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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

加古川市総合文化センター博物館(2)

2021-12-09 08:33:51 | 博物館・兵庫県

<続き>

東播磨には古代遺跡が豊富に存在するようだ。溝之口遺跡の古代竪穴住居が想定復元展示されていた。

弥生土器を中心に展示遺物を紹介している。古代関連遺跡や施設を訪ね展示物を観ていると、毎回感ずることがある。それは弥生人の行動範囲が、狭い集落内で完結していないことである。今回御覧のように東播磨の弥生集落から瀬戸内沿岸、北近畿、海を隔てた讃岐の土器が出土していることである。思えば江戸時代から昭和初期までの庶民の行動範囲は狭かった。特に江戸時代などは社会の仕組みがそうであったと云えばそれまでだが、移動がない社会は停滞するのは当然の成り行きであろう。

<続く>


加古川市総合文化センター博物館(1)

2021-12-05 08:04:43 | 博物館・兵庫県

今回から加古川市総合文化センター博物館の展示遺物を紹介する。当該博物館の訪問目的は一つ。行者塚古墳出土遺物を見たいがためである。それらは次回以降紹介するとして。今回は弥生土器類を紹介する。

(弥生前期)

(弥生前期)

(弥生前期)

(弥生前期)

(弥生中期)

(弥生中期)

弥生前期に対して中期の土器は、装飾性が強まると説明されているが、今回紹介し土器はそうでもなさそうだ。しかし、次回紹介する弥生中期土器は、確かに装飾性が強くなっている。その違いに乞う御期待を!

<続く>

 


但馬・天日槍伝承と準構造船:兵庫県立考古博物館

2019-08-01 08:09:12 | 博物館・兵庫県

『日本書紀』では、垂仁天皇3年3月条において自ら新羅王子と名乗る天日槍が渡来したと記す。これは史実であろう。

朝鮮半島からの渡海に用いられたであろう、古墳時代の準構造船が復元展示されている。弥生期のそれに比較し、随分大形になっている。

舷側版の厚みは5cmもある。この船であれば、日本海の凪の日には新羅から石見や出雲への渡海は可能であろう。北朝鮮の貧弱な現代の漁船より優れているのではないか。しかし大波を被ればひとたまりもないであろう。古代の人々はフロンティアに溢れていたようだ。

これをもって兵庫県立考古博物館の展示品の紹介を終えることとする。次回は吉備の古代史跡と関連博物館の紹介を行う予定である。

 

<了>