過日、ランプーンのワット・ハリプンチャイとハリプンチャイ国立博物館へ出かけてみた。
滞在先のイースティン・タン前からチャンプアック・バスターミナルまでは4番の赤バスで15B、バスターミナルからランプーンまでは25Bであった。時刻表はあるだろうが、バスターミナルで聞くと1時間に3~4便あるそうで、それなりに便利である。
(フロントガラス上部左にはタイ字でランプーン、右はチェンマイと記載されている。別にタイ字が分からなくてもランプーンと叫べば、これだと教えてくれる。)
乗車1時間でハリプンチャイ国博前のバス停着(当該ブロガーは何度も来ているので、目的のバス停はわかるが、初めての人は運転手に”ロン・ピピッタパン・ハリプンチャイ:ハリプンチャイ博物館で降りる”ないしは”パイ・ピピッタパン・ハリプンチャイ:ハリプンチャイ博物館に行く”と云っておこう。そこに着いたら教えてくれる)。
先ずは、バス停横の入り口から博物館見学である。博物館へ来る気になったのは、誰かわすれたがリニューアルしたと聞いたからである。見学するとリニューアルはしていなかったが、初めての発見もあり有意義であった。それについては別途レポする。
博物館から道を挟んだ反対側がワット・ハリプンチャイである。歴史は古く、ランプーンの名刹である。
寺院の来歴や著名なチェディー(仏塔)について触れるHPやブログは多いので、ここでは省略する。当日寺院に参詣すると、なにやらランタン尽くしである。
そして僧侶が読経している。布薩堂の前では土地の有力者であろうか、読経を聞きながら合掌している。聞くとプミポン国王の88歳誕生日に合わせて、長寿を祈願しているとのことであった。
と云う事で、ゆっくり境内を廻ることはできない。見れるとこだけみることにした。先ずは境内付属の博物館である。
残念ながら中世の陶磁器は展示数も少なく、これはと特筆すべきものはなかった。
山門左に下のKhao Pra Sumenなるオブジェがあるではないか。そこにはタイ語と英語で説明がされている。
その説明によると、<カオ・プラ・スメンに関して、歴史上の建立記録は何もないが古い写真によれば、寺院の前面にあったことが分かる。そのカオ・プラ・スメンは、宇宙の信念とも云うべき、地球の中心であるとの考えに基づき建立された。そのオリジナルは古代インドのものである。そして、それは14-15世紀ランナーの時代にスリランカ仏教と共に伝わってきたと信じられている>・・・概略このような説明であろうか?
古代インドの宇宙の中心信仰とはバラモン、ヒンズー教でシバ神の住居であるカイラス山、つまり須弥山と同一視されるものである。う~んここでも須弥山か。後にみえるチェディーも須弥山を模したものと云われている。
ランナーは中国の影響も受けたが、文化的・精神的な影響はやはり西方の影響が遥かに大きい証左である。
滞在先のイースティン・タン前からチャンプアック・バスターミナルまでは4番の赤バスで15B、バスターミナルからランプーンまでは25Bであった。時刻表はあるだろうが、バスターミナルで聞くと1時間に3~4便あるそうで、それなりに便利である。
(フロントガラス上部左にはタイ字でランプーン、右はチェンマイと記載されている。別にタイ字が分からなくてもランプーンと叫べば、これだと教えてくれる。)
乗車1時間でハリプンチャイ国博前のバス停着(当該ブロガーは何度も来ているので、目的のバス停はわかるが、初めての人は運転手に”ロン・ピピッタパン・ハリプンチャイ:ハリプンチャイ博物館で降りる”ないしは”パイ・ピピッタパン・ハリプンチャイ:ハリプンチャイ博物館に行く”と云っておこう。そこに着いたら教えてくれる)。
先ずは、バス停横の入り口から博物館見学である。博物館へ来る気になったのは、誰かわすれたがリニューアルしたと聞いたからである。見学するとリニューアルはしていなかったが、初めての発見もあり有意義であった。それについては別途レポする。
博物館から道を挟んだ反対側がワット・ハリプンチャイである。歴史は古く、ランプーンの名刹である。
寺院の来歴や著名なチェディー(仏塔)について触れるHPやブログは多いので、ここでは省略する。当日寺院に参詣すると、なにやらランタン尽くしである。
そして僧侶が読経している。布薩堂の前では土地の有力者であろうか、読経を聞きながら合掌している。聞くとプミポン国王の88歳誕生日に合わせて、長寿を祈願しているとのことであった。
と云う事で、ゆっくり境内を廻ることはできない。見れるとこだけみることにした。先ずは境内付属の博物館である。
残念ながら中世の陶磁器は展示数も少なく、これはと特筆すべきものはなかった。
山門左に下のKhao Pra Sumenなるオブジェがあるではないか。そこにはタイ語と英語で説明がされている。
その説明によると、<カオ・プラ・スメンに関して、歴史上の建立記録は何もないが古い写真によれば、寺院の前面にあったことが分かる。そのカオ・プラ・スメンは、宇宙の信念とも云うべき、地球の中心であるとの考えに基づき建立された。そのオリジナルは古代インドのものである。そして、それは14-15世紀ランナーの時代にスリランカ仏教と共に伝わってきたと信じられている>・・・概略このような説明であろうか?
古代インドの宇宙の中心信仰とはバラモン、ヒンズー教でシバ神の住居であるカイラス山、つまり須弥山と同一視されるものである。う~んここでも須弥山か。後にみえるチェディーも須弥山を模したものと云われている。
ランナーは中国の影響も受けたが、文化的・精神的な影響はやはり西方の影響が遥かに大きい証左である。
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