在まで更に飛躍的に自由は進展して来ました。今の時代は出来ないことなどほとんどないほど自由です。私達は徳川家康の何百倍~何千倍も豊で自由な暮らしを享受しているのです。それでもよく観てみると案外わざわざ不自由な生き方をしている人、自由を正しく認識できていない人を私はかなり見かけるのが気になります。もっと自由に何でもやったらいいんですが?
戦後急速に田舎から都会へと言う流れが出来て、都会でお金を稼ぐ人が増え、都会は仕事も多く、物質的に豊かではあったが、過密で物価高の住み難い不自由な場所になって行ったこと、もう一つはあまりに多くの自由を得たために自由に対して不感症になり、少々の不自由さはあまり意識されなくなったり、我慢してしまう癖がついてしまったようです。
貴方は何かするときに①「不自由さ(何か大きな障害)があることを意識しています」か?それとも②「いつも我慢していているので格別、不自由を意識はしていない」ですか
どちらか一方を選ばざるを得ないのですが、どちらを選んでも、必ずそれぞれに何がしかの不自由さが潜在しているのです。子供はその不自由さに耐えられないのでぐずぐず鳴いたり怒ったり正直に不満を表に出してしまうのですが、過剰な自由時代において、大人は我慢することを覚えるのです。そして年齢とともに自由さを求めるよりも我慢をするほうに偏ってしまうのです。
既婚者の場合は未婚者に比べると想定外の不自由さが生じる
都会暮らしの人田舎暮らしの人に比べると想定外の不自由さが生じる
転職しない人転職する人に比べると想定外の不自由さが生じる
上司部下に比べる想定外の不自由さが生じる
頭の良い人は頭の悪い人に比べると想定外の不自由さが生じる
有名人無名な人に比べると想定外の不自由さが生じる
先生先生でない人に比べると想定外の不自由さが生じる
・・・・・・・・・
自分は良かれと思ってやっているが、案外に我慢をしていて、知らぬ間に自由を奪われてしまっていることがあるのです。
例えば、有名人や先生や警察官などは有名税というか、絶えず他人の目を気にかけて行動することが要求されますし、周囲からも真面目であることが求められるので、その分日常的に緊張を強いられ、かなり自由が束縛されます。有名人より私達のような無名な人間のほうがずーっと自由だということを忘れてはいませんか?
「都会暮らしと田舎暮らしとどちらが自由ですか?」こんな質問をしてみて下さい。多くの人は「当然自由なのは都会でしょ」と言うでしょうね。でも私のように元都会人が実際に田舎に長年住んでみると意外なことに、田舎のほうがずーっと自由だというのが実感です。例えば田舎は大病院がないので不安なんて言われますが、そんな場合でも、大きな病気になったその時だけ都会に行けば済むことなんです。田舎にもよりますが、私の住む安曇川のような田舎では町の医院は沢山ありますし一応大病院もあるにはあるのです。また都会と田舎の二重生活でもよいのです。我慢して都会だけに住み続ける必要はないのです。田舎をあーだこーだと勝手に悪く決めつけるのは間違っていると思います。
まあそうは言うものの元々田舎の人自身が自由かというと、やや自由ボケしているところもあるにはある。田舎の自由より都会の不自由に憧れているような若者も多いのは事実であり、それを私は否定しない。田舎に私のように都会の人間や外人が移り住むと田舎の自由を発見するのだ、そんなものなんだ。
日本人自身は日本の素晴らしさに気づいていないのだが、今未曾有の外人来訪ブームだが彼らも日本の自由さ、日本の個性的なものにびっくりしているんだ。

