村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

12.増える偏りたがる現代人へ、偏ることの危険性について

2006-01-30 18:04:52 | 人生
私は、人間を二つに分類し次のように定義しています。

人種1:カタヨリスト(どちらか一方に偏りが大きい人)
人種2:バランシスト(両面を心得て、妥協しつつうまくバランスをとっている人)

人間というのは、多少程度の差はあっても物事の両面を受け入れて、その間をやじろ平のように左右にゆれながら、平行を保つようにできているのです。そうしないで、一方向に固定する又は偏ったまま放置しておくと、必ずと言ってよいほど、不幸や事故や失敗をしてしまうのです。自動車の運転でさえ、真っ直ぐに走っているのでなく、ドライバーが常時ハンドルを左右に微妙にふらしているからむしろ安全なんです。
わかりにくいかもしれませんので、例で説明しましょう。

1.肉が好きで肉食に偏ると、高血圧や肥満や癌やその他重症の成人病の元になります。肉は身体に良いからと言って肉中心の食生活をすると身体を壊してしまうのです。
2.拝金主義と言って世の中には、「金よ金さえあれば幸福になれる」みたいな人ですが、こういう人は、金で買えない大事なものを失っているのです。
3.頑固な人というのは、身の回りにすこぶる多いのですが、言うまでもなく典型的なカタヨリストです。
4.女は美人なら誰でも良いという男、美人であればすぐに惚れてしまい結婚したがるが、結婚した相手が中身のない女だったとしますと「とんでもない奴と結婚した」「顔はいいが家事はしないし、つまらん女だった」と一生後悔するのです。
5.頭の良い人は何事もまず頭で考えて良い・悪い、やる・やらないを判断してしまいます。物事はやってみないとわからないということが、理解できてないのです。いわゆる頭でっかちで悪賢い人々です。
6.「身体が丈夫で健康には絶大な自信を持ってます」なんていう人に限って、そのうち大病をし寝たきりや若死にしてしまうもんなんです。
7.戦後日本は欧米流は何でも良いと日本式の良い面をあれもこれも捨ててしまいました。しかし最近欧米人は、日本の文化のたぐい稀な素晴らしさを見直しているのです。
8.秀才で一流企業に入り、見目麗しい女性と結婚し会社での働きも素晴らしい世間一般が羨むような、出世街道のレールの上を歩む三高、四高の男性ですが、はたが見るほど、言うほど、幸せではなく、本人は人生の夢も希望もなく土日は家で一人モンモンとしてぐったらぐったら暮らしている。

その他例をあげればきりあありません。

諺でも次のように偏った考えや行為を諌めたものが多数あるのです。ということは安易に偏ってしまうのが、さもしい人間の宿命であるということなんでしょう。
「紺屋の白ばかま」「木を見て森を見ず」「医者の不養生」「過ぎたるは及ばざるが如し」「急がば廻れ」「負けるが勝ち」「禍福はあざなえる縄の如し」「一病息災」・・・・・

自然は、よく見ると、物事の両面を巧みに調整して安定を維持しています。同様に人間も両面をきちんと持ってバランスをとりながらやっていかないとうまくいかないものなのです。へんな言い方ですが、「二重人格」というのはある意味望ましいことなんです。例えば、男女(おとこおんな)のほうが女だけ男だけより望ましいというわけです。
やじろ平は、左右に身体を振らすから立っていられるんです。真っ直ぐではないがフラフラゆれながらも容易には倒れないのです。綱渡りをする芸人は、長い重い棒をもって綱の上に乗ります。やってみればわかりますが、この長い棒を持たずに綱渡りするのは至難の業なんです。
二足歩行する人間は、実を言うと人間はまっすぐに立っているのではなく、常時左右に触れながら微調整しているから立っていられるのです。左右にふれずにまっすぐに立っているだけですと、力がどちらからかかると簡単に倒れてしますのです。
人は、「カタヨリストは危険でバランシストはより安全だ」という原理原則をきちんと認識していないものなのです。又は日々の生活や仕事にこの考えをきちんと使っていないのです。多くの人はカタヨリストだということです。人生は時々、日々、毎月、毎年右に行ったり左にいったり上がったり下ったりするもんなんです。右にも左にも上にも下にも行かないような人生は多分実りのない、むしろ不安定で危険な人生なんです。
幸福・成功・勝利・健康・裕福・・・だけが良いのではありません。不幸・失敗・敗北・病気・貧乏を体験して始めて一人前とういうか本物の安定が訪れ、本物の安心が得られるのです。

もし今貴方が一方に偏っていたら、それは大いに危険信号ですよ。幸せの絶頂は不幸の前夜かもしれないのです。(偏食・偏屈・偏見・偏執・偏狭・偏愛・・・・)

