セブ滞在中に行った博物館で、高床式住居や米倉である高倉、更にはパラワン島には、日本の弥生期と同じ甕棺まであるという。ルソン島北部のイフガオ族は、現在でも高床式住居に住いするという。
稲作の伝来は朝鮮半島経由説、長江流域からの直接伝播説、南海島嶼伝いの伝播説(柳田国男説の海の道)の三つがあるが、『海の道』説も捨てたものではないとの想いが湧く。
大阪・池上曽根遺跡や奈良・唐子鍵遺跡から出土した2200年以上前の弥生米のDNA分析では、朝鮮半島には存在しない中国固有の水稲の品種が混ざっていたことが判明している。柳田国男が『海の道』と呼んだ、南海の島嶼伝いの伝播説は、南西諸島に稲作跡がないのを理由に物語としてしか扱われていない。しかしルソン島北部のバナウエ棚田はイフガオ族によるもので、2000年以上(一説によると紀元前1000年~前100年)の歴史があると云われている。栽培されている米は2種類で、熱帯ジャポニカと赤米である。
イフガオ族とは、ルソン島北部のコルディエラ山脈に居住する少数民族で、プロト・マレー系の民族である。彼らは山岳農耕民で、標高1000m-1500mの山腹に石垣を重ね棚田を作り水稲栽培を行う。更に水牛を使って田起こしを行う。稲の刈入れは穂先のみで、何やら弥生時代の刈入れ風景をほうふつとさせるhttps://cordillera.exblog.jp/16273541/。伝統的な家屋は、正方形の高床式で敷地内には高床式の米倉をもつ。村民共同で刈入れし、室内ないしは米倉の床下で収穫儀礼が行われ、コメの神に鶏や豚の生血と、米から作った酒が奉げられるという。
台湾が分からないが、沖縄には高倉が存在している。現在も使われているかどうか?ながら、眼にすることができる。
沖縄本島の高倉で、これと同じ様式の高倉がイフガオ族の村にも存在する。柳田国男説は物語ではなさそうだ。佐藤洋一郎氏はフィールドワークをこなし、地に足がついた研究家と感じる。氏はイネの遺伝子に注目し、中国や東南アジアはてはインド周辺のイネ(籾)の遺伝子を調査された。その結果が下図で氏の書籍・論文よりプロットしたものである。
多分陸稲(おかぼ)である熱帯ジャポニカが、まさに『海の道』で日本に伝播したであろう、それは縄文晩期と考えられる・・・と佐藤洋一郎氏は云う。
但し遺伝子解析のみでは、伝播の時代背景が分かりにくい。陸稲の焼畑耕作址の考古学年代観、温帯ジャポニカ(水稲)の水田耕作址の年代観も合わせてみる必要があろう。
いずれにしても弥生期に水稲が九州に伝播した以前に、熱帯ジャポニカが陸稲の形で伝播していたであろうとの説は、柳田国男の物語を補完するものである。近いうちに台湾を見てみたい。
<了>