夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

世界遺産の墓じまい

2023-07-26 15:04:51 | Weblog
私の祖先の墓は三重県尾鷲市にあった。しかも、世界遺産・熊野古道の馬越(まごせ)峠の登山口から九鬼(くき)までの間の峠から下った所に広がる市営墓地のかなり上の方。墓の位置から馬越峠が見える。


昨年、墓を守ってくれていた父の姉が亡くなった。独り身だった伯母がいなくなり、末弟だった父も八年前に既に亡く、伯父が一人残るのみだが、伯父は婿養子に出ているので弟の父が嫡男だった。自動的に長男の私がこれを受け継ぐこととなった。だが、尾鷲は遠い。墓守は従姉が受け継いでくれていた。でも、嫁に出た父のもう一人の姉の長女で更に嫁にでている。言わば四親等離れているわけだ。墓守なんて申し訳ない。尾鷲は子供の頃毎年泊まりに行き、伯父が健在な頃は川遊びに山奥へ連れて行ってもらったものだ。家族は先に帰り、自分だけ一週間、まるで林間学校みたいにいとこたちと遊んだ後、国鉄で名古屋駅まで一人で帰ったのは小学二年生の時。そこから地下鉄の乗り方が分からず、タクシーで当時錦三丁目の八千代本店





でセカンドチーフをしていた父を訪ねて三千里。金など持ち合わせない、しかも錦三丁目なんて地名も知らない小学二年生が独りでタクシーなんて、運転手さんも疑いもせずよく乗せてくれたもんだ。八千代本店は大騒ぎ。子供が独りでタクシーに無賃乗車で乗り付けたのだから当たり前田のクラッカー。八千代でまかない飯を食べさせてもらって、父に地下鉄の改札口まで送ってもらい、家まで帰った。尾鷲旅での最大の思い出だ。今そんなことやったら、恐らく補導されて学校通報か親呼び出しであろう。当時は「可愛い子には旅をさせろ」が当たり前の時代。二年生だろうが四年生だろうが、できると思えばやるのが我が家。その点、尾鷲の伯母たちやいとこたちにはさんざん世話になってばかり。我が家の名を継ぐ関係者の最後の伯母が亡くなった今、継ぐのは私。遠い尾鷲に別れを告げて、墓じまいする事にした。







世界遺産の中のお墓には少し未練もあるけれど、八事の墓には父が、ばあちゃんの息子が眠っている。尾鷲の遺骨は祖母だけかと思ったら、若くして犬山で亡くなった祖父の遺骨も合祀してあった。名古屋に移動することは、家族三人が一緒に暮らしていた名古屋で再び同居させてあげることになる。日泰寺には昨年亡くなった伯母のお骨も納めてある。同じ八事の地に家族四人が眠る。こんな喜ばしいことはない。さようなら、尾鷲。もう行くことはないだろう。

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