「ぼくを葬(おく)る」
と、いう映画を昨日(26日)観ました。
観た直後はあまりいい気分はせず、帰宅してから「お口直し」に金八先生のビデオを観て号泣していました。
一晩経って、一応感想を書いておこうと思いました。
余命3ヶ月を宣告された青年が、迷いながらも残りの人生を選んでいく、という物語です。
この映画を観て、結局人の死というのはとりわけドラマティックなものでも、英雄的なものでもないのだと思いました。人の死なんて、人それぞれです。
そしたらこの映画の意味はいったい何なのだろう…? そんなことを言いたかったのかな?と思い、よくわからなくなったわけです。
しかもこの映画に寄せられている、「著名人?」らの感想がとってもイマイチに感じられたのもあり、何となく雰囲気だけの映画なのかなあ、とも思ったわけでした。
いや、しかし今はもう少し奥行きを感じています。
主人公のロマンは一人で死ぬことを選びながらも、「子」を遺し、財産を遺す。
最終的には人生を楽しみながら、彼自身の人生の中で死を迎えるのですが、ただ死んでいくのではなくて、死の準備をきちんとしたのでした。
私の母は47歳のときにガンで亡くなりました。
しかし母は、治療を試み、病院で亡くなりました。
母が亡くなったとき、父は「お母さんの死が、医学の進歩の助けになったと思えば少しは報われる」というようなことを話し、慰めだと思いつつも少し気が楽になったのを覚えています。
ちなみに映画の主人公は治療を一切拒みました。
人の「死」に何らかの意味を求めがちです。それがあたかも生きた証であるかのように。
確かに大切な人が亡くなるのは本当につらいので、「なぜ死んだのだ」といつまでも問いたくなります。
また、私もたまにですが、早く死が訪れることへの恐怖を感じることもあります(早死にする根拠は特にありませんけど。いとこがガンで26で亡くなったとか、身内にガンが多いからとかいう理由だけです)。
しかしやはり、意味があるのは死に至るまでの生そのものだと思います。
死に意味があるのではなくて、死の原因や背景に意味があるのだと思います。
こんなこと、以前にもこの日記に書いた記憶があります。前は靖国神社を訪れたときの感想でした。繰り返してしまった。
しかしここまで書いて思ったのですが、死へ意味を与えることと、死をいかに迎えるかとは別の話です。死を迎えるのは生きているうちしかできませんから、それもやはりどう生きたか、の一部なのでしょうか。
あまり映画の感想にはなりませんでした。そして少し独り言っぽくなってしまった。
と、いう映画を昨日(26日)観ました。
観た直後はあまりいい気分はせず、帰宅してから「お口直し」に金八先生のビデオを観て号泣していました。
一晩経って、一応感想を書いておこうと思いました。
余命3ヶ月を宣告された青年が、迷いながらも残りの人生を選んでいく、という物語です。
この映画を観て、結局人の死というのはとりわけドラマティックなものでも、英雄的なものでもないのだと思いました。人の死なんて、人それぞれです。
そしたらこの映画の意味はいったい何なのだろう…? そんなことを言いたかったのかな?と思い、よくわからなくなったわけです。
しかもこの映画に寄せられている、「著名人?」らの感想がとってもイマイチに感じられたのもあり、何となく雰囲気だけの映画なのかなあ、とも思ったわけでした。
いや、しかし今はもう少し奥行きを感じています。
主人公のロマンは一人で死ぬことを選びながらも、「子」を遺し、財産を遺す。
最終的には人生を楽しみながら、彼自身の人生の中で死を迎えるのですが、ただ死んでいくのではなくて、死の準備をきちんとしたのでした。
私の母は47歳のときにガンで亡くなりました。
しかし母は、治療を試み、病院で亡くなりました。
母が亡くなったとき、父は「お母さんの死が、医学の進歩の助けになったと思えば少しは報われる」というようなことを話し、慰めだと思いつつも少し気が楽になったのを覚えています。
ちなみに映画の主人公は治療を一切拒みました。
人の「死」に何らかの意味を求めがちです。それがあたかも生きた証であるかのように。
確かに大切な人が亡くなるのは本当につらいので、「なぜ死んだのだ」といつまでも問いたくなります。
また、私もたまにですが、早く死が訪れることへの恐怖を感じることもあります(早死にする根拠は特にありませんけど。いとこがガンで26で亡くなったとか、身内にガンが多いからとかいう理由だけです)。
しかしやはり、意味があるのは死に至るまでの生そのものだと思います。
死に意味があるのではなくて、死の原因や背景に意味があるのだと思います。
こんなこと、以前にもこの日記に書いた記憶があります。前は靖国神社を訪れたときの感想でした。繰り返してしまった。
しかしここまで書いて思ったのですが、死へ意味を与えることと、死をいかに迎えるかとは別の話です。死を迎えるのは生きているうちしかできませんから、それもやはりどう生きたか、の一部なのでしょうか。
あまり映画の感想にはなりませんでした。そして少し独り言っぽくなってしまった。
「どう死ぬか」かは「どう生きるか」ってことだよね。
<「どう死ぬか」かは「どう生きるか」ってことだよね。
そう。まさに同感です。私にとって死というのはまだ恐ろしいものですが、でもどう生きるか、という問いを常に持ち続け、その問いに誠実に答えたいと思います。