夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

運動会の季節ですが・・・。

2015-06-02 17:04:55 | 教室経営
 爽やかな晴天が続く中、各学校では運動会が開かれています。2週間前から今週末に渡って3週連続、いずれかの学校へ運動会の参観に出かけておりました。先週末の土曜日がピークで、3校、4人の子どもたちの運動会。それに、6年生の末娘の最後の運動会でもありましたので、最初の短距離走とお昼の弁当、最後は組み立て体操と、3回分の地元学区参観が加わり、過去最大の規模での運動会参観日でした。朝は一番に木陰の弁当スポットを取るために敷物の番をするわ、最初の種目の短距離走を見てから自宅まで自転車ダッシュ!そのまま折りたたんで車に乗せて、最初の学校へGO!高速道路が空いていたので助かりました。駐車スポットが近くにないので、少し離れたスーパーへ。そこから歩いて5分ほど。結構時間がかかってしまった。辿り着くと出演予定の児童の踊りの音楽が鳴っている!校庭に転がり込むように走り込み、何とか始まったばかりの演技を見る。しかし、校庭が広すぎて、目当ての子どもを見つけられない。全体を見回すしかない。本人には会えたので良かった。そのあと、もう一人の踊りが間に他学年の競技を1つ挟んで行われ、無事に二人を見届けると、昼休憩まであと1時間を切っていた。もう一つ見られるかと思ったが、やむを得ず、娘の学校へ戻る。今回のスタートは効率が悪い。
 娘の学校へ辿り着いたら、午前の部の最後、親子でおどる「SMAP」の曲だった。もう一つ前の騎馬戦は見られないだろうと思っていたので、最後の組み立て体操だけは何としても、と思いながら小学校最後の運動会親子弁当を食べる。周りには私の同級生もおり、お互いに毎年ここで会うけど、これが最後だな!と言い合う。そしていざ、次の学校へ。
 戻ってきた距離とほとんど同じ距離で、有料駐車場に止めて急な坂道を自転車で上がる。でもほとんど手押しで歩く角度…。辛い。午後の部第1番目の種目は今年初めての学校での親子ダンス。楽しそうに踊る子ども。お母さんから挨拶をと帰りがけに言われたが、次の学校までかなり遠い。間に合わないのでごめんなさいと伝えて、速攻で移動する。しかし、結構渋滞しているし、緑区の端から端なので遠い!辿り着いてすぐに自転車を降ろし、ダッシュで坂道を駆け上がる。緑区の辛いところは、どの学校も坂道の上にある。この年齢には堪える上り坂。やっと辿り着いたと思ったら、大事なことに気づいた。本人が赤なのか白なのかを聞いていなかった!広い運動場で探すのも大変。赤組にはそれらしい人はいない。じゃぁ白組か!と向かうが、何と、そっくりな子が3人ほどいる!紫外線に焼けた目ではピントが合わない上に、眼鏡を持参していない。顔の見分けがつかない。そして、最悪なのは競技が終わっていたこと。間に合わなかったのだ。せめて駆けつけたことだけでも伝えてあげたいが、どこにいるのかが分からないでは話にならない。保護者の方も見当たらない。10分ほど探したが、限界時間である。娘の学校へ戻らなければ間に合わなくなる。諦めて車の方へ。
 やっと車に乗り込んで高速のインターへ向かっている最中に、いつも自然渋滞する場所にさしかかる。やはり混んでいる。前に進めない。最初の学校の近くまで辿り着いたその時、妻から「次は組み立て体操です」のメールが…。今すぐ高速道路に乗っても30分はかかる。結局、娘の組み立て体操も諦めざるを得なかった・・・。
 やっとの思いで辿り着いたら、閉会式の真っ最中だった。結局最後の運動会を短距離走しか見てあげられなかった。とても頑張っていたと本人も妻も言う。お父さんは仕事だから…。いつもこう言って運動会をまともに見てあげられなかった。春になってしまったので職場の運動会と重なる心配はなくなったのに…。最悪最低の父でした…。おなかいっぱい胸一杯で、夕食は一緒に食べられませんでした。
 今回のように、自転車で廻ることは今まで当たり前のようにやってきていましたが、対象とする子どもたちの出場時間に間に合わなかったことは一度もありませんでした。学年が似通っていても、きちんとやりくりをして、今まででも最大で6校6人の運動会を1日で廻ることはしていました。ところが、だんだん、ペダルを漕ぐ足に力が入らないようになってきてしまいました。しかも、自転車を降りた瞬間に太ももがつって動けなくなることが増えてきました。急激な運動の負荷が、筋肉を痙攣させてしまうところまで追い込んでいるようです。糖尿病のせいでもあるのですが、何より、年を取ったのでしょう。20代30代の頃のようなわけにはいかないのでしょうね。運動不足の身体が悲鳴を上げ始めたのです。自分でも以前から考えていたことですが、自分の理想とする教育の質を保てなくなったら、その時は潔くこの仕事を辞めようと思っています。一生を言語障害通級指導教室に捧げられると思っていましたが、体力の限界が近いのかも知れません。勿論そうはなりたくないので、身体を鍛え直したいと思いますが、中日ドラゴンズの山本昌投手や、サッカーの三浦知良選手のように、生涯現役をどこまでも貫く体力をつけねば、自分の理想の仕事にはならないですね。頑張って努力します。
コメント
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