①俺は男だ女のことなんか知るか
②俺は客だ偉いんだぞ
③俺は強いんだ、弱い奴はぶっとばすぞ
④金のない奴はもっと努力しろ、俺の知ったことか
⑤俺は身体が丈夫だ、無理しても大丈夫だ、病気なんかするもんか
⑥俺は上司だ部下をこき使うのが仕事だ、てめえたち働けよ
⑦日本人は戦争犯罪者だ、何でも謝っていればいいんだ、絶対に許すもんか(中国・韓国人)
⑧親は文句ばかり言いやがる、親なんかいらんのだ
⑨俺はいつも正しいし、他人の言うことなんか、馬鹿馬鹿しくて聴いてられないぜ
⑩俺は肉が好き、野菜や魚なんて不味くて喰ってられるかい
⑪俺は医者の先生だ、患者は俺の言うとおりすりゃいいんだ
⑫年寄りは、汚い・臭い・うるさいだから嫌いじゃ、あっち行け
⑬きちんきちんと真面目な奴は嫌いだ、しんき臭くてたまらんわ
⑭人生は、今を楽しみ面白おかしくしていればいいんだ
⑮勉強なんかやってられるかい、遊んで飲んで喰ってやりたいことやるだけで誠意一杯じゃ
⑯金持ちはなんでも好きなことができるんじゃ、貧乏人なんか付き合ってられるかい
⑰俺は社長だ、社員は俺の言うこと聴かんと給与下げ、降格し、俺の一言で首にするぞ
⑱好きな人と結婚すれば、必ず幸せになれる「愛しているから幸せよ」
⑲大きな会社に入って、失敗せず、出世していけばそれでいいんじゃ
⑳修行だなんて嫌じゃ、なんでそんなしんどい思いせないかんのか
・・・・・・・・・・
雨が降れば晴れの日もある、雪の季節があれば草花で一杯の季節もある、寒い日もあれば暖かい日もある、それが自然界や人生の重大な法則なんです。むしろそういう「ゆれ現象」を前向きに取り入れて健全な発展をしていくことが人間にはもっとも大切なことなんです。
一本調子の貴方、マンネリの貴方、頑固な貴方、元気のない貴方、冒険をしない貴方、家に閉じこもっている貴方、化粧や衣服にしか感心のない貴方、美人の尻を追い回すだけの貴方、一日パチンコばかりしている貴方・・・・・・もっとあれこれやってみなはれ。
「失敗した・とんでもないことになった」ですって、それはそれで良いことなんですよ、夜も眠れないようなつらいこと、何年ももがき苦しむこと、本当の平静や平和なんてものは、そういう戦いやもがき苦しみの後に来るもんなんですよ。むしろ失敗も事故も病気も不幸も味わわない人間は成長しないですよ。
株式で大儲けして贅沢な生活しているデイトレーダーの若者や堀江もんみたいな若者は、最悪・最低の人生を送る不幸な運命なんです。
堀江もんなんかも典型的なカタヨリストで、偏り方が半端でなく自分もわからないくらいのめり込んでしまい、気づいたら拘置所の中にいたということなんです。偏る人というのは、いつしか自分がかなり偏っていることの認識すらなくなっていくほど、更に偏っていく運命なんでしょうね。身体を使うこともなく家でごろごろしていて、あれこれ食べているうちに、本人も気づかないうちに、百貫デブ/千貫デブ(巨大肥満)になってしまうのです。
 ・俺は男だもよいのですが、時には女の一面にも触れるべきであり、
 ・男子厨房に入るべからずでなく、男子も厨房に入るべしであり、
 ・社長や部長も時には、部下の立場に立つべきであり、社員は社長や部長の立場に立つべきであり、
 ・奥様はだんなさんの立場に立ち、だんなさんは奥様の立場に立つことも大切であり、
 ・アメリカはイラク(特に反対派)の立場に立つべきであり、イラク(特に反対派)はアメリカの立場に立つべきであり、
 ・韓国・中国は元敵国・敗戦国日本の立場に立つことも必要なんです

どちらか一方という点では、日本の政党・政治家もそうです。与党も野党も、カタヨリストの典型であり、柔軟性がなく意固地・頑固です。その最たる政党は共産党や社民党でしょう。ある意味自民党も民主党も同類ですね、少なくともバランシストではなく意固地・頑固(小)ものです。カタヨリストの政党は、国民に心底受け入れられないばかりか、どんどん国民の心から離れ、堕落し凋落していくばかりです。民主党も、「自分の党は正しい・自民党は出鱈目だ」と”文句を専門に言う政党”という印象を国民に強く与えてしまっています。口では二大政党と言ってますが、このへんが万年野党の原因でしょうね。
国民にとっては、与党の自民党と一緒に協力して、この国を素晴らしくしていって欲しいのですが、一向にそういう気配はなく、無駄な対立やあら捜しや批判や文句ばかりを国会でやっていては困りますし、本物の政治になっていないことで、民主党が力めば力むほど、むしろ政治不信や民主党離れに輪をかける原因になっているのです。
良い悪いは別にして、自民党や小泉さんを支持している多数の国民がいることを忘れてはいけません。民主党は、他の野党と同様に文句屋・反対だけ・感情的・野党的・チッポケ・チンケ・無責任・自画自賛・糞真面目なだけ・・・・のようにとられてしまうだけなのです。与党になろうとする政党というのは、「自分の党が全て正しい」というポーズを徒に強調するだけではなく、基本的には、国民・国家のため極端な理念を振り回すことでなく、中立であってその中で、責任感や裏づけのある前向きな政策・対案を常時明確に提起するようなことであるべきです。二大政党の一方の党は、「反対・反対」「非難・非難」ということをあまり前面に出すべきではないでしょう。台湾もそうらしいのですが、国会でとっくみあいの喧嘩をするような、そこらへんのあんちゃんのように喧嘩ぱやい感覚の政党は、与党にはなれないのです。
ことほど左様に対立とか競争というものは、行き過ぎると弊害が多いのです。うまく両方を尊重してバランスさせることが肝要です。
日本では、昔から、次のような素晴らしい言葉が普通に使われて実行されています。

・穏便に丸くおさめる(欧米人などには、絶対にできない芸当です)
  注):欧米等では、逆に自己主張し、そのために相手と戦い、打ち負かし、自分の意見を通し、自分の利益とする。自分を守るには鉄砲で相手を撃つことは当然であり、平気なんです。欧米人等は日本人は優柔不断だとかなんとか批評しますが、彼らは偏った立場で物事の良し悪しを決め最後は力にものを言わすだけなんです。

日本には、まだ、世界に類稀な素晴らしい「穏便に丸くおさめる」という考え方というか手法というか習慣があるのです。日本人は対立・争う前に、そういう深刻な事態を回避するための根回し・付き合い・付け届け・尊敬し合い・へりくだりあい・遠慮や配慮に並々ならん努力をするのです。その努力たるや外人がみたら馬鹿馬鹿しいというか卑屈にも思えるほどのものなんです。(外人には、なんとも不思議なことをする民族だと思うでしょうね、彼らにはわかりっこないですよ)
もし世界中が日本のこの考えを取り入れれば、世界は平和になること間違いなしなんです。こういう考え方は、やれ世界の非常識だとか、悪いやり方だなんて誠しやかに言う大そう立派な学識者の方もおられるようですが、そんなことはないのです、世界でこんなことが当り前にできているのは、世界広しと言えども、日本人くらいのもんなんです。
「一方に偏しギスギスするのでなく、どちらの立場も取り入れてうまく丸く物事を納めていく」という本来素晴らしいはずのこの言葉を、当の日本人自身でさえ、欧米人の批判を真に受けて、ゆがめて薄ぺらいものに変形させてしまっているのは嘆かわしいことです。
特に欧米をはじめ多くの地域の人々には、こんな簡単なことでさえできないのです。頑固というか心が狭いというか、コテコテの日本人の私に言わしてもらえば、自然の法則に逆らったこういう欧米流の個人主義や自己主張や対立主義は、世界・国家・企業・個人のあらゆることに行き詰まりをもたらす何ものでもないのです。
もっと人間は自然の英知を学び、「偏る」ことの危険を強く認識すべきと思います。
自然を見ると、糞人間どもが愚かしい屁理屈だけで、物事のyes/noをせっかちに決めるようなことをせずに、謙虚に素直、気の遠くなる時間をかけゆっくり慎重に評価し是正していくのです。自然の歩みは、欧米流でなく、まさしく日本式なんです。
現代人は都会に住み過ぎ、依存し過ぎています。もっと自然の懐に飛び込み、交わることが大事なんです。都会にいて、豊かで便利な生活をしながら、環境問題の根源的なことや基本的なことを論じる空しさが理解できるはずです。都会で暮らす人は、半分を田舎で暮らすべきなんです。これは肉食の人が同量以上の野菜を食べるべきだということと全く同じことなんです。一日30種以上の食べ物を食べよということと同じなんです。

金正日は論外ですが、例をあげるまでもありませんが、ブッシュ米大統領や日本のやることには何かにつけて非難ばかりする温家宝中国首相・盧武鉉韓国大統領などは典型的なカタヨリストです。「穏便に丸くおさめる」なんてことは、これっぱかりも考えてませんし、そんなことは絶対にしません。
日本は、第二次大戦では、多くのカタヨリストの世界を相手に日本のお人よしが無謀な争いをしかけてしまい、裏に出たケースでしょうね。無謀にも真面目なだけの子供が辣腕な大人に喧嘩しかけたようなもんだったんです。世界にはそれほど恐ろしいカタヨリストがうようよしているのです。
そこそこの国で日本だけですよ「戦争放棄」を憲法でうたっているのは。そういう国を強大な軍備を持つ中国や韓国が日本はまたまた戦争をするのなんのと言いがかりをつけているのです。靖国参拝問題なんて中国と韓国のごく一部の人のでっちあげた日本虐めの手段の一つに過ぎないのです。日本国民の大多数がほとんど問題視していないんですから、外国がとやかくいう問題ではないのです。ところが日本のマスコミの馬鹿者だけは、こんなことを取り上げるのです。それも中国・韓国批判でなく小泉批判一色なんです。なんなんですかね?日本の政治家同様に、日本のマスコミの幼稚さ・愚かさは信じがたいのです。
中国と韓国だけは、どんなことでも、日本たたきの道具に使うのです。日本と心底仲良くなろうなんて思っていません。日本を利用し日本から甘い汁さえ吸えれば良いのです。恐ろしいことに現実の世界や外交とは、そんなもんなんです。「穏便に丸く」なんて崇高な考えというか甘い考え方は、残念ですが、多分日本にしかなく日本にしか通用しないのです。

カタヨリストというのは、一見良さそう・強そうに・格好良く見えますが、結果的には行き詰まり最後は大きく崩壊する運命なんです。
見ていてご覧なさい。アメリカや中国は今のままでは、そのうち、とんでもなく大きく崩壊しますよ、それどころか世界を巻き込んで世界の崩壊につながる恐れが大いにあるんです。クワバラクワバラ、カタヨリストとは、あまり深く付き合わず、そこそこ距離を置くことです。同盟関係とかなんとかうまいこと言われて、さんざ金を巻き上げられ、こき使われ、あげくはポイ又は切り捨てご免がいいところですよ。
『カタヨリストは世界も滅ぼす』のです。

最後に貴方は
「カタヨリスト」それとも「バランシスト」ですか?
多分、物凄いこてこてのカタヨリストでしょ?例えば話をするのでも、仕事の話ばっかりだったり、女の尻や胸がどうのこうのばっかりだったり、身内や会社の上司の愚痴ばっかりだったりするんじゃありませんか?そういう貴方には、生涯、本物の幸福が訪れることはありえません。もし、あったとしたらそれは偽者か一時のもののはずです。

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11.堀江もんは結果的には貢献している。狼狽するだけでなく社会が反省すべきだ。

2006-01-24 10:09:17 | 株式
昨日、堀江もんが、ついに逮捕になりました。堀江もんは、どうも少しやり過ぎたようです。
ところで、今回の事件で株価が下っていますが、この株価急落は、日本で個人投資家が多くなっている証拠なんでしょう。一般に、素人というものは、こういう場合にすこぶる狼狽するのです。今は売りでなく買い場なんですが、こんな時、素人は目の前の状況におびえて異常に狼狽するのです。「どうしよう、株式投資はもうやめようか?明日売ろうか?」と考え込み夜も寝られなくなってしまうのです。そして朝起きて、株式が下がるとせっかくの株式を売ってしまうのです。個人投資家は今こそ、早く買い戻すべきなんですがね。日経平均株価の今年目標は18,000~19,500円くらいと言われているんです。
例えば、女の子が殺され事件が2,3件おきますと、親は「子供を外で遊ばせない、おじさんと口きくな」なんてことをやってしまうのです。「あつものに懲りて、なますをふく」になってしまうのです。特に現代人というものは、全てにおいて素人的であり、人間としての基本的な能力が著しく低下していますので、戦争・事件・災害・大きな不幸にあった時に冷静な判断や行動ができないのです。そしてまずいことは本来やってはならないことをやってしまうものなんです。逆のことをやってしまうのです。今回のライブドアー事件でライブドアー関係以外の株式を狼狽売りしている素人の個人株主さんは、まさにこれに、はまって全く逆のことをしているのです。そしてあとで「大失敗だ」となるのです金に縁のない人は最後まで金に縁がないのですね。
ところで堀江もんのライブドアーは大変なことになっています。詐欺にあったライブドアーの株主もとんでもない大被害を蒙ったのです。一週間で、全財産を失った人や大きな借金をかかえた人もいるそうです。心からご愁傷様です。そういう点では、目下のところ堀江もんやライブドアーの経営層は許しが難い存在なんでしょう。まあ偉そうなことは言えませんが、ライブドアーの株式は短期売買の対象であって長期投資にはむいていなかったのは事実です。100分割の時、即売ればよかったんですが、当時、堀江もんの陰謀がわからず、結果的に私も損しました。(でもその後取り戻し、最近は見向きもしませんでした)株式分割は、常識的にせいぜい2~3分割までですよね。10分割以上~100分割なんてことは常識的に、ありえないことなんです。そういう会社の株式は怖いですよ。できれば早く見切ることですね。
しかしへそ曲がりの私は、「堀江もんは、どうやら本人もわからなくなるほどの悪党なんでしょうが、でも日本にとっては結果良し」ということもあって、一概に悪党とだけ言えなさそうなんです。瓢箪から駒ではありますが、日本をかき回し、彼は結果的に日本を良くしているのです。今回の事件でも結果的にかなり多くの問題を抉り出し、改善しようとさせてしまったのです。