東京・大阪・京都と大都会住まいの後に30年近く山と田舎に独り住まいをして来た私から観ると、まるで別世界の人間のように、都会の人間に凄く違和感があります。多分彼らからすると「そんなこと田舎ペーに言れたくない」ということでしょうが、私も昔は都会側の人間だったから、「お前さんたちいい気になっているんじゃないよ」と思いますね。「何しろお前さん達かなり不可思議な奇妙な行動を当り前のようにやっているんだが、貴方方にはそれがトンと分かっていない」私にしたら申し訳けないが、「勝手にやってろ」としか言いようがない。彼らからすると「自由を謳歌している」のだろうが今の私から観ると「なんとも窮屈な生き方」にしか見えない
コロナの時も過疎地である田舎は、空気もきれい、人込みがないので、私のような一人暮らしの高齢者ほどむしろ、ほとんどコロナに感染する危険を感じたことはありませんでした。また、もし、感染しても一戸建ての広い家でじっとしていることが出来るので、そういう点でも都会ほど困ることはなかったように感じています。今思うと「7回もワクチン注射なんか打たなければ良かった」と思っていますし、最近はインフルも含めてワクチンは一切止めてしまいました。当時、都会に自分の会社や学校がある人だけが当地でもコロナにかかっているような状況でしたね。
また大きな声では言い難い事なんですが、私が55歳の時に妻が他界しそれ以降私は自動的に一人暮らしになったんですが、ほぼ同時に滋賀県山の暮らしが始まったがそういう意味では家族とも離れての暮らしが続いてきた。そして思うことは全部自分で考え、全部自分で決断し、全部自分で自由にやってきたが、「これぞ自由な暮らしだった」のではないかと思っている
老人の私が京都の家に帰ると困るのが家の近くでやることがないので、京都では一日中家の中でじっとしているか隣のス―パーにでも出掛るくらいしかないのです。一方安曇川の家では前が空地、家には庭や土間があり、周囲には自然も、川も山もあるし無論5~10分で買い物の出来る大型店も5~6軒もあるんです。また毎週生協が配達してくれますし、頻繁にネットで買い物をしますが1~2日で配達してくれるので、不自由さはほとんど感じません。
田舎の道路はかなり(チョー)空いていますから目的地には時間通りに着けますし、駐車に困ることは全くありません、田舎暮らしを始めて田舎の自由さをあらゆる場面で実感しています。私は水彩画や卓球や大工仕事や木の剪定などをやっていますが、習い事もできます。スポーツも近くの体育館で出来ますし、むしろ都会より簡単かもしれません。まあそんなことで私は不自由でむしろ自然がなく騒々しい京都に帰ることがほとんどなくなってしまったというわけです。だから京都市内や繁華街にもここ30年ほとんどご無沙汰しています。
それと、とにかく都会の家および玄関・風呂・トイレ・洗面所・庭なども全て狭いですね。私が一人で住む今の田舎の平屋(一階建て)の家は152㎡建坪62㎡で玄関・風呂・トイレ・洗面所・土間や庭も広いですし、一人住まいとしては、たっぷり十分な広さがあります。庭も前後合計70㎡ほど、しかも家の道路の向いにもかなり広い空き地があります。それでも欧米の家は更に一回り広いらしいから日本の都会の家がいかに狭いか不自由かが推測できるというものです。日本の都会は、4人暮らしでは私の家と同じ程度の広さで庭もなく、かなり窮屈です。しかも都会の中古の家でも価格は極端に高いです。都会の家の価格は私の田舎の家6~10軒分はしますし、かつ狭いです。そういう意味では都会では、お金の自由も奪われているのです。収入は多いが案外つましい暮らしをしておられる。
しかし田舎でも、都会とは別な不自由さは伴いますから田舎のどこに住むかは、自分で慎重に選ぶことも大事です。都会暮らしの時から失う自由と、山暮らしで得る新たな自由を天秤にかけてどちらが大きいかで決めたらよいと思います。私の場合は山暮らしのほうが格段に自由でしたが、72歳でさすが体力や緊急対応に自信がなくなり山を降りました。
更に私は東京から関西に移り住み更に滋賀の田舎に引っ越したり会社も4つ転職してきました。引っ越しや転職経験は、私が何か考える場合にも他の人より情報の質も量も多く、考えたり決断する自由度は広いのです。東京に住んだことのない人に比べて、24年暮らした私には、東京の様々なイメージがすぐに頭に浮かんできます、大企業とか小企業についても私にはすぐに頭にそれらのイメージが湧くのです。大都会の暮らしも山や田舎の暮らしも容易にイメージ出来るのです。すごく自由に広く正しく物事が考えられます。
また京都での長い暮らしも、京都に住んだことのない人よりより広く深く体験しているのでイメージもかなり自由に出来ます。他県だけに住む人には観光地の京都市しかイメージ出来ないはずで、そういう点では観光だけで京都に長く住んだことのない人の場合は、ほとんどきょうとについて偏見ばかりで不自由だなーと思わざるをえません。
趣味も同様で私は色々な趣味をやってきましたから、何でも容易に、正しく、自由なイメージが可能ですし、多くの人といろいろな趣味について深い会話が出来ます。
私の山暮らしや田舎暮らしで感じた自由感は他のあらゆることについて自由を考えるきっかけとなりました。「今自分は自由なのか?」「もっと自由な環境はないのか?」
まあ「都会が好き、田舎なんて大嫌い」、「大企業が良い、中小企業なんて絶対に行かない」、「卓球とか水彩画なんて苦手で絶対にやらない」なんて人は狭い経験の範囲で暮らしているのでかなり不自由なんです。そういうことを少しは考えてみることをお勧めします。
◆何故、人や自動車や家の多いところで狭い家に住んで不自由な暮らしを我慢しているんですか?
◆なぜ一か所に住み続けて自分を閉じ込めているんですか?もっと自由に引っ越せばよいのに
◆なぜ一つの会社に勤め続けて毎日ほぼ同じ仕事をやり続けているんですか?もっと自由にいろいろな会社に勤めていろいろな仕事やいろいろな人と出会ったら
◆なぜ趣味が少ないんですか?もっと自由にいろいろな趣味を体験して楽しんだらどうですか?

江戸時代以前の昔には、皆ある意味真面目にコツコツ暮らしていた、体系的な科学技術は存在しないに等しく、いつも厳しい日々であった。だから、そういう時代にはある程度の正当な嘘誤魔化しが必要であった。歌とか踊りとかマジナイとか飲酒とか占いとか信仰・・・とか。でも現代はそんなものはほとんど必要ないはずなのだが、昔よりむしろ嘘誤魔化しだらけの社会になっている。もはやどれが嘘誤魔化しでどれが真実かも分からなくなっている。そんな人間の行動はまさに麻薬患者や泥酔アル中患者のようなものでまともに観るに値しないようなものになっている。そんな者にもはや「自由とは何か」「本来の自由を再度獲得しよう」など到底理解はできないことだろうと私は思っている。
自由に飛び立て、自由に駆け巡れ、自由に新しい環境に突入しろ、そうすることで現在の私のように自由な生き方や暮らしを手に入れることが出来るのですが、貴方は一生狭い籠に閉じこもって、これだけ自由な時代に、わざわざ不自由な一生を生きていくことにならないように注意して下さい。「海外旅行に行きましたとか都会でいろいろな楽しみをやっています」なんて言ってもそんな人が自由かというと、必しもそうでもないのに私は少々心配になるのです。政治家や先生も意外と狭いし不自由を我慢している、そんな人に導かれていて大丈夫なの彼らももっと自由にいろいろな体験をしてほしいものだと思わざるを得ません。
空き地が放置されていますが、そこは雑草が生え放題で環境悪化につながるところを、私は我が家の前の空き地をきれいに維持して差し上げ、その代わりに自由に使わしてもらっています。

