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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

素戔嗚命を祀る出雲と大和

2020-04-20 08:13:35 | 古代と中世

先の2月22日から26日にかけて南河内、奈良、京都、滋賀と駆け足で回ってきた。古代遺跡と関連博物館・資料館を見たいがためであった。それらについては順次記事にしてUp-Dateしたいと考えているが、その前に、それらを見た印象と考えたことを紹介したい。

大和はまほろば・・・どころか出雲族と天孫族の神々が蟠踞していた。先に紹介した明日香村字神奈備の飛鳥坐神社の祭神は、事代主命、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈留美神)、高皇産霊神(高木神)、大物主神(大国主命)である。出雲族と天孫族が仲良く? 祭神として祀られている・・・何故だとの想いが湧く。

ここでは、そのことは置いておく。素戔嗚命は天津神であるが、高天原を追放され、その六世孫が大国主命であるので、出雲族神の元祖ということになる。

その素戔嗚命が大和国出雲郷(桜井市)に祀られている。それは江包(えっつみ)地区の素戔嗚神社である。

そこには江包・大西の御綱祭りなる伝統祭事が継承されていると云う。その両地区は桜井市北西部の大字で、初瀬川を境に北側を江包区、南側を大西区と分かれている。祭事は両地区の住民により、五穀豊穣や子孫繁栄を祈願して毎年2月11日に行われる。

以下、伝承である。昔、初瀬川で大洪水があったとき、上流から素戔嗚命と稲田姫の二柱の神が流れてこられた。そのとき大西では稲田姫、江包では素戔嗚命を救い、それぞれ祀ったのが大西の御綱神社と江包の素戔嗚神社と云う。その二柱の神が正月に結婚されたことに由来して、この祭事が始まったようである。

大西区では稲田姫の雌綱、江包区では素戔嗚命の雄綱を稲藁で作る。雌綱は陰部を想定させる舟形状に編み上げる。祭礼当日は舟形を開き雄綱を入れ、二つの綱が一つになって古木に掛ける『入船の儀式』が行われるという。写真は『入船の儀式』後に写したもので、奈良県公式HPより借用した。

桜井市の当該伝承は、古事記記載の上流から箸が流れてきたので、流れを遡上すると稲田姫がオロチの生贄に・・・と、噺が似ていなくもない。

大和では素戔嗚命と稲田姫の宮居が、それぞれ異なるようだが、我が出雲は同処であり、素戔嗚神社や須佐之男神社のように、そのものズバリと呼称する神社は存在しない。我が出雲で須佐之男命を祀る神社は多数にのぼるが、代表的な三つの神社を紹介しておく。

先ずは須佐神社である。祭神は須佐之男命、稲田比賣命、足摩槌(あしなづち)命、手摩槌(てなづち)命の4柱である。

次に須我神社、須佐之男命が八俣大蛇を退治した後、稲田比賣命と棲んだ宮居の後に鎮座している。祭神は須佐之男命と櫛稲田比賣命である。

三つめが八重垣神社で、ここの祭神も二柱の神で、先述の神社と同じである。ここの本殿の板壁画には、二柱の神が描かれている。社伝では寛平五年(893年)、巨勢金岡の作とするが、 実際の制作年代については室町時代頃と推定されているようだ。

いずれにしても、大和の地であまりにも多くの出雲族神を祀る神社がそんざいすることに驚きを覚えた。故・梅原猛氏の“神々の流竄(るざん)”説ではないが、出雲族の一派が天孫族が降下する前に蟠踞していたであろう。

<了>