植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

因縁は自分で掘り起こす 印を彫って繋がる縁

2023年03月01日 | 篆刻
本日はもう3月、あっという間に日々が過ぎていきます。急に温かくなりました。このままでは後れを取るので、昨日懸案だったジャガイモを植え付けしました。既に種芋は買ってきており、2週間ほど前から土作りをしておりましたから、植えるだけなので、小一時間で終了。毎年似たような場所にジャガイモを連作しているので、連作障害はある程度織り込み済み、それでも多めの有機肥料やたい肥を加えて、何度も鍬で土を起こしております。天地返しをし、殺菌しつつ、肥料を良く混ぜ込んでふっくらとした土を作るのが家庭菜園で何より大事なことです。

やることが山ほどあるのですが、慌てても仕方ない。今日は時間を見て少しずつ草むしりをせねばと思います。

さて、来月か再来月、九州に行こうと思っています。先日福岡に住む従兄弟から叔父が昨年亡くなっていたことを聞かされました。子供の頃から、とてもお世話になって、大好きな叔父でありました。せめてお線香をあげたいと願い、故郷の大分へ行く旅程に、福岡への立ち寄りが出来ればと思っているのです。大分には重い病気を患っている兄がいて、お見舞いがてら庭木の世話を兼ねて帰省する予定でした。しかし自治会の任期満了が近づいて気ぜわしく、今年に入ってもなかなか時間が取れなかったのです。

暇な人はすることが無いので暇、忙しい人はやることが沢山あるので忙しい、それが道理なのですが、忙しくても、やるべきことやりたいことがある人は時間の大切さを知り、無駄にしないでなんとかかんとか工面して成し遂げるのが肝要であります。やることが多いのは、自分で勝手に用事を増やしているというのが主因ながら、それが幸せであろう、と勝手に思っております。

たまたま福岡の叔父貴の事を「グループLINE」の友達の一人「Aさん」に伝えたのです。その方は福岡在住、1年ほど前、書道のオープンチャットでワタシが「篆刻印」をただで彫りましょう、と募集して真っ先に申し込みしてくれた書道家さんでした。これをきっかけにワタシの印を提供した人たちを「サロン槐松亭」というグループLINEを設けてお誘いし、現在18人のメンバーとなりました。

LINEなどで知り合った人たちが、実際に交流し対面する、あるいは交際に発展するということも無くはないようです。ワタシは忙しいし、これ以上お友達を増やしたいわけでもないので、出会いを求めてSNSやLINEをやっているわけではありません。ただ、書道・篆刻という共通項をもった仲間達で情報交換したり、書作品を見せ合ったり、指導や助言で相互にその芸・技量の向上に繋がれば良かろうと思っております。

たまたま彫って上げた若者が当地平塚在住在勤であったことから、ワタシの仕事場に数回遊びがてら来ております。また、1週間前には横浜に住んでいる書道家さんも印のお礼に、と訪ねてこられました。関東圏だけで6、7名のメンバーが居るので、そのうちオフ会と称して、横浜か東京で集まろう、という流れになりそうなのです。

そんな篆刻印を通じた小さな輪の中にいるAさんに、追加でその書道仲間の分と合わせて3人の印を彫りました。そうしたら、印のお礼に、九州に来る際は福岡に来てくれれば車を出して湯布院にでもお連れします、実家の母もそちらに居ますから、と仰っていただいておりました。そんなことから「で、Aさん御実家はどちら?」とお尋ねしたのです。

「湯平」と思いも寄らぬメッセージをがLINEに入ってきたのです。えっ?、自分がブログや「サロン槐松亭」で湯平温泉の事を書いたかな?と見直したくらいです。湯平温泉は、由布院から車で10分ほど、山間にある静かな鄙びた温泉場であります。映画『男はつらいよ』 フーテンの寅さんの第30作で舞台になったロケ地であります。沢田研二さんが出ていましたね。

この湯平といえば、ワタシは、3歳から小学校に上がる前の6歳になるまでの3年間、この湯平温泉の片隅で、若き両親と兄との4人で一間の間借り生活を過ごしたのでした。せんべい屋さんの2階で、ふすま一枚隔てたお隣には独身の若い女性が下宿したように記憶しております。ワタシは物心ついたのがこの温泉場で自分の原点・心のふるさとと定めております。

ビックリしてその後もラインでやり取りしていたら、更にAさんのお母さんの実家が「賀来」と聞いてまた驚き!!。ワタシの兄の現住所であり自分の実家であります。両親は遠い昔に他界しましたが・・・・

ちょっと調べてみたら、湯平地区の人口は3百数十人、100~150世帯のようです。うわ、ウチの町内の1/3位ではないか。そこにAさんの御一家がずっと住んでいたならば、60数年前、ワタシの幼少期にそのお父さんは、ワタシ達の事を知っていたに相違ありません。

これだけの偶然は滅多にあることではありません。数十万人居る書道の愛好者のうち200人ほどのオープンチャットのメンバーで、その10%にワタシの印を提供したのです。その相手の方のご両親と、50~60年以上前に、ワタシはほぼ同じ地区・ご近所で暮らしていたのです。

これは、まさに亡くなった叔父の「お導き」でありましょう。これからもAさんとはなにかと縁が続くような予感がしております。篆刻用の印材・原石を求めて、中国の産出地を訪ねたい、と夢を語ったらAさんは偶然、個人の輸出入の仕事をしていて中国や台湾を幾度も行き来しているそうです。
「福建省までお付き合いしましょう、槐松亭さんの夢に便乗しましょう」とまでコメントを頂いているのです。

印を彫ると言う偶然の趣味を始めて3年、それで何人かの人たちと知り合い、LINE上ながら旧知の仲のようにやり取りしております。そしてその何人とはお目にかかって食事したり、篆刻を教えたりという想像だにしなかった関係が生まれるようになりました。

昔から「縁は異なもの味なもの」といいますな。男女の仲を不思議な縁が結ぶのだと言う意味でしょうか。
ワタシにとっては「印は奇なもの」であります。彫って掘って掘り起こす。印がつなげる、新たな出会いという「ご縁」の不思議さを感じずにはおれません。これを「印縁(いんねん)」と呼びたいと思います。





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