586.人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

2024-07-29 20:56:05 | 人生
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**物事は起きてからではなく起きる前にやる 村上原基人生勉強会**

人が変わったと言うが、本当に心底変わっていない人ばかり

私は24歳で東京を出て関西に来て以来、会社・住まい・暮らし方・仕事・趣味・・次々にさまざまに変わってきました。まあ普通の人の数倍変わって来たと思っています。変わるということは、まず変わるかどうかの厳しい決断が必要になりその後変わったことに順応していかないといけない、かつ変わったことを続け、それで終わりではなく更に変わることが大事になる。変わることの連鎖反応、その結果今81歳で思うことは「よくぞ積極的に変わって来た」「人間としての成長に満足」ということです。私の人生を振り返ると「変わる」こと自体そのものが大事だったという感じさえしている。逆に変わらない人は、そんな人の一生はおよそ人生とは言えないと思っている。
ところで
26年前、都会暮らしを止めて55歳からの15年間一人の山暮らしは全く初めての経験であったので最初は多くの時間を山の掃除・片付けをしていた時期があり、小さな森に分け入ってそこを綺麗にするために黙々と雑草を抜いて小道を作ったりしていたのですが、その後もそれが習慣になって雑草を採ることが私の趣味というか専門能力になり習慣化している。そういうことをやっている内に森を綺麗にするのに普通1カ月かかりそうな場所でも3日で終わるなんてことにまで進歩した。でもさすが「趣味は草採りです」と、あまり自慢げに言うことはない。今住む町も朝の散歩道路や空き地や空き家の雑草も採ってきれいに保たれていることで私は僅かに知られるようになっている。
さて雑草を抜く専門的な話は別の時にして、ここでは雑草を人間に例えての話をしたいのです。人間にとっては庭や空き地に雑草がびっしり生えてしまうのは気分が悪いし、繁殖してほしくない草花が増えてしまい、蛇や虫やシロアリが住み着くなど困った面が多い。完全な悪者ではないが今日の話では、雑草=ダメ人間の行いとしておきます。結論は雑草は刈るのではなく抜け、抜いた草はそこらへんに撒き散らす(草刈正雄)のではなく、きちんと処分せよ(草抜和隆)ということが大事で、それを今回のブログのテーマ:「変わる」ことの結び付けて後半で説明して行こうと思っています。

今日の話は、人が変わるということについてです。無論良く変わるということですが、私の周辺の多くの知人を観ていて思うことは、人はなかなか変わらないということ。付き合いの中で「この人はこういう点とこういう点を変えたら随分と良くなるのに」と思うことがしばしばある。しかもそれが私だけでなく周囲の皆が同じ意見だったりするのだが、本人は変えようとしない。その点私はプロ級に変わって来た。本人も気はついているし、自分の悪い癖は理解している。治せるならば直したいが治せないか全く治す気がないというかどちらかである。喫煙や飲酒や過食やごみ屋敷程度の些細なことでも人間は簡単にやめられないのだ
その理由は
①長年染み付いた癖である
②本人はさほど悪い癖と認識していない
③変えるには努力が必要だが到底耐えられない、面倒くさい
④変わる事の意味や価値を分かっていない
⑤変わることが苦手
⑥悪な質で、良いことを拒否する性格
⑦自分勝手、自分中心

簡単に一口で言えば ”やる気が全然ない” のである
「俺、変ったよ」と簡単に言う人が多いが、本人がそう言うほど変わっていない。「あたかも変わったように装って」いるが全然変わっていない

よく軽々しく「貴方最近変ったわね」などと言われたが、実は髪の毛や顔の化粧や衣服の好みが変わった程度の事が多い。そんなの変わったとは言えないどころか、むしろ嘘誤魔化し(詐欺)に過ぎない。本人は「やった」と言うが、周辺の人は「ぜんぜん変わってない」という具合

「変った」ということは周囲の大多数の人間から「すごい、よくぞ変わった」と認められないような場合は本当に変わったとは言えないのだが、本人は「変わった」と信じ切っている。皆さんの周囲の街や組織の中で、「あの人はすごく変わった」なんて言う立派な人を見受けますか?
変るということもまあ5段階くらいに分かれる
✕レベル0.変わったというがむしろ悪くなって行く(最悪)
Xレベル1.あまり関係ない些細な事しか変わってない(ごまかし)
Xレベル2.ほんの一部分しか変わっていない(全部はやらない)▢
△レベル3.一見変わっているが完ぺきではない(完全ではない)
ロレベル4.変わってはいるが、それでおしまい
〇レベル5.変わったことを表に出さず更に変わろうと努力を続ける

