世界の街角

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違和感を覚える鳥越憲三郎氏の倭族論・続々編

2018-08-21 09:10:04 | 古代と中世

執拗に掲載して恐縮である。氏は雲南省深南部で佤(わ)族、タイ北部でラワとかルワと呼ぶ山岳民族(時としてワ(ว้า)とも呼ぶ)は倭族だと云う。氏の著作は多々あり、当該ブロガーが読了していない著作も多いので、その根拠を記した著作もあるかと存ずるが、未だ目にしていない。まさか倭族=佤族の語呂合わせではないであろうが・・・。

佤族とは、インドシナ半島北部山岳地帯に居住するオーストロアジア語族のモン・クメール語派に属する民族で、紀元前後にミャンマーのマルタバン湾岸からサルウィン川を遡り、チベット系民族と混ざった・・・そうであれば、氏の倭族論である長江下流域から漢族に追われて西南に逃れた倭族の一派とは異なるであろう。

その佤族、北タイではラワ族のとおりが良いので以降、ラワ族と表記するが、そのラワ族は3世紀頃にチェンマイ盆地に進出し、マラッカ国とよぶ民族国家を築いたが、8世紀ランプーンにモン(MON)族国家・ハリプンチャイが興りその勢力は衰退した。

佤族の住居は倭族同様高床式住居に居住する。しかし、倭族の高床式住居は木造高床式であるのに対し、ラワ族のそれは竹造高床式住居である。くどいが鳥越憲三郎氏は、最も基本である事柄は不変であると説くが、この違いをどのように説明されるであろうか?

写真は吉野ヶ里の復元高床式住居である。木造で復元されている。片やラワ族の竹造高床式住居が下の写真である。

この2葉の写真はラワ族の居住地ではなく、チェンマイ山岳民族博物館の屋外展示場のものであるが、全て竹材である。

何度も些末なことを取り上げ異論を述べたが、共通する事柄も多々存在する。ラワ族は弥生人と同じように貫頭衣を着用し、魏志倭人伝記載の倭人は、身分の貴賎無く皆黥面文身するとある。さすがに黥面はないが、刺青の風俗は残存している。更にワット・ドイカムの麓で毎年行われる儀式。それはプーセー、ヤーセー(何れもラワ族)の人食い鬼夫婦に水牛の生贄を捧げる儀式、これは弥生時代の遺跡から出土する牛の頭骨と類似するであろう。これは頭骨のみが出土することから生贄であるとされている。この他にも類似する風俗は存在するが、その類似性のみを捉えて佤族が倭族とする見解には、違和感を覚えざるを得ない。むしろ非類似性を追求し考察すべきであろう。

<了>