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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

メナムノイ古窯址に遣って来た

2018-06-15 07:36:57 | 窯址・タイ

KLにてタイ・ツーリストビザ取得後、昨6月14日の朝8:20発エアーアジアにてドンムアン(DMK)定刻の9:30着。DMKからモーチットマイへ行き、そこでロットゥーに乗りシンブリーへ行く。シンブリーのターミナルからロットゥーをチャーターしてメナムノイ古窯址へ行く計画である。

DMK国際線ターミナルの到着ロビーからターミナル6番出口を出るとA1バス停である。

表示通り6番出口へ急ぐ。その6番出口を出るとA1バス停である。

そこまでは良かった。過去ネット検索していると、DMKからモーチットマイのバスターミナル行、つまりA1バスに乗ればよいとの検索結果であった。事実はMRTチャトゥチャック(BTSモーチット)行きであった。来たA1バスの車掌に尋ねてもそうであった。面倒くさい、タクシーにすることにして、タクシー乗り場へ。

タクシードライバーはポッチャナさん。彼が云うにはモーチット・2から何処へ行くのかと・・・。シンブリーと応えると1700Bでどうかと云う。モーチット・2からシンブリーのバスターミナルへ、そこからソンテゥのチャーター。更にはシンブリーからロッブリーに移動して、プラ・ナラ―イラチャ二ウェート国立博物館、更にはアユタヤの宿泊先への移動を考えている・・・これは彼の提案に乗るしかないと、1500Bで折り合った。シンブリーの先を含めて結局2000Bで話をつけたが、この先の出来事により2200B支払うことにした。その出来事は後日紹介したい。・・・ということでDMKを10:20に出発して11:50頃に写真の標識を見るところまできた。

標識に従い右折しメナムノイ古窯址に到着したのは、丁度正午頃であった。

 胸が高鳴る。見学記は後日紹介したい。

<続く>


テナントが替わっていたINTERMARK BLD.

2018-06-13 07:55:07 | クアラルンプール

宿泊しているダブルツリー・バイ・ヒルトンは、INTERMARKビルの後ろ側に隣接している。そのINTERMARKビルには多くのテナントが入っている。3カ月振りに行ってみるとテナントが替わっていた。食品スーパーのジャヤグロッサ―と同じフロアーに『麵屋・武蔵』と入れ替わりに、KLで展開している『鮮家』が入っていた。

写真入りの日本式メニューは当地でも一般的になって来たが、変なものが出てこないので嬉しい。丁度お昼時なので写真の牛丼をオーダー、味噌汁付きで22MYR(605円)。当地に出店している『すき家』では写真のセットで16.4MYRで、こちらが断然お得ではあるが、近くには見ない。

ファミマも出店しており、日本式弁当も揃えていた。日本製品も多々在る。

益々便利になってくる。英語学習の留学にいいかもしれない。

<了>

 


散々な目にあったクアラルンプール行き

2018-06-12 08:11:43 | 日記

ツーリストビザの期限切れである。ビエンチャンの手もあるが、勝手知ったるKL(クアラルンプール)でゲットしようと、昨6月11日DMK(ドンムアン)経由KLに向かった。

乗り継ぎのDMKで、運悪く予約していたエアーアジア・FD313便(DMK発・12:00)がフライトキャンセルとの電光表示。噂には聞いていたが、遣ってくれるではないかエアーアジア。まるで25年前のTG(タイ航空)と同じである。チケットオフィスにて代替便に変更手続き、AK883便(DMK発・13:10)になった。当日午後のKLの行動予定に影響がでた。

2度目のアクシデントは、アンパン・パークで宿泊予定のダブルツリー・バイ・ヒルトン。部屋のバスルームは汚れ、冷蔵庫から水がこぼれ、TVがつかない。エンジニアを呼ぶも、15分経っても来ない。電話するとOne the wayの1点張り、30分後にきたが、そのエンジニアが1時間かかってもリペアーしない・・・既に午後8時を回っている・・・さすがに頭にきた。するとエンジニア―のスーパーバイザーが遣ってきた。その彼は20分で修理完了。ヒルトンとは名ばかり。タイ大使館領事部には近くて良いのだが、ここの宿泊は遠慮した方がよさそうだ。

