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北タイ陶磁の源流考・#6<インドシナの治乱攻防と窯業・#2>

2017-01-09 13:33:34 | 北タイ陶磁
<続き>

2.11世紀中頃のインドシナ諸国

<紺色>
「大越国・李朝」1009年―1225年・・・キン(ベト)族
1009年、それまで北部ベトナムを支配していた前黎朝の将軍李公蘊(リ・コン・ウァン、李太祖)が、軍権を掌握して前黎朝を倒し、李朝を樹立した。1010年、首都をホアルーから昇龍(タンロン、現ハノイ)に移す。 1054年、国号を「大越(ダイベト)」とした。

<黄色>
「CHAMPA・占城」192年―1832年・・・チャム族
チャンパ王国(林邑国)については前述。
10世紀にベトナム北部の紅河流域を中心にキン族が大越国を建てると、チャンパは都を南中部の北端のアマラーヴァティー州(現ダナン、クアンナム省)から南中部の南端のビジャヤ州(現クアンガイ省、ビンディン省)に移した(占城ビジャヤ王朝)。現存するチャム写本『チャム王家年代記』はこの遷都の年(西暦1000年)を建国の年とする。11世紀以降、ヴィジャヤ王朝はベトナム北部の大越及びカンボジアの真臘・アンコール朝としばしば戦争を行った。

<赤色>
「アンコール(クメール)王国」802年ー1431年・・・クメール族
11世紀頃の版図は、現カンボジア王国にタイ東北部(イサーン)を加えた領域。後世強大になり、ジャヤーバルマン7世の時、最大版図を得ることになる。
クメール族はモン族の故地に領土を拡大した。両族の文化的何がしかが交流したのは、想像にかたくない。
クメール族の陶業に関し、タニ窯址と出土品の分析によれば、10世紀頃と捉えられている。それに先立ち9世紀には、プノン・クーレン丘陵で陶磁器生産が勃興したと考えられている。
11世紀中頃から12世紀にかけてコラート台地のブリラム・ナイジアン窯が操業を開始し、クメール陶を焼成した。

<緑色>
「ハリプンチャイ王国(女人国)」661年ー1281年・・・モン族
現在のタイ中部北端からタイ北部、更には現ミャンマーのシャン州にまで、勢力が及んでいたと云われている。
661年、モン族のチャーマティーウィが、ラヴォー王国より招かれ女王に就いた。以降600年に渡りモン族国家が彼の地に存在した。
1050年、首都ランプーンにコレラが発生し、6年間流行したと云われ、モン族は下ビルマのペグーやタトーン王国の都・モッタマへ移動した人々がいたと云う。
一方の先住民であるクメール族との交流により、クメール文化もミャンマーのマルタバン湾岸(アンダマン海)へ及んだのであろう。
ハリプンチャイ陶にはインド・パーラ朝の影響を受けたと喧伝されていることから、その起源を9世紀とする見方があるが、どうであろうか? C-14年代法などの科学的分析結果の存在すら知らないが、この時代(11世紀中頃)には、生産されていたと思われる(11世紀といわれる土器が存在している)。

<水色>
「ラヴォー王国」7世紀頃ー1388年・・・モン族但しクメールの属国
モン族の都市国家の連合体。11世紀初頭、クメール王・スーリヤヴァルマン1世の占領を受け、クメールの属国となった。そのことによりモン族の中心は、ハリプンチャイ王国に移ったと伝えられている。
結局、ラヴォー王国がクメールから離反したのは、1155年頃と云われている。従って11世紀中頃はクメールの属国であった。首都はラヴォーで現地名はロッブリーである。
伝聞によれば、スパンブリーのバン・バンプーン窯群の操業開始は、数十年後の11世紀後半から開始され14世紀前半に廃窯したとされている。

<桃色>
「パガン王国」1044年―1299年・・・ビルマ族
南下したビルマ族最初の王朝。アノーヤター王が最初の王とされる。王は領土を拡大し、南のモン族国家のタトーンやモッタマを制圧した。
11世紀には無釉の仏塼が現れる。煉瓦の焼成窯で焼かれたのか、それとも無釉陶が既に焼成されていたとも考えられる。
パガン王国期の13世紀には緑釉塼が生産されている。釉薬の特徴から西方(ペルシャ)の影響を受けたか? それともピュー王国時代の施釉陶の伝統が脈々と伝わっていたのか?。


<肌色>
「Laotian Muang」・・・ラオ族
タイ族一派のラオ族が幾つかの都市国家を構成していた。ランサーン王国成立前夜にあたる。




                                  <続く>



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