あまり変われない人の特徴は、意外かもしれないが、強い人・元気な人・明るい人でもどこか大雑把で反省はあまりせず、前進する気がなく、大事なことが抜け落ちている人「そんな小ぽけな事、どーでもいいじゃん」みたいな”変わることが全くない人”。”変わらない人=頑固=自分勝手=いい加減=自分を観ない”私のもっとも苦手な人の一人である。職場の同僚や上司や先輩にも、そんな人がいませんか?
まあ0~3はよくあるパターンで、こんな人はある意味どうでもいいと言うかまあどうやっても変わらないダメな人。問題は実は4の人なのだ。こういう人は変わったことを自慢するが、時々元の悪い状態に戻ったりする。”変わる”ということは私の経験で言うと自慢する事ではなく、むしろ他人に知られなくても黙々と地道にやる性格でない人は長続きしないし、やった行為の奥深さがなくなってしまう。まあ一応変わってはいるのですが、それが頭のてっ辺から足先まで身体全体に完璧に染み着いていないのです。「変わった変わった」と大騒ぎする奴に碌な奴はいない、騒ぐほどシッカリ変ってはいないものなのです。
例えば、オリンピックで金メダルを取ったといって大騒ぎで喜ぶ選手は私としてはあまり感心しない。むしろ銅メダルでも負けてもオリンピックの本来の目的を黙々とやる人格的に優れた選手のほうを称賛したい。人から称賛されることを追求する人やお金儲けの手段にしている人は私にとっては話にならない類の人なのだ、そんな人を目標にしたり、尊敬なんかしてはならない。例えばイチロー選手や大谷選手がいかに素晴らしい成績を上げても大金持ちでも、私にとっては、単なる野球の美味い普通のおっさんとしてしか認識していないし格別尊敬もしていない私は競技スポーツを勝ち負けを気にして真剣に観ることはない
喫煙に例えるとたしかに「禁煙した」でも時々酒を飲んで盛り上がったときなどに、つい「1本くれる」なんてことで喫煙してしまう。いかにも変っているようで定着や進歩がない。まあタバコならまだよいが麻薬や厄介なものの場合は深刻だ
ダイエットもそうだ、ダイエットで20%も減量したがある時に油断してリバウンドして前より太ってしまう。ちなみに私も喫煙は当初は「1本くれる」タイプだったがも
 ・変わったことを続けること
 ・それで終わりでなく更に引き続き変わること
 なのだ変わったらそれで御終いではない
更に更に大事なことは
  自分がやったとか自分は偉い・素晴らしいと思わないことだ


例えば私は長い都会暮らしを捨て、山暮らしや田舎暮らしを始めたが、こんなことは普通の都会人はあまりやらない
私の歯はかなり健全な状態だが、私のやっているきちんとした歯磨きのやり方や間食しないなどという事をごく普通にやっている人も少ない、だからそういう多くの高齢者が入れ歯だ
私が、あれこれ変わって来て今も続けていることを多くの老人の場合は変われていないのだ。歯磨きの例でもどこか欠陥があるが、「それでよい」と思い込み続けている人が大半だ


変わるということを分かって戴きましたか?
変わって、変わることが身についてくると何にでも対処できる、自信がついてくる、活力が湧いてくる、人生が分かって来る、健康で明るくなる、迷いが減って来る・・・・

山暮らし以降私も村上原基人生勉強会を立ち上げブログを書き続けてきたがその結果自分が本物に変わるように追い込まれることになった。そういう経過を通じて変わることも単なるchangeではないなということが少しは分かって来て、ますます人生の到達点は遠ざかっていくのを実感している。変わろうとして努力してもなかなか難しいのだが、変わろうとしない人は、俗にいう「死ななきゃ治らない」のであり=生きている本物の価値がない人で一生を終えることになります。
以上の考え方は禅でもそのようなことが言われているように思います。

高齢化して気になるのは病気だが、なかなか病院に行って検査や診察をしない人というのがいるが、これがまた「変わらない人」のもう一つの特徴なのだ。こういう人はいくら検査を進めても絶対に病院に行かないのだ。「怖いのだ」そしてアドバイスする人を毛嫌いするのも特徴なのだ。これが夫婦だと「うるさい、黙ってろ」で喧嘩になってしまうのだ。

高齢になって「もうあまりジタバタしないでゆったり老後を暮らす」なんて言う人が多いが、これは大きな間違いだと思う。生まれて必死に勉学を続け、社会に出て更にいろいろ経験し、専門能力を磨き、苦しみや悩みを潜り抜け、成功や失敗も積みあげてきた、いよいよ老後となれば人間の完成のために貴重な時間を費やさないでどうするのだ、一体何のためにこの世に生まれてきたと言うのだ?
65歳以降日々人間として反省したり、更に人間完成のためのチャレンジをしたり、人間としてあるべき本来の姿に仕上げていくべきではなかろうか?「もう変わる必要はない。あとは余生をゆったり好きな事をして暮らせばよい」なんてのは実にもったいない。例えば若い時は日本一の剣豪だった宮本武蔵は、老後は180度生き方を変えて人間らしく暮らしつつ寺の奥にある「霊厳洞」に籠って「五輪書」を書きあげた。
  老後に変わらなくていつ変わるというのだ

「衆生本来仏なり」…人は本来仏なのだから、生きているうちに立派な仏のような人間になりなさい・・・そのために自己を徹底して捨てきって、本来の仏性に近づく生き方をしないさい
死んで仏になるのは、すなわち”仏にならずに死んだ”、”餓鬼のまま死んだ”という意味で人間として最低なんですよ。老後にこそ過去を反省し大きく変わりましょう

私は50歳くらいから大工を趣味にして来た、81歳の今も何がしかの大工作業は続けている。LIXILの「店舗用引戸のキット5.3万円」(2枚アルミ引き戸180×180㎝)を庭の土間の入り口にやっと一人で組上げた「よくやった」

566.みんな歳をとりました

2023-11-09 21:48:32 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営  東京浅草三筋町⇒大阪門真⇒京都伏見⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里区)地図
*************村上原基人生勉強会*************