『堀江もんは悪党だが、堀江もんはまさしく改革の火の玉なんです』

堀江もんは、壊し屋(改革のブルドーザー役)なんです。最近では姉歯の強度偽装事件も、多くの人々に、法律の不備やいろいろな教訓を与えてくれたのです。かつての鈴木宗男さんも、そういう意味では功労者だったんです。彼は今猛反省して仏の鈴木みたになっていますが、堀江もんはいかになりましょうや?多分、彼は、当面かなり長きにわたって、地獄をさ迷うでありましょうね。
①プロ野球業界の窮地を救った
②プロ野球業界の古い体質の改革の糸口を作った
③会社のM&Aについて警告を与えた
④株式投資の裏の面を教えた
⑤東証の経営者や管理がかなりお粗末なことを明確にした
⑥東証の管理や経営が日本にとって非常に重要なことであることがわかった
⑦あまりにも小さい東証の株取引処理能力を引き上げる決断をさせた
⑧個人株主に株式取引の怖さを教えた
⑨経営状況の正しい情報開示に問題のある会社の存在を教えた
⑩きちんと会社の経営状況を掴んで株式取引することの重要性を教えた
⑪IT企業を中心に上場企業は、誠実な経営を行い、正しい情報開示をしようと反省した
⑫世の中の潜在化する問題を顕在化させた
ようするに「壊し屋が、悪いことやって、良い結果を得た」ということになるのです。

こういう事件がおきてから吃驚し、大騒ぎする体質は大いに危険です。世の中の中身がここ100年で大きく変革してしまった現在、世の中の器のほうも大きく変えないといけない時期なんですが、器は古いままなので不整合が次々におきてくるのです。異常な速さの進歩についていってないのです。
そういう警告を与えるためには、むしろこういう事件(うみ)を出さなくてはならないようです。社会のしくみやルールの問題点が事件によって顕在化するのです。ISO14001環境マネジメントシステムではこういうことを『不整合』といい、きちんとして是正処置及び必要に応じて予防処置を要求されるのです。

事件がおきることは、そういう意味では『好ましいこと』なんです。事件によってシステムやルールを是正しなくてはならないのです。堀江もんだけが悪いのでなく社会自身も半分悪いということが言えるのです。人間は、無能なものなんで、現在の状況を調査・分析し、問題となりそうな事態を事前に予測し予防することが大の苦手なんです。そのために事件や事故がおきてから初めて重大問題と認識するのです。人間というのはそれほどお粗末なもんなんですね。

現代社会や現代人が今回の事件で認識を変えるべきことは、今回のような事件が出ないことより出ることのほうが、問題を起こさないようにすることより、むしろこういう問題をあえて起こすことのほうが結果的に健全であるということなんです。ところが政治家・役人・経営者は、一般的に問題を出さないように隠すようにしてしまうのです。それこそ大きな問題・危険なことなんですが、そういう意外な真理に気づかないんです。

いくつか例を挙げましょう。
①ある会社では薬品事故が慢性的におきていました。なかなか改善されなかったのですが、あるとき更に重大な事故を起こし、役所から指定事業場にされてしまったのです。そこで指定解除のために安全衛生管理体制のレベルアップをトップの陣頭指揮で2年間真剣かつ真面目にやったのです。その結果、事故は激減し最高水準の安全衛生管理ができるようになったのです。社内に管理意識も根付いたのです。

②平成12年、乳業会社で、回収された牛乳を新品に混ぜ再加工して出荷していたのです。ところがそれがばれて、処罰をうけ、業務停止になり、会社は壊滅的な打撃をうけたのです。しかしその後会社は猛反省し不正を働かないという方針をかかげ再生を図ったのです。その結果業績も株価も今は回復しているのです。

③ライブドアーによるフジテレビの敵対的買収事件はM&Aの危険について警告・教訓を残しました

④カード詐欺事件は、銀行に銀行カードの信頼性向上の必要性を再認識させました。個人にもカードの管理の重要性を認識させました。

⑤氷河の融解・大洪水・大雪は地球温暖化が脅威であることを一般人に強く認識させたのです。

⑥役所・役人の度重なる不正事件は、役人の腐敗・堕落を国民をあきれさせ、認識させ、役所の改革の必要性を強く認識させたのです。

⑦大手銀行数社で、銀行員が預金を着服し10億円以上の横領をしていたのです。お金を扱う銀行であれば、こんなこと100%気づきそうなもんですが、気づかなかったのです。経営や管理がお粗末なだけなんですが、これを機会に予防策を講じたのです。大きな授業料でしたが、再発防止はできたのです。

その他どんどん膿は出ています。 あげれば、きりがありませんが、平静を装って、問題を隠しとおすより、むしろもっとどんどん膿を出すべきなんでしょうね。
過去、企業や個人でも事件を起こしたおかげでかえって良くなった事例は数えきれないほどあるのです。
逆に、問題を隠しとおし、誤魔化しとおし、表面の平静を装い、会社や個人が大きく崩壊したなんて事例はその何千倍もあるのです。

まあこの数日、反省と改革論議が活発になっているのは、日本の健全性を示しています。そういう点では、日本にとってはむしろ今回の事件は良かったのです。株価にはむしろプラス材料なんです。

『問題とは、隠すものでなく、表に出すべきものである』

ところで最後に一言アドバイス
①株式は分散投資する
②株式は全資産の1/3以下にする
③先物取引はやらない、はまらない
④会社の業績などをきちんと調べる
⑤知らない会社、新しい会社は十分慎重に
⑥売り買いでなく中長期投資をする
⑦素人は投資信託を利用する
⑧時々頭を冷やす・時々休む
⑨どうやっても損する人は、買おうとした時にそれより5~8%下の価格で指値して買うようにすること