今朝11階のレストランで朝食。暗闇から夜明けのアンパン方向の景色を見ることができ、食事の内容はソコソコ・・・多少昨夜のイライラが解消された。

アンパンパークで外れないのは、旧ホテル日航(現・インターコンチネンタル)である。やや高額ではあるが満足度は高い。

<了>

 


ワット・クータオで見たもの:チョーファーをみて考えた

2018-06-10 08:44:14 | チェンマイ

北タイの仏堂に在る切妻頂部、日本でいうところの鴟尾(しび)に相当するものをチョーファーと呼んでいる。このチョーファーとは神話上の聖なる鳥(ハムサ:ハンサとも云いタイでホン、ミャンマーでヒンタと呼ぶ)の頭部をデザイン化したものである。

写真はワット・クータオで見たチョーファーである。記憶がはっきりしないところもあるが、周りに結界石がなかったので、ウィハーン(礼拝堂)のチョーファーである。ところが、何とそのチョーファーはナーガであった。このナーガのチョーファーは初見である。北タイ20数年の定住者に尋ねると、北タイではたまに目にするとのことであったが、意味するところは不明とのこと。参拝した時に気になったので、目にした青年僧にたずねると、良く分からないとの回答であった。SNS上の情報を検索するがヒットしない。中国古代神話に羽をもつ飛龍が登場するが、似たような伝承が北タイに存在するのか?・・・ここらが精一杯で、この先に進めないでいるのだが・・・。しかしながらナーガのチョーファーをよく見ると、ナーガの頭部の上にクネッタ突起が見える。この突起はハムサをイメージ化しと云うのが定説のようである。

このチョーファーは、上述のようにハムサ(ホン)を表したものがほとんどであるが、時たま北タイでノック・ハッサディーリンと呼ぶ聖鳥を用いたチョーファーも存在する。写真はチェンマイのワット・ジェットヨートのハッサディーリンである。

 

その体は鳥だが頭部は象の鼻と牙を持つ大きな鳥で、象の5倍の力を持つと云う。この聖鳥は須弥山下のサット・ヒマパーンの森に棲むと信じられており、北タイでは上座部仏教の行事にも登場する。

ワット・クータオはタイ・ヤイ(シャン)族の菩提寺のようで、シャン族の少年の出家行事をポーイサンロンと呼ぶが、その季節になると境内は大賑わいとなる。ではタイ族やシャン族のチョーファーは何なのか? 更にその起源は何処に在るのか? 気になるところである。
下に掲げる写真について、当該ブロガーは実見経験が無いが、鳥越健三郎氏の著書に掲載されている、雲南奥地の布朗(プーラン)族の棟飾りの鳥である。氏の調査に対し村人は、“家族を守りに天から降りて来られる神の乗り物”であると説明したという。天から降りて来る神の乗り物とは、ミャンマーやタイで伝承されるブラフマー神が乗るハムサ(ホン)と同じではないか

 

以下、勝手な想像である。タイ族も漢族に追われて雲南・貴州から南下・西南下した民族である。そのタイ族の故地では、先の布朗族やアカ族等の山岳少数民族と隣接していたのである。鳥越憲三郎氏が掲げる高床式住居の鳥の棟飾りは、タイ族にとっても日常的な光景であったであろう。これがタイ族にとって寺院の棟飾り、つまりチョーファーになったであろうと想像している。少数民族の鳥の肖形物が、バラモンやヒンズー思想の及んだタイの地でハムサ(ハムサとはブラフマー神(タイでプラ・プロム、日本で梵天という)の乗り物)に化けたものと考えている。そして、邪悪なものの侵入を見張る役目を帯びていたのではないか? つまりチョーファーの役割は、少数民族の鳥の肖形物の棟飾りと同じであると考えられる

以下の噺は、ややこじつけの感じがしないでもないのだが・・。このチョーファーと東大寺大仏殿の鴟尾(しび)の源流は同じではないか・・・? 鴟尾の鴟は訓読みで『とび』と読む。大空を旋回する鳶である。

『夢技塾・徳舛瓦店』のHPによると、中国・後漢の時代、大棟の両端を高くした棟飾りを『反羽(はんう)』と呼んでおり、反りあがった羽という意識があったと考えられる・・・と記されている・・・ここでも鳥がでてくる。中國深南部山岳少数民族の民俗・風習が南下してタイの地でチョーファーとなり、北上して反羽や鴟尾になったのであろうか?・・・と、云うようなことをナーガのチョーファーを見て考えた次第である。

<了>