カギは選手の柔軟性だ
先日のオーストラリア戦で見られたように、ハリルのサッカーは徹底して相手の良さを消すスタイルだ。まず自分たちのスタイルが先にあるのではない。相手をスカウティングし、「彼らの武器を殺すにはどうするか?」を考えるやり方をする。
そういえば2015年8月に開かれた東アジアカップでも、大会最強と目された韓国戦ではオーストラリア戦同様、ハリルは相手を警戒し用心深くゾーンを低めに設定していた。とすればこうしたスカウティング後のトレーニングこそが試合の成否を決める。
この相手の特徴に応じてカメレオンのようにスタイルを変えるやり方が、ともすれば「目指す形が見えない」「行き当たりばったりだ」のような批判を呼んでいるのかもしれない。やり方が試合ごとに変わるため、選手がそれを消化しきれず「未完成感」が漂うのではないか? とすればこうした批判は木を見て森を見ずなのかもしれない。
ただしハリルの方法論でひとつ気になるのは、選手がそれを完遂できるかどうかだ。例えば自分たちが目指すサッカーのスタイルをひとつ設定し、その実現に向けトレーニングを積んだとしても完成までには一定期間かかる。だがハリルのやり方では、対戦相手によってその都度異なるスタイルをこなして行かなければならない。
日本の選手たちにその臨機応変さがあるかどうか? どこまで自分たちの柔軟性が通用するか? 案外、敵は対戦相手ではなく自分なのかもしれない。
先日のオーストラリア戦で見られたように、ハリルのサッカーは徹底して相手の良さを消すスタイルだ。まず自分たちのスタイルが先にあるのではない。相手をスカウティングし、「彼らの武器を殺すにはどうするか?」を考えるやり方をする。
そういえば2015年8月に開かれた東アジアカップでも、大会最強と目された韓国戦ではオーストラリア戦同様、ハリルは相手を警戒し用心深くゾーンを低めに設定していた。とすればこうしたスカウティング後のトレーニングこそが試合の成否を決める。
この相手の特徴に応じてカメレオンのようにスタイルを変えるやり方が、ともすれば「目指す形が見えない」「行き当たりばったりだ」のような批判を呼んでいるのかもしれない。やり方が試合ごとに変わるため、選手がそれを消化しきれず「未完成感」が漂うのではないか? とすればこうした批判は木を見て森を見ずなのかもしれない。
ただしハリルの方法論でひとつ気になるのは、選手がそれを完遂できるかどうかだ。例えば自分たちが目指すサッカーのスタイルをひとつ設定し、その実現に向けトレーニングを積んだとしても完成までには一定期間かかる。だがハリルのやり方では、対戦相手によってその都度異なるスタイルをこなして行かなければならない。
日本の選手たちにその臨機応変さがあるかどうか? どこまで自分たちの柔軟性が通用するか? 案外、敵は対戦相手ではなく自分なのかもしれない。