もう一言、堀江もんは、多大な迷惑をかけたのですから、大い未熟さを反省しなくてはいけません。裁判で争うなんてことは、やめたほうが彼にとっては良いことですよ。


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10.神仏や法律の要求事項やルールを見直しましょう。ルールを定め厳格に守ること

2006-01-19 09:03:20 | 経営管理
世の中には、有形・無形のルールが存在します。多くの人はそれらのルールに従って日々行動しています。
ルールと一口に言っても、ルールには次のようにいろいろなものがあるのです。

①自分だけのルール・自分以外のルール
②文書化されたルール・されていないルール
③罰則を伴うルール・罰則のないルール
④全体的なルール・部分的なルール
⑤自然のルール・人工的なルール
⑥受け入れたルール・受け入れないルール
⑦一時的なルール・永続的なルール
⑧善のルール・悪のルール
⑨古来から続いているルール・新しい出来立てのルール
⑩楽しいルール・つらいルール
⑪他人に課すルール・他人から課されるルール
⑫組織のルール・個人のルール

またルールの守り方も人によって千さ万別です。例えば無法地帯とか無法者なんていうものもありますし、最近では、一流企業や政治家や先生や役人が法令違反すなわち犯罪を犯すなんてこともあるのです。また北朝鮮のようにやりたい放題人間の道や神の意思にはずれるような行為をやっていても周辺国家や世界は手も出せないなんてこともあるのです。最近では、インターネットのハッカーや俺俺詐欺や振り込め詐欺やリフォーム詐欺、大阪府などの役人の横領や搾取、聖職者の立場を悪用した性的犯罪などルールの盲点をついて悪いことをやる人間も増加しているのです。ルールを守ることが前提であり、ルールを悪用する人がいるとルールは弊害をもたらすのです。
またルールをめぐって血なまぐさい戦争やテロが頻発しているのです。
1ルールがない
2ルールがあっても守らない
3ルールの目を盗んで、むしろ隠れみのにして悪さを働く
4ルールのためにかえってうまく行かない
5ルールを巡って紛争や裁判がおきる
6ルールが実態に合わない
7ルールを厳密に守り過ぎて、硬直化する
8ルールが合わない事態がしばしば発生するが迅速な対応ができない
9ルールに縛られて自由や柔軟性や発展性を損なう
10ルールの解釈が人や立場によって異なる
11ルールが増えて理解できない
12ルールが難しくて理解できない(専門家が必要になるほど)

ルールは良い面を持つと同時に同じくらいマイナスの面を持つ可能性があるのです。
ルールによって生活や仕事がスムースに行くのでなく、かえって非効率になったりムダが生じたり、損害が発生することがあるのです。こういうことがルールの難しさなんです。
ファーストフード店なんかで、お客対応マニュアルをしっかり教育し、そのとおりやるのは良いのですが、応用動作ができないとか杓子定規になるとか、サービスの質がかえって低下するなどの欠点もあるのです。ルールを作った人がルールに振り回されというわけです。ロボットに人がこき使われるみたいなものなんです。

①ルールは自然の原理原則・神仏の意思に沿うものであること
②法律を順守していること
③人の幸福や正しい生き方に結びつくこと
④わかりやすいもの
⑤守れる環境整備・条件整備をすること
⑥厳格なものであること
⑦ルールによる副作用や抜け穴に注意すること
⑧言うだけでなく、文書化すること
⑨順守状況を定期的にチェックすること
⑩毎年1回は内容をきちんと見直すこと
⑪相応の罰則を伴うこと
⑫説明や指導を継続的に行うこと

・ルールは嫌いだ
・ルールなんか煩わしい
・ルールなんか守ると人間が小さくなる
とんでもないですよ、ルールを作り守り、ルールを直して、更に守るそういう積み上げによて、人間を成長させるのです。日本人は昔からルールを大事にしてきました。皆様は、ご自分でルールを作っては直し、作っては直しながら、厳格に守る良い習慣を身につけて下さい。大事ですよ。
そのためにまず、守るべきことを文書化してみて下さい。座右の銘などでも良いですよ。
お経なんてのもそういう意味では、是非馴染んでみて下さい。解説本もいろいろありますから。
http://www.meico.org/zayuunomei.html村上和の座右の銘)

1.神仏の意思(自然の法則)

2.法律・条例

3.組織の規則

4.個人の規則

ところで、今回のライブドアーの堀江もんや強度偽装の姉歯や銀行で何億円の金を流用した銀行員・・・・のように一見すると、きちんとルールどおりやっているように見えて、実際はそうではなく、ルールを隠れ蓑にして、巧妙に誤魔化していたということも最近かなり多いですね。『ルールというものはきちんと守るためにある』のですが、誤魔化すためにも使われることがあることを認識しておくべきなんです。ですから、頻繁に確認点検ということが必要なんです。「ルールは決めておきさえすれば、きちんと守られるはずだ」というような安易で簡単なものではないのです。
もう一つ
ルールが多くなり、複雑になり過ぎ、時代の進展が早くなると、ルールがかえって深刻な問題を作ってしまうことにもなりかねません。そして皮肉にもルールが、結果的に国家や組織の崩壊をもたらすことにもなるのです。たかがルールされどルールなのです。現代は、どちらにしろ、大きく変質してしまったルールによって社会や人間は押しつぶされそうになっているのが実情です。それはあたかも難病に著しく効く薬が、かえって新たな不治の病を生み出すようなものなのでしょうか?
まず現代人は、自分自身=自然の一生き物に立ち返って自然法則というか神のご意思というか、そういう根源的なものに戻って、自分の歩むべき道筋というかルールを立て直すべき時がきているようです。
羽目をはずした人間それをルールで縛ろうとする、そういういたちごっこによって益々ルールが多く複雑になり、守りにくく、守られなくなり、闘争がおき、多くの異常な状況が出現し、問題は解決するどころか、人間が考えれば考えるほど問題は深刻化し拡大するばかりなのです。
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9.魅力的人間とはどういうものか?受け狙いの安っぽい男(女)になるな

