村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

579.私は旅行・観光を止めた、もう私は過密地には行かない

2024-04-28 14:20:59 | 観光
悩み・苦悩を放置せず自分で改善するか相談する良き師を持て
清く・正しく・美しく・明るく・元気で・多くに挑戦し・謙虚に・質素に
(国の指導者や会社社長がこういう事が出来ていて健全かつ平和でありたい)
東京工業大学⇒大阪松下電器⇒エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク創業自営 
東京浅草(猿若町誕生⇒三筋町)⇒大阪門真⇒萱島⇒京都⇒滋賀安曇川
専門:IE・VE・無駄取り改善・生産管理・環境管理・経営管理・人生・会話・田舎暮し・PC
人生関係:人生勉強・会話・老後・健康管理・運動・確定申告・異文化体験・資産管理・
趣味:大工・剪定・テニス・スケート・読書・ネット・ブログ・太極拳・卓球・水彩画・楽器
滋賀事務所:滋賀県高島市安曇川町地図
*************村上原基人生勉強会 村上原基***********

**物事は起きてからではなく起きる前にやる**
  私は旅行・観光を止めた。観光振興は良いことか??過密化を加速する政策は何であれ、そろそろやめよう。貴重な連休に過密な場所や観光地に行くのはやめよう。私の住む観光地でない過疎な安曇川みたいな場所に敢えて行こう・住もう。 自分の住む土地にしっかり根を生やして、穏やかに、つつましく日々を送りましょう「もしやたらに観光したい人は、思い切って今の土地を去って引っ越ししよう」

最近は日本に来る外国人も増え、円安だというのに日本人も連休には猛烈に多くの人が旅行する。これは世界中どの国でも同様なようだ。円高ならともかく、私は円安の時は国内も海外にもくだらん旅行なんかはしない。外人は安く旅行出来、日本人の旅行はかなり高いなんて、やってられない。円高の時はとにかく国産素材を利用することなど倹約し観光なんかは当面しないことだ。81歳の私は55歳で田舎暮らしを始めて以降その後東京の両親も他界したこともあっていろいろな理由で仕事や所用の場合以外の旅行は全くやめてしまった。東京での旧友との会合や東京の親せきの家にも行かなくなった。私が高校生くらいまでは旅行(電車での)なんてのは、行く先は関東圏で、せいぜい一年に1~2度くらいのものだったし、しかもインターネットなんかなかった。
現在住む高島市安曇川は静かで自然豊かな場所、この地にいれば混雑する観光地にわざわざ行く必要もない。田舎は、都会と違って、空き地・空いた道路・どこにも駐車場・広い家と庭・広大な野や山・川など近くに遊ぶ場所が当たり前にあり、人は極めて少なくストレスもない。ちなみに私は、旅行だけでなく、新聞もスマホもテレビも止めた。今やインターネットで海外や日本各地を必要な時に詳細に説明付きで観られるし連絡(mail)も出来る、私は東京⇒大阪⇒京都⇒滋賀、大都会⇒山⇒田舎と引っ越しをし、会社も大企業⇒零細企業⇒ベンチャー企業⇒コンサルタント会社⇒自営と5回転職してきたのだが、旅行などと僅か1~2日出かけて遊んだりしてその地の事がきちんと分かるわけがない、というよりむしろ誤解するのが落ちで、間違いだらけの人生を送ることになり、あまりにくだらない。
私が東京から大阪や京都や滋賀に移り、10~20年と長い間、住んで暮らして関西弁も話すようになり、大阪や京都や滋賀の湖西の文化や人情や暮らしぶりがやっと分かってきたのである。東京も関西も京都も大都会も琵琶湖も山も田舎も実際に暮らして経験した。仕事や遊びで全国各地にも、さんざん行ったが、やはり1~2日では、それらの地についてしっかり正しく理解は出来なかった。観光や旅行で誤魔化すのはよくない。東京観光したって東京のことは理解できない、間違った東京を知るだけの事だ
『一体1~2泊の旅行程度のことで何がわかるというのだ?』お金や時間や資源や労力の無駄、疲れが残るだけ、経済や健康や環境にも何も良いことはないのだ
単なるありきたりのお土産旅行・観光旅行・グルメ旅行・箱もの旅行・名所観光なんかに私はあまり興味も価値を感じない。
しかも京都の場合、外人や国内の観光客が増え過ぎて市民の生活に支障が生じている。京都の不動産は中国や台湾やアジアの金持ちに高額で買い取られ、京都の不動産は高くて若い日本人は買えなくなっている「それ見たことか!」。京都人の多くは滋賀県など近県に引っ越し、京都市は、それまでの放漫政治も手伝って財政破綻市になっている始末。結局、観光都市京都をダメにしてしまいかねない、そんなものを国家として必死に推奨し補助することに違和感を感じる。私の住む安曇川は限界集落と言われているがそれはそれで一向に構わないが、千年の都がパニックになっているのは、何とも情けない。日本人が金欲しさに外人観光客を安易に増やそうとした天罰なんだろうが、何ら利益を得ない一般京都市民が被害だけを受けてしまったのは可哀そうと言うしかない。政府の身勝手な観光誘致による被害者の京都一般市民に対して政府は「一言の謝罪も弁償もしない」。
観光なんかに一挙に多額な補助金をばら撒くと一時の混雑・混乱・破綻で終わりかねない。観光なんかに税金を投入するのではなく、暮らしやすい地方を実現するためとか若い人が適正な価格で家を買えるようにお金を使ってほしい。観光地で利益を受けるのはごく一部の人間だけで、観光地に住む住人には観光で来てもらうのはむしろ甚大な迷惑に過ぎない。補助金なんて政治家の無能を示すもので、そんな程度のお粗末なものに過ぎない。
何の場合でもそうだが一挙に衝動的に何かに力を注ぐと、あとで必ず歪みを生じることになる。過去にそういういい加減なことが繰り返されてきたことを思い出すべきだろう。何事も自然が基本で、旅行なんてものは現代になって急速にはやってきたことで、江戸時代以前、昔はせいぜい1年に1~2回の事だったし、当然のことインターネットもなかったのである。
そういうことを考えれば都会を捨て自分の住みたい場所に引っ越し、田舎や地方の町でのんびりゆったり暮らすことで、長期休暇になると一斉にあちこち旅行し環境破壊になることもないと思うのだが?55歳で田舎暮らしを始め27年になる私の考えは自然に親しむこと、そういう平凡な暮らしの中に日常やることが沢山ある。旅行したからといって一見目新しく見えるものは、人間の噓誤魔化しの産物にすぎないのだ。そんなものに感激しても益々嘘誤魔化しの人生に染まるだけのことなのだ。「他の地に行ったら何か素晴らしいものがある」などと幼児のような事を年齢を重ねいつ迄も信じていてはならない
リニアモーターカーや高速飛行機などで世界中全国各地を動き回り環境破壊、住民の暮らしを破壊することも良いことではないし、人口減少時代・インターネット時代には無用なものでしかない。
環境破壊・異常気象・人口減少・財政破綻・・・などを考慮し観光振興は、ほどほどにしてほしいものだ。
※※※旅行とは他の地を観ること、他の地を観るとは自己の地を観ることなり、自己の地を観るとは自己を観ることなり、自己を観るとは自己を忘れることなり、自己を忘るるといふは、万法に証せられるなり、・・・・・てなことでしょうか(道元風に言えば)?旅行が自己に何らの価値をもたらさないのであれば、ムダで、止めるべきだ※※※
私の田舎の住まいでは春になって花が咲き始めている。安曇川・新旭の桜も見事なもの(観光客はほぼ0)

ゼラニューム冬も咲いていました、春になって一層輝きをましています

滋賀県高島市安曇川川島の桜並木、花見の人はほとんどいません。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 578.老後を生き生きと暮らす... | トップ | 580.2年前にビールをスッパ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観光」カテゴリの最新記事