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違和感を覚える鳥越憲三郎氏の倭族論・続編

2018-08-18 07:38:04 | 古代と中世

2015年9月1日付けで、『違和感を覚える鳥越憲三郎氏の倭族論』をUP Dateした。3年振りの続編である。

以下、鳥越憲三郎氏の倭族論に対し、些末に思えるようなことをとりあげて論ずるのは、いささか大人げなく恐縮である。氏の著作『古代中国と倭族』のPage226の「シメ縄の習俗」についてである。以下、氏の論述の要旨であるが・・・、

”注連縄は左縄である。左縄とは左綯いにした縄のことで、日本だけでなく倭族に属する民族は、現在でも祭儀に用いる縄は、すべて左綯いにする。西は雲南奥地の佤族(わぞく、東ではインドネシア・スラウエシ島のトラジャ族に至るまで、共通して祭儀用の縄は左綯いにすると聞いた。それは倭族が左を尊ぶ思想にもとづくもので、右大臣より左大臣が上位である。右大臣より左大臣が上位との考え方は、奈良朝以降の遣隋使や遣唐使が中國から持ち帰った思想で、天帝は北辰に対して南面する。皇帝は不動の北極星を背に、南に向かって座す。皇帝から見ると太陽は左の東から昇って、右の西に沈む。ゆえに左が右よりも上位とされた。それは向かって右側上位であることを示す。”

以上である。この話は分かったようで分からない。漢族の皇帝は北辰を背にして南面する考え方なり、思想が倭族の思想に影響を与えたことに言及されているのか? これでは倭族が左を尊ぶ証明にはなっていない。漢族の影響を受けて左を尊ぶようになったと説明されれば、それで理解できるのだが・・・。とりたてて”倭族が左を尊ぶ思想”などといわれると、古代に倭族特有の思想なり考え方が、存在したであろうかと気になる。しかも氏は自分で確かめられたのであろうか? 上述のように『祭儀用の縄は左綯いにすると聞いた』・・・とある。どうも伝聞をもとに記述しておられるであろうと推測する。

話をややこしくして恐縮である。氏はタイ族は倭族であるという。しかしプミポン国王と王妃の肖像は、王は右で王妃は左(向かって王が左、王妃が右)である。日本の「左上右下」と反対である。タイ王室も日本と同じであった可能性があり、「右上左下」になったのは近年で、国際基準というより西洋基準に合わせた可能性も否定できないが、それらの資料に行きついていない・・・これは、何時かは知らないが、ラタナコーシン朝が近世に国際基準に変更した可能性があり、ここでその話を持ち出すとややこしくなり申し訳ないのだが・・・。

しかし、チェンマイのソンテゥ(シーロ)組合のシンボルマークは、右綯いの縄、ないしはロープがデザイン化されたものである。それは各ソンテゥのドアに描かれている。下の写真がそうである。反時計回り、つまり右綯いになっている。

このシンボルマークにデザインされた綯い方向は、昔から慣習の綯い方向か。それとも何も考えずデザイン化したのか、知る由もないがタイ族=倭族とすれば、綯い方向が異なる。もっとも祭儀用の縄ではなく、単なるデザイン・・・ではあるが。

氏はアカ族も倭族だと云う。そのアカ族の祭祀儀礼であるブランコ祭りの綱(縄)も、反時計回りの右綯いである。西洋式の一般的ロープも、反時計回りの右綯いであるので、それにならったとも考えられるが・・・。

(上掲写真は北タイ日本語情報誌CHAOに、過去に掲載されていたブランコ祭祀儀礼(祭り)写真の部分拡大である。綱は右綯いであるとはっきり分かる)

しかし、氏は最も基本である思想や考え方については、不変であると強調する。倭族は左綯いが共通の習俗だとする鳥越憲三郎氏に対し、氏の云う倭族の一員であるアカ族は右綯いである。何故アカ族は右綯いなのか、近年になってから右綯いに変えたと仰せなのか? そうであれば、氏による基本である思想や考え方は、不変と強調することに無理がある。

北タイでルアとかラワと呼ぶ少数民族が居住する。中国で佤(わ)族と呼ぶ民族である。鳥越憲三郎氏によると、当然ながら倭族の一員である。次の写真はチェンマイ・山岳民族博物館に展示されているルア族のビーズの首飾りである。残念ながら儀礼用ではなく装飾であるが、明らかに右綯い(右撚り)である(但し、貫頭衣を着るのは弥生人と同じだが)。

氏は『左上右下』について、奈良朝以降の遣隋使や遣唐使が、中国から持ち帰ったと記述されている。その中国は時代・王朝によって一様ではなく、周代は左を尊び、戦国・秦・漢代は右を尊んだ。『左遷』はこの時代に出現したのである・・・分かったようで訳の分からないことを記載しているが、基本である思想や考え方は時代と共に変化することを示している

鳥越憲三郎氏の云う倭族とは、長江を原住地とし戦争や迫害で長江流域の山岳地帯をはじめ、西ではインド、ネパールの東部に、南ではインドシナ半島の全域から、さらにインドネシアの諸島嶼に渡り、また東では朝鮮中・南部から日本列島に逃避し、その移動分布は、あまりに広域に及ぶとして、苗族と瑶族を除く少数民族を倭族とし、インドネシアのトラジャ族やタイ族、さらにアカ族も倭族だと云う論述には、無理があると考えられる

<了>