2006-01-14 08:32:39 | 人生
やれヨンサマだ、やれキムタクだと自分の好きな人とか自分の尊敬する人というと、決まって外見や金持ちや何かで成功した有名人がでてきます。「素晴らしい・嬉しい・死んでもいい・好きー・一夜をともにしたい」だって、馬鹿じゃない。いや、言うほうも言われるほうも、本物の馬鹿・愚か者ですわ。なさけなや日本の女性も落ちぶれたものです。尊敬できる男が少なくなって、金持ちやイケメンみたいに顔やスタイルだけしか、まともな男がいなくなったのでしょうがね。
本当に魅力的な男とは、スタイルブックから抜け出てくるような格好つけた若者や中年や老年のいかにもギンギラギンの感じの男ではありません。「魅力的な男特集とかイケメンになるには」みたいな雑誌から抜け出てくるようなノウハウ男は、むしろ最低・最悪ですよ。本物の男出てこい・本物の女出てこい。しかし本物の人間が少なったというかいなくなったですね。

私は、そんな外見だけの「○○サマ」「アイドル女」なんてものは全く関心もありませんし、むしろ、そうい奴ほど、つまらん奴だとしか思っていません。世の中がちやほやする奴に碌な奴はいませんからね。ましてや、チヤホヤされてそれで金儲けしている人を見ると、それ自体で、うんざり・がっかりしてしまいます。少しくらい並の人より優れているからと言って、そんなシケタものを売りにしたり、人気だけで金を取るなんて最低の人間ですよ。こういうことは、女にもある程度あてはまりますがね。

男アイドル・みてくれ男・受けめん男・ノウハウ男・雑誌男・見て見て男・・・・・・め。女の受け狙いで、勝手にやっとれ。誰も見ておらんがな。
私のイメージする魅力的な人間とは、次のような雰囲気がしっかり身についている人だと思うのです。

①静かな人・穏やかな人
②明るい人・楽しい人
③黙々とわが道を行く人
④人や流行に媚ない人
⑤金持ちすぎない人・清楚な人・つつましやかな人
⑥有名すぎない人
⑦堂々としている人
⑧温かみのある人
⑨チャレンジする人・決断し思い切りやる人
⑩整理・整頓・清潔・清掃がきちんとできている人
⑪日常の雑事・家事・大工・工事が自分でできる人
⑫きちんと管理できている人
⑬相談しても頼りになる人
⑭思いつきでいい加減なことを話さない人
⑮情のある人・配慮のできる人
⑯センスのある人
⑰礼儀正しい人
⑱威張らない人
⑲淡々と生活する人
⑳勉強している人・思慮深い人

こういう人というのは、風貌も落ち着いていて、言うことが味わい深く、しぐさがきちんとしているものです。ちゃかちゃか・どたどた・じゃんじゃん・キャピキャピ・・・・・・というような一般の人が好むような人とは正反対の人のように思います。残念ですが、最近こういう男や女の人に出会ったことはありません。
自分はというと、そういう努力はしていますが、どうもまだまだ、付け焼刃で、そういう味わいが、滲み出ていないように反省している段階なんです。あと何年かでそういう雰囲気の魅力的な人間に磨いていこうと思う今日この頃です。そうい人の姿は多分、思慮深いが目立たず・自然で・すがすがしいものであると想像しています。夏が終わり、初秋に吹くそよ風のようなものなんでしょうか?
どちらにしても、凡人には、かなりの難問のようです。でもそういう人に少しでも近づきたいと思う今日この頃です。
最後に一言でいうと
・本当に格好いい男は、堂々とした風貌・あじわいのある男でしょうか
もう一言
・本物の格好いい男や女は、何か着けたり・塗ったり・切ったり・貼ったりで一朝一夕でできるのもでないことは確かです。
本物の素晴らしい男や女が少なくなったんではありますが、いつの世も目立たないところに優れた立派な人はいるものです。残念なことはそういう人がほんの一握りしかいないことです。逆であればこの世はますます良くなるのですが、貴方も数少ない人になりませんか?
まあ本物志向する人が少なくなって、簡単に手に入る、小っぽけなニセもの志向の人が増えているのは、日本や地球や人類の崩壊を暗示する何ものでもないのでしょうね。偽者が偽物を持ち歩く、偽者と付合い、偽者と結婚する、・・・・あー嘆かわしいや。
例えば猫も杓子も持っているルイビトンなんて袋物やブランドものなんてのは、あれは本物ではありませんよ。あれこそ偽者ですよ。その偽者の偽者が出るってんだからもう駄目じゃ。
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8.結果はどうでもよい、大事なのは過程(プロセス)だ、結果とはウンコなんだから

2006-01-06 22:06:39 | 経営管理
「結果が大事なのか?過程が大切なのか?」というようなことをよく言います。「結果と過程の関係は鶏とたまごの関係」だとも言います(鶏は過程たまごは結果です)。
目的・目標を掲げてチャレンジしろということを言います。ISO14001環境マネジメントシステムでも目的・目標の設定は重大な要求事項の一なのです。ISOでも、その目的・目標を掲げるだけでなく、達成するためのプロセスをきちんとすることを要求しているのです。

