世界の街角

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稲作漁撈文明(壱拾六・最終回)

2021-10-06 07:09:44 | 日本文化の源流

畑作牧畜民が美しい日本の森を買いあさる

不定期連載を続けていた。今回は最終回であるものの、字面だけで恐縮である。以下、安田教授の著述内容である。

地球環境の危機に直面する21世紀にあたり、我々日本人は縄文文化を再認識し、森と海の文化の伝統を21世紀の地球環境の危機の時代を生き抜く叡智として、再評価することが必要である。

北海道の山林原野は外国資本によって買収され、畑作牧畜民の手におちている。畑作牧畜民は土地を手にしたら、柵を作り囲い込む。さらには外部から敵が侵入しないように柵で囲い込むのである。巨万の富を蓄えた中国の富裕層が、これから求めるのは、豊かな自然と安全な食である。その天国のようなところが、飛行機に2-3時間乗れば来ることができ、その土地代は二束三文である。

これまで山菜取りに自由にでかけていた美しいブナ林の中に、突然柵ができて、掃除夫などとして外国人の下働きとして雇われた日本人以外は入れなくなる日もやってくるだろう。そして水の危機がやってきたとき、水源の森を購入した畑作牧畜民はおそらくダムをつくり、地下水を汲み上げて、その水を売るであろう。水源の森を外国人に抑えられたら、日本民族の消滅を意味する。“・・・以上である。

安田教授指摘のとおりで、農地は農地法によりむやみに外国人に渡らないが、山林原野には法の網が存在しない。政治家は何を考えているのか。現在は、土地所有後届け出のみである。北海道などは条例で3カ月前に事前届が必要だそうだが、これも届け出のみである。日本の国土を政治家が守らずして何の政治家か?

思うに明治維新、薩長政府は稲作漁撈民的性格をかなぐりすて、畑作牧畜民である西欧の制度を無理やり日本に移植してきた。その行きついたところが、第二次大戦での敗戦である。過去を語ってもはじまらないが、過去の経験を踏まえこの先どこへ行こうとするのか。

海を渡った大陸は、畑作牧畜民と稲作漁撈民が混在する中国である。畑作牧畜民文化と稲作漁撈民文化が混淆する中国は、異民族国家であった『清』の時代に、現在の領域を確保した。西欧(畑作牧畜民)が作り上げた「契約」という仕組みを平気で踏みにじって、再び中華の世界が訪れようとしている。毛沢東の共産中国には脅威を感じなかったが、中華思想丸出しの覇権国家である習近平中国は、この先何をしでかすのか。

今日の中国の基礎を築いたのは鄧小平である。共産中国において彼は『白猫黒猫論』を提唱し、1962年に毛沢東の政策を批判した(暗に階級闘争のイデオロギーにとらわれるなと批判した)。その後1978年に改革開放政策に着手し、1992年に中国南部で南巡講話をするに至った。今日の中華は習近平がなしたものではなく、鄧小平の遺産である。イデオロギー論争だけでは何も進歩しない証左である。野党の諸氏は分かっているのか?

我々日本民族はどのように対応しようとするのか。一つは持続可能な循環型社会の実現にあるが、対外関係についての目指す姿は霧に包まれている。中華と対峙するのか、朝貢外交により藩国化するのか、これは日本人のプライドが許さないであろう。この霧をだれがどのように切り開こうとするのか。残念ながら岸田さんでは無理であろう。

以上、長期にわたる不定期連載であったが、安田教授の『稲作漁撈文明』については、大いに考えさせられた。日本の考古学会のみならず古代史家も戦後の反省から、何でもかんでも文化は朝鮮半島渡来と宣ってきたが、安田教授は大陸からの直接渡来説を主張しておられる。当該ブロガーの感性と奇しくも同じようである。ここで重要なことは、中国からの直接渡来一辺倒ではないことである。基盤はあくまで縄文日本であり、その基盤の上に長江流域の呉越文化が影響した。古墳時代に至り朝鮮半島の文化も渡来した・・・と云うように考えている。

いずれにしても『稲作漁撈文明』は参考になる良書であり、その後次々と氏の著籍を読んでいる。別の機会にそれも紹介したいと考えている。

<了>