世界の街角

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聖なる峰の被葬者は誰なのか?(4)

2019-03-04 08:04:10 | 北タイ陶磁

<続き>

3)オムコイ山中発掘現場

目指すのはチェンマイ県深南部のオムコイ郡バン・メーテン(บ้านแม่ตื่น:Ban Mea Ten)村の発掘現場であるが、正式な地名はモン(Hmong)族の居住する集落名のバン・クリアン(บ้านเกรียง:Ban Khuriang)にすべきであろう。しかしここでは、周辺の発掘品の集積地である、バン・メーテンと以降表現する。

チェンマイの友人と四駆(オフロードの山中に分け入るので四駆は必須)で出発したのは、2010年11月15日の午前8時であった。HOTの町を右折してメー・チェム川(Nam Mae Chaem)に沿って走り、2時間を経過した時点で、国道108号は、標高1000mを超えると思われる山間に入ってきた。暫く走るとバン・ケウロム(บานกึวลม:Ban Kiew Lom)の集落がある、そこにはオムコイ(อมก๋อย:OMUKOI)との標識がでているのでそこを左折して国道1099号を進んだ。ところがそこからオムコイまでの距離が長い。1時間以上走って到着したのだが、国道1099号が走るのは、山の尾根(標高1100m前後)伝いで曲がりくねっている。

オムコイの町は標高800mを越へ、町というのが憚れるほどで、集落に毛がはえたもののようであるが、チェンマイ県深南部の中心であり、一応ながら総合病院もある。

(写真の交差点を左折)

そこを左折して、なおも国道1099号である。またまた難所で、再び山の尾根(標高1100m前後)伝いの道である。狭いながらも片側1車線の道が続く。

オムコイから40分を経過した時点で、車は尾根を下り始め谷間に入ってきた。間もなく過去大量の陶磁が発掘された、ドイ・ムーサー(ดอยนมูเซอ)の入口を通過し、なおも進み結局チェンマイを出発して4時間で、谷間が開けた平地に出てきた、並行してメー・テン川(Nam Mae Ten:一部の地図ではMae TunとかMae Tuenの表記があるが、ここは道路標識の表記に合わせる)が流れている。ほぼ通ってきた国道1099号も尽きようとしている。終着のバン・メーテン(บ้านแม่ตื่น:Ban Mae Ten)の集落に着いた。集落は河谷が開けたところで、その標高は約420mである。

最寄りの食堂で昼食にしたが、その食堂を見回すと、写真の発掘された大壷が、でんと構えているのが目にはいってきた。ほかに二つのビルマの大壷に花が活けてあり、なんだかこれから、期待がもてそうである。

バン・メーテンは長閑であった。食事中マイクで大きな声が聞こえる、聞くとすぐ近くに学校(Mea Ten Witthaya School)があり、午前中の学習終了時の何かを喋っているらしい。それ以外は静かなもので、車はほとんど通らない。メー・テン川の対岸を見ると1900m級の峰々が屹立している。これらの峰は隣のターク(Tak)県との県境をなしている。対岸に稲穂の田園と民家が散在し、その背後は峰々、手前と対岸の川岸にある竹林の光景は、日本の田舎の田園風景そのもので、時の経過とは無縁の景色であった。

<続く>

 


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