一般的に結果とは、次のようなイメージがあります。

①ゴール・終着点
②成果・業績
③目的
④とりかえしできない
⑤結論
⑥出来事
⑦終わり
⑧動かせない
⑨最終地点
⑩成功・失敗
⑪夢
⑫頂上

過程(プロセス)とは、次のようなイメージがあります。

①活動・作業
②作業
③手順
④工程
⑤業務
⑥システム、しくみ
⑦内訳・中身
⑧方法・手段
⑨一里塚・途中
⑩旅
⑪努力・がんばり
⑫道

「結果さえ得られば、結果さえよければ、プロセスなんかどうでもいいじゃないか」というのは極めて危険な落とし穴です。どちらかというと、昨今の考えは結果第一・結果重視主義(業績評価主義)なんです。国家や人類の破滅の原因になりかねません。
人間は、ライオンが獲物を追うのと同様に、結果を追求しますが、それは間違ってはいません。神様は生き物に欲求や目的を持たせ、それによって動いたり努力するように仕組んでいるのです。神様は結果・目的を餌・動機づけの手段にしているです。まあ結果とか目的・目標とかは、猿(人)回しの芸を仕込むための餌なんです。ところが人間や生き物は、悲しいことに、結果(餌)そのものを価値あるものと思いこんでしまうのです。人間も所詮、猿回しの猿と同じなんです。
例えば大金持ちになることは、単なる手段・一里塚なんですが、人間にとっては、目的・ゴールになってしまうのです。例えば試合に勝つとか負けるということは、本来どうでもよいのですが、人間は金メダルをとったのチャンピオンになったと喜び、、逆に負けてしまった、もう駄目だと顔を歪めて大泣きするのです。
悲しい・嬉しいがバネになるから、そういうことも、ある意味、良いのです。結果というのは、ゴールや終着駅でなく、本当はほんの一里塚、出発点に過ぎませんが、結果を求めて努力し続けることは素晴らしいことです。結果は新たな出発点です、大切なことは、ゴールしたらそれを次にどう繋げるかということなんです。人間は日々・年々結果を出していくのです。その結果をバネにして、あせることなく着実に、飛躍・成長していくのです。
ということは勝つことも大事ですが、負けることも同じくらい大事なことなんです。泣き喚くことはないのです。泣くなんてことは人間が未熟な証拠です、ひ弱な証拠です、根性なしの証拠なんです。人生・競争においてはだらしなく泣くなんてことは、やめるべきなんです。泣いても良いですが、すぐに泣き止み、頭を切り替え次のことを考えるべきなんです。

ところで人間や生き物と自然の違いは、

●人間や生き物は結果を求める
●自然は過程(プロセス)を求める

自然は過程を完璧にしようと永遠に努力し続けるのです。自然は結果には関心を持ちません。淡々としています。淡々と過程を遂行します。
一方、人間は過程より結果に関心を持ち過ぎるのです。過程(作業や努力)を好みません、結果だけ欲しがります。
人間だから、ある意味それでも良いのですが、私の言いたいことは、「プロセス重視」の生き方をしろということなんです。
もう少し具体的に言うと、貴方の一日の仕事・作業・家事・人付き合い・・・なんでもその過程を重視しなさいということです。過程を重視すれば、結果は必然的についてくるのです。
世の中には、何をやっても、どうやってもうまく行かない人が沢山おられます。そういう人の根本原因は、過程・プロセス・方法・手段・手続きを疎かにするからなんです。結果ばかりを求め過ぎているのです。

かの有名なイチロー選手が偉いのは、偉大な記録を達成しても、その次を着実に求めていくことと、日頃の行いが実にきちんとしていることです。彼を見ていると見てくれや結果を問うのでなく、見えない部分・裏の部分・地道な部分・プロセスの部分を大切にしていることです。彼は試合が終わると誰よりも早くあっという間にベンチを去ります。彼にとってはその日の勝ち負けは、もう終わっているのです。彼の気持ちはもう翌日のことを考えて次の行動へといち早く進めているのです。だらだら日本のサラリーマンのように残業したり、一杯飲んで仕事の愚痴なんかこぼす暇はないのです。

イチロー選手にとっては、「結果良ければ全て良し」なんかはとんでもない話なんです。彼にとっては、なんとなく結果が出ている時は、むしろ大きな問題なんです。むしろ彼は、「何故打ててしまっているんだろう?」と真剣に悩むのです。イチロー選手にとっては、ヒットにならなくても打ち方:プロセスが思い通りで納得するものであれば、それはそれで良いのです。
例えば、巨人ジャインアンツは、長年なんとなく勝ててきたチームなんです。何の疑問も持たなかったのです。あまり努力なんかしなくても投げ・打ち・とって・勝ててきたのです。
最近の巨人ジャイアンツの挫折は、そこに根本的原因があるのです。かつての阪神も逆の意味で結果に埋没していたのです。バブル崩壊直後の大企業も同様でした。大企業の経営者も社員も、自分たちは、非常にプロセスを大事にし、しっかりしていると信じ込んでいたのです。ところが彼らも結果満足に陥っていたのです。

一般的に大きな挫折を味わった人はプロセス重視型・そうでない順調な人生を歩んできた人は、結果重視になりがちです。「結果が良ければいいじゃん」となり、又は結果がよくないと、「こんなもんよ、しょうがねーよ」となりがちなんです。

私の場合、過去を振り返ってみると、松下電器時代は「松下はプロセス観念の乏しい結果主義(結果重視)の会社でした」エンゼル工業やローム株式会社は、日々プロセス(プロセス重視)ばかりでした。今自営している関西ISOシニアコンサルタントネットワークの仕事は日々、まさにプロセス重視のなにものでもありません。
結果満足の人というのは、世間に沢山います。そういう人はアイドルみたいな人なのです。一時期はスポットライトを浴びることがあっても、それははかない夢か蜃気楼にすぎないのです。
美人であることなんかたいしたことではないのです。美人であろうがそうでなかろうが、大事なことは、その人の中身、目に見えない部分なんです。ところが美人という結果に関して、女は必死に美人であることを追求し、ろくでなしの美人の女に男は目を奪われるのです。美人は、必死に美人にすがりつくのです、すがり続ける一生を送る運命にはまるのです。その点、むしろ不美人のほうが、ずーっと幸せです。そんな幽霊みたいなものにすがって一生を送らなくてすみますから。

結果を求め過程をいい加減にしたための悲劇的結末の例には次のようなものがあります。
①環境破壊.地球温暖化
②種の絶滅
③家庭崩壊
④高齢化&少子化
⑤学校崩壊
⑥バブル崩壊
⑦海岸線の破壊
⑧ダム建設による自然破壊
⑨役所・役人による出鱈目な赤字事業
⑩役人・役所の不正
⑪農村・島の過疎化
⑫大企業の急速な収益悪化
・・・・・・・・・・・・