**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
私も80歳になり、東京の小学校のクラスの同窓会が19日にあるが、京都さえもうんざりしている私は、煩雑な東京に行く理由もなく気力もない。(私にとっては東京や大阪・京都は地獄にすぎません。外人観光客が増えているので町がザワザワと地獄の窯の中状態、つくづく観光地に住まないことだと実感しております)9日私が55歳の時に他界した妻の実家の6人兄弟の夫婦が妹の墓参りに大挙来られた。感想は「うわー、歳とっても案外元気やなー」でも「みな歳取ったなー」「俺はその中でまあまあほんの僅かだけ健闘しているほうかなー」でした。そしてこれは間違いないのだが「あと20年もしたら私も含めてみなこの地球上にはいなくなるのだなー」そろそろ残された人生を真っ当に生きよう。歳を取ったら「何でもやってやれる人間になれ」「表面はグニャグニャ柔らかくなれ」「でも心の奥底や芯は強くしっかりしていろ」「何があっても平然としていろ」
みんな歳をとりました。ちょうど京都に帰宅するとこれまで長年陰性が続いた便潜血検査の結果、要精密検査の書面が来てしまいました。すぐに近場の経験豊かな医院を選び今月30日に初めての大腸内視鏡検査を予約してきました。大腸癌なんでも来い。皆さんも他人事と考えず、便潜血検査は是非毎年やることをお勧めします。私はそんなに不摂生をした覚えはない。日頃から健康には留意している、もう今更何が来ても驚かないぞ、でも戦争や災害だけは絶対にご免だがね。
大工や水彩画に草木の剪定に野菜つくり、卓球や太極拳とラジオ体操、奇麗な28本の歯や目鼻耳も健在、広い庭つきの家一戸建て(しょうじき7年前に350万円で買った滋賀県の家だが)に住めて、付近のハイキング、旧友や地域の友達、気楽に付き合える女性友達も増えた、少ないながら年金をもらい、村上原基人生勉強会でブログを書き、インターネットで世界の情報を瞬時に得、LINEで東京の友人や誰とも連絡し語り合える、子供も兵庫西宮・大阪寝屋川・京都伏見でどうやらやっている、時々友遠方(関東・大阪・京都)より来るあり、この歳にして心の欲する所に従って矩を踰えることなく、確かに体は衰え、物忘れはひどくなっているが、平和で静かで草花に囲まれ自然豊かな過疎な田舎でひっそり、のんびり暮らしていてなんの不満があろうや?…お互いに元気で明るくあれこれやりながら生きましょう。でもその反面老人として芯がしっかりとした他人の模範となるような立派な人間への成長を永遠に止めても緩めてもならない。
 赤肉団上一無位の真人(しんにん)有り。常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ看よ。
ところで高齢者になって気づくことは若い時に蓄えておけ、コツコツ少しづつでもきちんと貯めていく。お金や財産だけでなく、趣味、見識、健康、自信、友人、自由、人格、技術、人間性これらは是非こつこつと貯めて行って下さい。「まあそのうちに」なんて呑気に考えていると歳取って病気がちで性格は暗く一日家に閉じこもる”つまらん老後、つらい老後”になってしまいます

 滋賀県高島市北小松漁港の写生会で描いた水彩画(一年間意欲がわかず絵はご無沙汰でした)今年も5年続き高島市市美展にどうにかこの水彩画を出展します。可能であれば鑑賞にお越し下さい。水彩画ですので「平面」の部門です。令和5年11月23日(木曜日・祝日)~27日(月曜日) 開催場所:新旭体育館(高島市新旭町旭818番地)

555.市川猿之助さんの事件に接して思うこと

2023-05-19 09:01:42 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国家の指導者や企業の社長にこういう事が出来ていれば世界も企業も健全かつ平和でしょうが?)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
東京浅草三筋町⇒大阪門真⇒京都伏見⇒滋賀安曇川
 専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
 人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
 趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
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*************村上原基人生勉強会*************

市川猿之助氏の事件に思う(老々介護が直接原因の薬物自殺の可能性
時々こんな驚くようなことがある日突如起きますが、市川猿之助さんの両親の死亡とご自分の重体、まあこの種の事件がまさかという華やかな生き方をしているよそ目には羨ましいほどの著名人に起きるのですが、まあ華やかさの反面あまりに多くの困難を抱え込み、つらいことも多いのだろうと察します。私など有名人にはならないことをむしろ前向きに喜び、楽しんで自分を納得させています。著名で華やかだからこそ私などの想像を絶する日々つらいことも多いのでしょう。猿之助さんの場合「贅沢な悩み」とはいうものの、そうだからこそ、むしろ解決できそうにないどうしようもない状況に追い込まれることもあるのでしょう。天皇家をはじめ大臣や政治家・有名俳優・プロスポーツマン・その他多くの著名人・・・は、ある意味自由のない暮らしを強いられ、その状況に日々耐えているはずです。

私みたいなしょうもないゴミみたいな人間でも一年に1~2度くらいは真剣に苦しみ悩むことがあります。でもしょうもない人間だからこそ、すぐに案外あっさり立ち直れるのでしょうね。世間の人々を観ても弱者があたかも大変のように言うことが多いのですが、実を言えば猿之助さんのような責任ある仕事をしている人のほうがその百倍千倍つらい日々を送っていることも理解しておかねばなりません。今度の事件も含めて「死ぬという選択」は簡単に決断出来るものではなく、相当大きな問題を抱えていたと察します。
まあ生き方は「清く、正しく、美しく」、無理無駄はしない、健康で明るく、つましく謙虚で、自分のしっかりした人生観を持つ、友人を持つ等々・・・・・・いろいろ基本的なことをしっかりと守るべきなんでしょうが、それでもしばしば突如、世間からの助けも得られないような個人的な大きな挫折はやってくるものです。
そんな時は①誰か相談相手を持つべきだとか、②一人で悩みを抱えるな、とか言うのですが、今度の猿之助さんの場合もそうですが、大の大人であれば、なかなか簡単には自分の苦しみ悩みを他人に打ち明けて相談出来るものではなく、複雑な自分の悩みを完璧に理解し都合よく適切なアドバイスが出来る人がいるわけがないということなのでしょう。否応なしに悩み苦しみは自分一人で抱え、どうにかして解決しないといけないのですが、そうなるとやはり「自分の人生は自分で」が基本で、普段からきちんと自己なり自分の人生を見詰め、無用な迷いを減らし、行きすぎた無理をせず、謙虚につつましく、その上で自己を少しでも磨き、強くしておくことが大事だと思います。私など人一倍、真面目に生きていますが、そのように真面目に生きるほど、他方できちんとした人生観を身に着けるよう努力していないと、ある日トツゼン自己崩壊するので気を付けたいものです。失礼ながら、猿之助さんも47歳まだまだご自分のしっかりした人生観が確立できているとは考え難い年齢ですが、反面、日々心にかかる負担があまりにも大きいのだとお察しします。彼の今の気持ちを察するに「頼むから俺をいっとき見捨ててくれ」かもしれない?自分の自由が奪われるくらいつらいことはありません。

