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埴輪が面白い:謎の山高帽人物埴輪

2020-09-15 07:00:25 | 古代と中世

千葉県芝山町の古墳から山高帽を被り、立派な美豆良(みずら)と髭をもつ埴輪が出土している。写真は芝山町役場前に立つ、その埴輪のモニュメントである。

田中英道氏は、これをユダヤ人埴輪だとする。氏の主張される根拠を知らず、氏の著書も読んでいないので否定はできない。なるほど山高帽に美豆良、顎鬚はユダヤ教徒に見かける習俗である。この類似性よりユダヤ人埴輪だとする論説がでるのは当然かと思えるが、先に断ったように根拠がわからない。

安倍晴明紋をもって、これをユダヤのダビデの文様とする噺も存在する。ユダヤは六芒星で安倍晴明紋は五芒星であるのだが?・・・これらをみているとまたユダヤか・・・と思わくもない。噺が飛んでしまった。

類似性で噺をすれば、この埴輪の背景はソグド人と関係がありそうだ、と云っても確たる根拠はないのだが・・・。ソグド人とは、ウズベキスタンのサマルカンドを中心とした一帯であるソグディアナ地方を原住地とするイラン(ペルシャ)系民族である。そのソグド人は東西交易に従事し、西域の品々を東方世界に持ち込んだことで知られている。唐に混乱をもたらした安禄山はソグド人であったと云われている。その要望は唐三彩の人物俑でも伺うことができる。西域の文物が東伝するルートとして、北方のステップロードが存在した。それは中國の北方を経由して朝鮮半島に至っている。

中國において新羅のガラス容器の類品が、ほとんど出土していない。このことから、中国を経由しないステップロードを経て、西域から新羅へガラス容器が伝来したと考えられる。そのガラス容器とは正倉院御物の一つのそれである。そのガラス容器とともに、リュトンとか角杯がペルシャから三国時代の朝鮮半島(新羅、伽耶)を経由して、古墳時代の日本にもたらされた(過去に紹介済)。

件の山高帽を被る埴輪の原形は、ステップロードから朝鮮半島を経由したソグド人俑に求めることができそうだ。

それは写真のように、新羅古墳に副葬された人物俑にソグド人のような髭を蓄えたものがあることによる。その人物俑は統一新羅時代(7世紀)の慶州。龍江洞古墳から出土した。この俑のみならず、統一新羅時代の墳墓の前面に並べられた石人像には、西域人(ソグド人であろう)の顔を伺うことができる。人物俑や石人像にされていることを思えば、ソグド人と思われる西域人は新羅朝で何らかの役割を担っていたのでは・・・と想定される。さらに飛躍すれば、彼らは技術者集団ではなかったのか。その人々が日本へ渡海してきた証としての山高帽の技術者集団ではなかろうか。但し、この想定には無理があるとも考えられる。ソグド人は山高帽をはたして被っていたであろうか、ソグド人俑から山高帽は見ることができない。してみれば、田中英道氏が述べるユダヤ人であろうか?

それにしても、ユダヤから中国や朝鮮半島を飛び越えて、日本へ到達したのか? 中国云々以前に朝鮮半島でユダヤ人を想わせる遺物に遭遇していない。やはり謎の山高帽人物埴輪である。

<了>


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