『過程:プロセス』とは、最高の方法・手段・ルール・手順・システムのことです。株式投資の例をあげますと、株式を購入しますが儲からない人というのは、株式の買い・売りのためのプロセスが実にいい加減で、出鱈目なんです、安易です、思いつきです、エイヤーです、どんぶり勘定なんです。儲けよう儲けようと結果だけを求めて失敗を繰り返すのです。
結果は偶然に得ることもありますが、それは実は大きな失敗なんです。本人が勝手に成功したと大喜びするだけなんです。イチロー選手は言います「今日は4打数4安打だったが、今日は納得していない」とね。彼の素晴らしい所以ですよ。プロセスがいい加減でも結果が出たというのは、むしろ失敗した場合の何倍もまずいことなんです。「棚から牡丹餅」はいけません。
株式投資でも「結果として儲けりゃそれでいい」でなく「読みとおりに儲からない」人は結果的に大損する宿命なんです。素人の競馬・競輪も同様で儲かることはありません、最後は必ずかなりの損をしてしまうものです。人生も競馬・競輪と同様なんです。ほとんどの人が大損の宿命を持っているんです。人生も素人は大負けし、人生のプロだけが大勝ちするようにできているのです。

・結果主義=誤魔化し=その場しのぎ=甘い対応
・過程主義=真実探求=根本対策=厳しい対応

現代の日本の子供は作業をできませんし、ほとんどしません。ボタンを押せばテレビが見え・カードを出せば物が買えるからです、過程プロセスを知らずに結果のみを得る習慣が身についてしまっているのです。こんな恐ろしい話はないのです。動物園の猿以下で、いざという場合の生活力が全くないのです。
宝くじなんてのは、その最たるもので1億円に当選したなんてことは、その人の人生にとって、大不幸の何ものでもないのです。それを幸福と勘違いするのは、浅はかな人間のなせる業なんです。くれぐれも「棚から牡丹餅」はやめなさいよ。当たらなかったら「良かった」と思うべきなんです。自民党の杉村太蔵議員なんかは、まさしく棚ぼたで当選したんですが、典型的に不幸な人ですよ。マスコミにちやほやされ有頂天の彼がそのことに気づいているわけがありません。気づいていれば辞退すべきなんです。だって杉村君は、実力で勝ったのではないからです。棚ぼたの人、何かで当てて大儲けした人、成金の人は、はたから見ても足が地についていないのです。

結果は、過程の正しさを証明するもの又は間違いを指摘するものですから、結果・アウトプットはきちんと分析・評価することも大切です。汚い話で恐縮ですが、ウンコに血が混じる・ゆるい・硬すぎる・妙に黒い・色が悪い・臭い・詰まるのは結果が悪いのですから、プロセス(内臓)に問題があるのですし、赤信号なんです。ほっておくと”ウンノツキ”ですよ。「臭いものには蓋」というのがそもそも最たる結果主義であり、悪い結果に対して予防処置でなく、隠してしまえという最悪のものなんです。美人が化粧ばかりして自分の人格を誤魔化すようなものですかね。
女・子供というものは、甘やかすと結果主義に陥り、簡単に堕落し易いものなんです。男は過程主義が中心ですから結果主義で堕落する割合は本来少ないのですが、最近は男が女性化・子供化し、女・子供のような結果主義の甘い男が増えています。女・子供は元々結果主義ですからそうならないように手綱を絞めておかないといけないのです。昔日本の母親達は、手綱を厳しく握られていましたから、今思うとものすごくしっかりしてました。だから日本の国もかなりしっかりしていたんですが、男女同権や技術進歩、文化的生活などによって、一時に綱を緩めたものですから、その堕落は目に余るものがあります。その結果、日本の男も子供も、女諸共に、だらしなくなってしまい、取り返しができないくらい堕落・崩壊してしまったというわけです。
「結果」とは良くても悪くても、単なるウンコなんです。
人は、言ってみれば、ウンコを喜んでいるんです。ウンコは過程(プロセス)の良し悪しを評価するものでしかないのであります。

結果管理以上に、何倍もプロセスコントロール(工程管理)を重要視しないと結果はどんどんおかしなものになっていくのです。例えば年寄りの寿命が長くなって高齢化社会になっていくのですが、問題は高齢化によって少子化になっていくことです。過去、えんえんと人間が祖先から子々孫々に伝えてきたものが、大きく途切れようとしているのです。長寿という結果を求めたために、子孫の減少すなわち子孫への伝達というプロセスに多大な支障を生じているのです。寝たきり老人・草木に例えると枯れ葉・枯れ枝を大事にする一方で、種を蒔かず、新芽を踏みにじるようなプロセス管理しかなされてこなっかったということなんです。そのために、子孫を絶やすという不合理な結果が出てしまっているのです。
一般に少子高齢化というのは、年金問題とか税収不足とか労働力不足の問題として扱われますが、そんなことはどうでもよい問題なんです。老人が野垂れ死にするのは当たり前のことなんです。むしろ老人が長生きすることのほうが問題なんです。重要な問題は祖先からの文化や伝統などの諸々のものの子孫への伝達・伝承が途切れることなんです。日本の国家として、人口のプロセスが管理されておらず大きなゆがみを放置して、長寿世界一なんて結果に、単純かつ安易に大喜びしていたのです。国家も企業も個人も、結果だけを追い求め、工程管理(プロセスコントロール)をきちんとしてないと破滅するんです。

人は欲(結果)で操られ、欲をかいて、欲に振り回されて、最悪の人生を送る人が多いのです。真っ当な生き方をし、真から素晴らしい人生を送る人はほんの一握りなんです。
「山(結果)があるから登るんだ」ではないのです。「坂道(過程)があるから登るんだ」なんです。山(結果)なんて登ったら降りるしかないのですが、坂道(過程)は永遠にあるのです。少なくとも「山に登った」「勝った負けた」ということだけで、一喜一憂なんかしないことです。
禅の修業で、悟りを開いた高僧が言うことは「禅に悟ったということはない、死ぬまで永遠に修行が続くだけだ」禅僧は悟るという結果を求めているのでなく、修行という過程を求め続けているのだということです。
政治家も景気を良くしたり、年金問題を解決することもさることながら、そういう結果を出すこと以上に大事なことは、政治や役所のプロセスを継続的に改革することなんです。高度成長期には、結果が出ることをいいことにして、ずさんな政治や役所の仕事がまかり通ってきて、その膨大なマイナスのつけがまわされてきたのです。
結果を求めたあまりにも大きな代償・つけなんです。アメリカのブッシュ大統領も「結果主義の罠」にはまって抜け出そうと喘いでいるのです。

”結果・外見にのみ目を奪われて物事を判断するとババ引く”
”大切なのは、過程・プロセス・中身の良し悪しだ”
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