貴方は自由に考え・自由に決断し・自由に行動できていますか?
自分を縛り付けていませんか?周囲から縛り付けられていませんか?重圧を感じ続けていませんか?欲望を捨てる=自由を得る⇒自分の思いのまま
私の過去を振り返ってみると常に自由を求め自由度を着実に拡大してきたように思います。今も極めて自由です。そこが私の場合、非常に重い・高い・広い責任を背負っておられる猿之助さんとは百倍千倍違うことです。私は重い荷物を背負って高い山を登るようなことは34歳:松下電器をやめた時に放棄しましたからね。大組織で会社の重圧に耐えしのぐのでなく自由にもっと自分で日々楽しんで仕事をしようと思ったものです。

微力ながら私も村上原基人生勉強会を運営する者として、改めて、いろいろ役立つべきだと思った次第です。もし何か個人的に相談に乗ってほしいことや少人数でミニ人生勉強会をやりたい場合はご相談下さい。市川猿之助さんの今後の人生が私でさえも大いに気がかりです。なんとか時間をかけて元気なご自分を取り戻してほしいものです。
  悩みの発生⇒深く考える⇒夜寝てからも考える⇒解決できそうにない
  ⇒心身ともに不調に⇒元気がなくなる⇒行き詰る⇒自殺などに進む

物事はあまり深く考えすぎないことです。苦しみ悩みがない又は軽い時はいいとして、通常心配すすぎ、考えすぎは解決よりもむしろどんどん混乱し泥沼にはまってしまうだけなのです。「過ぎたるは及ばざるがごとし」は正しいのです
でも難しいことは、彼に従来通りの歌舞伎役者としての再起を期待することが本当に正しいことなのか?ということです。私としては、しばらくはそーっとしておいてあげるのが良いように思いますが?場合によっては彼の今の状況を大きく変換しても良いのではないかとも私は考えています。例えば猿之助の重圧から離れるとか歌舞伎役者から転身することも選択肢としてありだと思います。「周囲がそれを許さない」というのはいかにも可哀そう。もし今回の原因が何らかの挫折であれば、彼の挫折を挫折としてそのまま素直に受け入れさせてあげたいような気がしますが?私も数回転職していますが、行き詰ったとか新しい道に進もうと思い立った場合私は意外とあっさり新しい道を選んだものです。その点が猿之助さんとは大きく違ったことです。周囲の反対や縛りはなかったですからね。私は他人に相談することなく自分自身で決断してきましたから。そして今考えるとそれは大正解だったと思っています。私は、自分の人生の選択は他人に相談すべきこととは思わなかったからです。それと大企業に入社して思ったことは、バカでかいだけでそろそろ成長の頭が見え始めてきた松下電器の限界も感じたうえ、自分自身も人間関係を巧みに操る上級管理者には不適当だど悟り、自分に適した自分の好きな方向を目指そうと考え直したからです。

町の福祉活動として毎年この時期にバスツアーをやっていますが。今年は多賀大社 と 河内風穴に10名で行ってきました。滋賀県は地味な県と思われがちですが、私は改めて滋賀県のすごさを実感しました。ぜひ一度行ってみて下さい。
私め、最後の住処としてよくぞ滋賀県の小ぽけな田舎を選んだものだ、と自分を褒めてやりたい

548.80歳にして、悪行を正し、清く正しく美しく

2023-01-18 18:40:38 | 人生
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国家の指導者や企業の社長にこういう事が出来ていれば世界も企業も健全かつ平和でしょうが?)
●個人指導や少人数の講演を依頼出来る 村上原基
 東京台東区育英小学校⇒台東中学校⇒白鷗高等学校⇒東京工業大学⇒大阪松下電器
 ⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営
 埼玉川越疎開⇒東京浅草(夏は神奈川鵠沼)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都伏見⇒滋賀安曇川長尾⇒田中
 専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
 人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
 趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
 滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里区)地図
*************村上原基人生勉強会*************

