植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

筆に人生あり

2020年02月01日 | 書道
ヤフオクのマイブームがそろそろ一段落です。
書道用品限定で入札し始めてひと月あまり。20数件落札出来ました。

 以前このブログで触れましたが、それまで人が使っていた中古品に手を出すことは憚られておりました。恐らく、その原点は、質流れに対する親の考えになります。
昭和40年頃、両親は、ワタシら子供に対してはかなりの放任主義でありましたな。勉強しろとも言われず、しつけにもあまりこだわりが無かったように思います。それがゆえに、いささかお行儀が悪い大人に育ったのかもしれませんね。
 それでも、親の言葉には説得力がありました。両親が教員であったことも少しは関係したのかもしれませんが、今思えば、太平洋戦争を経験し、生活困窮・戦争体験・非常時での苦難の生活を乗り越えてきた大人たちの言葉には真実味・重みがあったのでしょう。
 いくつも思い出される記憶があります。路上に散乱した外れ車券を拾おうとしたワタシは、不浄なギャンブルの投票券に触るものではない、と強くたしなめられました。町なかの建物に質流れ品の販売が特設されていたとき、「どんな人が使ったかもわからないものを買うものではない。その人の人生が品物に宿っている。誰が触ったかもわからないもの」と、手に取ることさえしませんでした。
 以来、中古自動車を除いて、中古品には手出しすることが殆どなかったわけです。
 しかし、オークションを続けていると、少なくても書道用品には特別な思いを抱き、決してこういうものを否定するものでもないと、宗旨替えしました。

 例えば、昨日届いた中古の書道関連の古本です。手紙・賞状の書き方、子供への指導指南の本と、現代書道の理論・実践などの専門書が7冊混在していました。いずれも昭和に発刊されたものですが、前に所蔵された方は、長年書道に関わり、真面目に書道を勉強し、書道教室・宛名書きなど実務的な書で収入を得ていたのだろうと想像したりしています。

 また先日、70本近い古い使用済みの書筆をまとめて25千円ほどで落札し、入手しました。実はそれまでも4回くらい、筆の落札が出来ましたが使い物にならないほどの安い筆や状態が悪く捨てるしかない、というようなものがほとんでした。
 しかし、今度は違いましたね。熊野筆と言われる最も良質と言われる筆の名産地の中でも、特に著名な「久保田号」という銘筆が6本、さらに江戸筆では、知る人ぞ知るオーダー筆の老舗「筆工房 亀井」の筆も10本近く、また筆の柄つまり軸(筆管)が古竹で出来た高級な筆「翠祥園 草聖妙」というマニアックな筆8本などが含まれていました。これまでワタシが使用した筆で、一番高価なものが1万円、それが、値札が付いている(読める)ものだけで最高5万円、大半が数万円の古筆でした。さらに、一般では使われないような、タヌキ毛・ホロホロ鳥の筆までも。

 この持ち主は、かなり裕福な書家で、様々な筆を駆使して作品を作っていたのではないでしょうか。筆にこだわりが強く、気に入った特定の筆屋さん銘柄を贔屓にしてきた様子です。
 穂先の長さが軸の太さに比べて5,6倍と長いものを長鋒筆といいます。穂先の扱いが難しく上級者向けの筆です。他の筆は丹念に洗われていて綺麗なのに、この長鋒筆3本の穂だけが墨がついたまま固まっていました。全くの想像でありますが、この筆のどれかが、恐らくすでに鬼籍に入った老書家が、最晩年、最後の力を振り絞って絶筆となる書を書いたものではないか、と思います。もう、筆を洗う力もなく書いたまま、放置していたのでは、と。

 そんなことに思いをいたしながら、ぬるま湯とシャンプーを使って丁寧に指でもんで墨の汚れを落としております。
 人が使ったもの、しかもそれにその人の思入れや愛着が感じられるもの、これを捨てずに、生かして大事に使うというのは時として重要なことではないかと感じます。

 中古品、まんざら悪いものじゃないです
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする