私がまだ新卒で、中川区の特殊学級担任をしていた頃、市の特殊教育の行事全般を運営する係をしていました。その組織の中で、私のような若造を指導して運営の中心に立つ先生方が、今、校長先生や教頭先生だったりするのですが、私が最初の転勤で通級教室の担当になった時に、当時の先生方に「通級教室って何するの?」と聞かれました。それほど通級教室は知名度が低かったのです。言語と難聴しかなく、しかも市内には4校しかない頃でした。平成5年に通級が制度化されて、平成6年と7年に新たに3校設置され、更に平成9年に私が最後の設置校である港区の学校の開設に赴任しました。それから月日がたち、通級制度も15年目を迎える頃、特殊教育が特別支援教育となり、通級教室にも発達障害の通級が設置され始めました。その時の第1号に選ばれた先生方の中心として、今まで発達障害通級教室を牽引して来られた先生と、つい先日お話させていただく機会を得ました。先生とは新卒の頃から、かれこれ20年近いお付き合いです。発達障害通級の担当になられたときに、偶然教育センターでお会いして、先生から「通級のことは全く分からないから教えてくださいね」と言われて、心強い味方が出来たと思ったものでした。あれから7年くらいたち、久しぶりの再会です。先生は今年度で定年退職ですが、全くその様には見えない若々しい方です。今回、噂に聞いている発達障害の教室が、私の考える本来有るべき姿の教室とかなり違うので、先生の取り組み方針や通級の在り方を伺ってみました。すると、先生のご意見は、私が理想とする発達通級そのものだったのです。実は今、沢山ある発達障害通級教室を、勉強が遅れている子供のための個別指導の塾のように思っている先生がとても多いのです。しかし、本来通級制度は軽度の障害を改善し、克服させるのが役目であり、発達障害通級教室でも「自立活動」の時間としてソーシャルスキルトレーニングに力を入れることこそが本来の使命。教科補充の時間をメインにとることは通級本来の設立の主旨に反するのです。それでも、特別支援に興味関心のない一部の管理職からしてみれば、通級も単なる学校の歯車でしかないのです。最初の通級教室を担当した頃は、そういう考え方の管理職が時々いました。しかし通級は学校の中には収まらない特殊な位置付けの中にあります。そのことを考慮出来ない管理職は私に言わせれば勉強不足です。自分たちの職場の事だけを考えていたのでは、全市の教育を考えることは出来ないからです。他校から多くの子ども達を受け入れている以上、地域の全ての学校に目を向け、平等な立場で仕事をする必要があります。通級指導教室の設置が進み、発達障害の教室が31校、あっという間に言語難聴の8校を超えて、通級指導教室のメインステージに立ちました。これは全国的な傾向です。殆どの県単位の自治体で、発達障害の教室が言語難聴の研究組織と合併して、研究大会運営をしています。愛知県は名古屋市だけが組織合併していないため、県単位で取り組むことが出来ずにいました。そこで、言語難聴の一番長老の私と、発達障害の中心の先生方とで、この夏休みに初めての会議を開くように進め始めました。その手はずを整えるための話し合いに、発達障害通級指導教室を見学がてら、出かけてきました。今年は組織の立ち上げ準備をして、来年以降、名古屋市全市に広めたいと思っています。まだどうなるか予想もつきませんが、上手く行くことを願って、全力投球していきたいと思います。
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