これまで色々変えて挑戦して来た。その結果充実した日々、多様な自分と自慢げに言って来たが、77歳から春~猛暑の夏に身体が不調になり、意欲が減退し、物覚えは最悪になって来た。特に昨年の夏は最悪だった、そこに4月近所に火事があってご近所の家も類焼したが大した手伝いも出来なかった「いよいよ俺もあの世が近いのか、そろそろ、もう駄目か」なんて考え出し、情けない自分になりつつあった。
そこに世界は、ロシアの侵略やコロナや物価高など・・・世の中は、悲鳴を上げ出した。ところがそういう中、私は、昨年酒ビールをきっぱりやめた。簡単そうだが何しろやり切った。その他幾つか改善をしたのが効いたのか、今年正月元日以降、何故かこのところ久しぶりに調子が良い。
些細なことなのだが、高齢者特有の「何となく心や身体が元気なくつらい」という状況がほとんどなくなった。具体的なことを紹介すると
◎寝てから一回目の目ざめまでが長くなった
◎心地よく寝られるようになった(枕・蒲団・温度等の改善)
◎食欲不振もなくなり、胃腸や便通の調子が安定
◎長く鼻炎で苦しんできたが鼻つまりがなくなった
◎不安感が減り、精神的にも安定
◎物価高だが無駄削減によって影響を抑えている
 ※私の無駄削減は今までも紹介したが更に進めてきた
 例(新聞・散髪・旅行・電話・自動車・外食)しない、節電・節水・節ガス、何でも自分でやる
◎頭痛や肩こりがなくなり、腰痛も改善
◎家の素人断熱のかなりの努力によりさほど冬の寒さも苦にならない
※いろいろ改善をしたがその紹介はまた後日に
まあ些細な経験ではあったが、80歳を前にして貴重な教訓を得ることが出来た。「お前はまだ正しいという事がどんな事か分かっていないぞ!」「それが証拠にはもう80年も、悪いと知りながら欲望のまま自分のいろんな悪行を見て見ぬふりをして来ただろう。まだ甘い」「もっと自分をきっちり見詰めろ!」「そうすれば齢は取ったが、まだ成長はある、良いことも起きるぞ」と言われた気がした。

「たかが酒・ビールくらい良いじゃないの、これくらいがささやかな楽しみなんだから」、そうはいうものの長い間続けて来た飲酒の悪習慣は高齢者にとって良いとは言い切れない。同様に女好き・博打好き・たばこ好き・甘いもの好き・買い物好き・パチンコ好き・・・。楽しいから良いではないのだ、80歳にもなったら、このだらしなさや安易さが命取りになるのだ

そこで今年も更に暮らしや生き方の謙虚に見直しをし、過去の自分の悪行を一掃しようと決めた。80歳にしてやっと出来るような気がして来た私であります。つまらん未練を捨て、悪いことをきっぱり辞める「清く正しく美しく!」の一年にしたい。今一つづつ暮らしの見直しを進めている。自分の悪を叩くまだまだお若いプーチンさんも習近平さんも金 正恩さんも是非、私のように悪行を止め”清く正しく美しく”生きて欲しい。ちなみに彼らは悪行世界一、悪行の固まり、歴史的悪行者、悪行三兄弟。彼らにもし遭ったら是非聴きたいのは「なぜ平気で悪行を働けるのですか?」「しかもアンタ達国家の指導者でしょ?」と。何しろ国家の指導者が殺人や拷問や破壊を好きだという事が、どう考えても「指導者=犯罪者」が理解出来ないのであります。

庭に室外の応接室(もともとは駐車場)の無用なものを外しスッキリさせました。







臨時:「時節柄何らかのつらい状況で悩む方の相談を受けます」

2022-10-30 18:22:55 | 人生
●マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来る 村上原基
各種相談 会話 人付き合い 人生 老後生き方 悩み 文書作成
 大工 田舎暮らし 草木の剪定 健康 運動 趣味 管理 改善
 趣味 暮らしの無駄改善 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●一人で悩み過ぎちゃ駄目だよ。気軽に何でも相談にお越し下さい
 滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里区)地図

12月15日迄:時節柄特別に人生相談に応じます
今年はいろいろ想定外の事が起き、そのために精神的・肉体的につらかった人が沢山いると聞き及んでいます。
新型コロナウイルス・ロシアのウクライナ侵攻・不景気・猛暑・物価高騰

そして涼しい秋が来たのに、そのつらさが未だに解消せずに続いている人も多い。確かにどう考えても従来の理解を越えた理不尽な事件や事変や災害が多い。私でさえ混乱して将来不安を覚えるほどです。ましてや世間の人々は私以上のつらさを味わっている人もいるのだろう。

そういう話は私にとってもつらいことです。悩みというのは、抜け出そうとあれこれ考えるほど深みにはまってしまうものです。ところが話を聴いてもらう人も相談する人もいない。私にはそういうつらさが理解できます。この際、従来あまりやって来なかった「人生相談」を安曇川田中の村上原基人生勉強会にお越し戴くなどし、お悩みをお聴きし、可能な範囲でヒントや助言を差し上げられたらと思っています。

私の過去の問題解決の経験が役立つかもしれません。今年は老人性の熱中症に、やや長い期間苦しみ、その末にやっとその苦しみから脱出し、ピンチはチャンスで新たに自分なりの健康生活を発見しつつあります。

悩み苦しみというのは、自分を深く見詰める大事な機会です。人間は失敗し、苦しみそして、そういう時に真剣に考える、考えても回答や結論は出ないが、それでも考える、思い悩む、そして時には「死んでしまいたい」なんてこともある。なんとかそういう困難な山や谷を何度もやり過ごして、粗削りではあるが、自分の人生を形造って行く。しかし若い時は考えても分からず、かえって混乱し、苦難の穴にはまって、抜け出せなくなることも出て来る。そういう場合は人生の先輩である私のような者を頼りにしてくれると嬉しい。ぶちあたったら頼りになるのは先輩、だが、数々の経験や変革をしてきた人は、身近には案外いないものだが、頼りになると確信します。

厳しい状況においては、兄弟や友人やおじさんおばさんや親や先生も頼りにならないことが多いもので、私などもそんな人に問題を相談した記憶は全くないし、そういう人のアドバイスが役立ったこともない。やはり経験豊な人を探し出してきちんと聴いてもらうことが早道だし効果的であると思う。私は少なくともそういう機会を与えていると思ってこの村上原基人生勉強会を運営しています。

とりあえずお話しを聴くだけでも効果があると思いますし、どうぞ遠慮せずにお越し下さい。世界情勢や災害やウイルスをはじめ個人的な身体の不調や解決できない悩みを打ち分けて下さい。期間はとりあえず年内12月7日迄とします

安曇川町のとなり新旭駅近くの並木道フウ(楓)の木の紅葉。真っ赤で見事です。

545.真面目に生きること

2022-10-19 12:18:58 | 人生
●マンツーマン個人指導や少人数の講演を依頼出来る 村上原基
各種相談 会話 人付き合い 人生 老後生き方 悩み 文書作成
 大工 田舎暮らし 草木の剪定 健康 運動 趣味 管理 改善
 趣味 暮らしの無駄改善 物忘れ防止 水彩画 異文化体験 

●一人で悩み過ぎちゃ駄目だよ。気軽に何でも相談にお越し下さい
「自然は最大の友、最大の師」「人は友にあらず、師にあらず」
人は、自然に沿い、そして自然に一体化することだ
 捨てる:自分を捨てる 人も捨てる 過去や世間をも捨てる

 滋賀事務所: 滋賀県高島市安曇川町田中(竹の里区)地図
●安曇川案内や田舎暮らし案内もします、お申しつけ下さい

村上原基人生勉強会  kazutakajiのtwilog  

やれと言うがやらず、やめろとうがやめない、だから変わらん
やめるべき事をやめ、やるべき事をやるのが自然な人生の第一歩
世の中は便利で豊かで自由で安全安心と思うのは大きな錯覚
平和や健康や豊かさは必しも平和や健康や豊かさではない
高齢でも健康なためには日々身体を動かし、負荷を与える事
**************************
テーマ:真面目に生きること

年とると人によって、老後の生き方のスタイルを選択しようとする。確かに70歳くらい迄は、生き方のスタイルがあっておかしくはない

〇〇ライフなど、生き方には種類があるように言われるが、私は最近唯一、単純明快に真面目に暮すことが大事なのだと気づいた。言うなれば「真面目ライフ」とでも言えようか?ところがほぼ同時に、自分が何一つ真面目に出来ていないことも分かって、ある意味愕然とした


79歳になる私の生き方は唯一、真面目に生きることしかない。私は、今更〇〇ライフなどに、何の意味も価値も感じない。せめて残された10~20年の人生を清く正しく美しくきちんと生きたい。古臭い格言だが、「古きを訪ねて新しきを知る」である

年寄が何か身体に不具合が出ると、年のせいにしてしまうが、そうではない、歳を取るにつれ、真面目に暮らさなくなってくるからなのだ。一言で言えば、年齢とともにダラシナクなっている、ずぼらで、怠け癖がついているだけなのだ。日本に限らず世界的に人は堕落し、真面目さを忘れ、失っている。何とか楽をしたい、金さえ出せば何でも買える・・・・。年寄も例外ではなく横着になってくる。高齢化でなく堕落化ではないでしょうか?

最近は高齢者でも元気な人が多い、”悠悠自適とか遊びまくってやる”なんてのは、私に言わせれば実にもったいないですよ。高齢期を真面目に生きるプランを立てることを是非お勧めする。真面目って本質的で大事なことですよ

年のせいにすると「歳だからもう何やっても無駄だ」となりがちだ。歳だから、〇〇だからと自分を納得させようとし、させてしまう。真面目ライフに歳は関係ない、真面目にやればよいだけだから

真面目というが、歳によって、若干の程度の強弱などは構わない。若い人と年寄では、例えば、体力は僅かでも低下するから。でも基本的には真面目な暮らしというのは年齢には関係ない、むしろ年寄ほどあらゆる事に対して真面目であるべきなのだ。

年寄を年寄扱いしてはならないのだが、まず本人自身が自分を「年寄だ、歳のせいだ」として片づけてしまう。私はそうではないと考える。「堕落だ不真面目だ」と考えるべきなのだ。そうしないと高齢化社会はマイナスでしかない。高齢者=不要物、高齢者=社会や家族のお荷物ということになってしまう。

少子高齢化だからこの国はもうダメと言う思い込みはそろそろやめませんか?

かなり稀ではあるが、そういうことがきちんと出来ているお年寄りに出会うことがある。禅寺の僧などがその典型であり大いに学ぶべきである、出遭うと言っても本やテレビでのことで私の周辺にはまずいない。年とって現役を離れると多くの老人は不真面目に〇〇ライフなどをやりがちなものである
朝起きて、顔洗って、テレビつけて、菓子パンとジュース、便秘ぎみで数日出ない、運動するでもなし、勉強するでもなし、作業するでもなし、またテレビ漬け、昼は外食、特に友人もいない、いてもろくでもない友人、趣味はパチンコくらい、買い物して、家に帰ってまたテレビ、一日本も読まず、何も考えず、あちこち身体はボロボロ、外出と言えば医者通い、夜はビールだ酒だと下らん会話して飲み明かす、そして眠くなって寝る、そういう繰り返し、日々特筆すべき変化はない、実に不真面目な暮らしだが、まあどっちにしろ、間もなく死ぬ身だと悟ったようなことを言うが、まあ言ってみれば人生を諦めている・・・・こんな老人は多い
こんな話、つまらないし、お分かり難かったですか?



10月16日庭の土をめくり、高さを調整し端を少し掘り下げ、幅1mの防草シートを2時間で敷き詰めた。簡単そうだが、案外難しいし大変だったが、きれいに仕上がった。

10月18日ご近所の家の庭2日前に防草シートを敷き詰め、業者が小砂利を搬入してくれたのを一輪車50杯運び小砂利を周辺に綺麗に敷き詰めた。重い石を運搬し、老いた身体にかなりの負荷かけました。