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邪馬台国の葬送と死生観?:大阪府立弥生文化博物館

2019-06-24 07:49:06 | 古代と中世

弥生時代の埋葬方法は土葬で、墓穴を掘って遺体を納めた棺を安置した。それらは単独ではなく多くの墓穴が特定の場所に集まっている、それを特定集団墓と呼ぶらしい。棺には木棺と甕棺が存在する。

    『魏志倭人伝』の中には、弥生時代おわりごろの葬儀の様子が描かれている(緑色)。

それによると、“棺ありて槨なく、土を封りて塚を作る。始め死するや、喪を停むるところ十余日、時に当たりて肉を食らわず、喪主、哭泣し、他人就きて歌舞飲食す。己に葬れば、家を挙げて水中に詣りて澡浴し、以て練沐の如くす”・・・とある。う~ん。“肉を食わらず”を除けば、棺ありて槨なく等々、北タイ少数民族の風俗そのものである。

これより時代はさかのぼるが、特定集団墓の被葬者に対しても、死をいたみ、別れを惜しむ何らかの行為がおこなわれたことは確かであろう。棺のそばに壺を供え、貴重品であった青銅器や装身具を遺体に添えて、死者たちを弔っている。

甕棺墓には、内部から朱が確認されたものがあるが、これは顔面など遺体の頭部付近に塗布されたものと云われている。血液と等しい「赤」には、呪的な力がそなわっていると考えられており、施朱の風習は世界中で認められると云う。特定集団墓においても、遺体に朱を施すことによって、死者の蘇生もしくは鎮魂を求めたのであろう。

 

<了>