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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

加古川市総合文化センター博物館(7)

2021-12-16 09:08:18 | 博物館・兵庫県

<続き>

行者塚古墳出土遺物紹介の2回目である。興味深い埴輪2点を紹介する。1点目は古墳東造出しくびれ部(白丸)の囲い型埴輪とその中の家形埴輪、更には家形埴輪の中に置かれた導水施設型土製品である。

囲い型埴輪に家形埴輪が配置され、その下に導水型土製品が置かれていた。その意味するところが分からなかったが、近年の遺跡発掘調査により殯宮(もがりのみや:ココ参照)の可能性が高くなってきた。首長クラスの貴人の遺体を導水施設で浄め、家形埴輪のような殯宮で仮安置したのであろう。おまけに、その家形埴輪の棟には鳥がとまっていたのである。

棟の両端に鳥が、中程には3つの鰹木が載る。鳥は死者の魂を天界へと運ぶ。今日の日本風家屋の棟の両端に見る鴟尾の原形であろう。家形埴輪は殯宮と記したが、宮というからには今日の神社の原形かと思われる。その殯宮→神社との連想は、日本独特のものかと考えるが、殯の習慣は朝鮮半島南部(ココ参照)でも現認されている。当時は日本列島と朝鮮半島南部は一衣帯水の関係であり、日本列島の風習が半島南部へ伝播した、逆に半島南部から日本列島へ伝播した可能性も考えられるが、半島基部の高句麗がどうであったのか調べ切れていないので、殯の初出論はこの程度にしておく。

興味深い埴輪の2点目である。それは西の造出し部の家形埴輪と贄の土製品である。

その家形埴輪の前面には、酒杯一組と皿に盛られた贄の土製品が置かれていた。それらを前にして巫女は、祭祀儀礼を行っていたであろう場面である。このような場面を見た経験は無く初見であったが、ホンマかいなとの疑問と共に、さもありなんとの想いもあり複雑な感じがした。このような贄の土製品が出土したことは、これらを用いて祭祀が行われていたことを示している。

<続く>


加古川市総合文化センター博物館(6)

2021-12-15 09:01:09 | 博物館・兵庫県

<続き>

今回から行者塚古墳出土遺物を紹介する。行者塚古墳は現地に立って観たかったが、時間の関係で割愛した。Google では立木が茂り前方後円墳と分かりづらいが、葺石をもつ古墳時代中期初め頃の前方後円墳である。この葺石を持つ古墳は、高句麗の積石塚の影響であろうと、多くの考古学者が指摘している。

古墳時代中期の行者塚古墳は、5世紀初めと云う時期に築かれており、その時代観が重要な古墳である。つまり5世紀初めに騎馬民族の影響が伺われる遺物が出土していることによる。先ず大きなジオラマが展示されていたのでそれから紹介する。

(方角は向かって奥が北、右が東、左が西)

東西の造出し部と北東の造出し部、それと後円部頂で円筒埴輪と共に他の埴輪を見ることができる。以下、説明が順不同で申し訳ない。

西造出し部では家形埴輪を前にして贄や酒が供えられ、シャーマン(巫女)が祭祀儀礼を行っている様子が示されている。想定復元ではあるが興味深い。

東造出し部には家形埴輪が並んでおり、その右のくびれ部には導水施設を伴う囲い型と家形埴輪が置かれている。

東北の造出し部である。先代首長の死去にともなう葬送儀礼の場面である。

北西の造り出し部は築墳の様子がジオラマ展示されている。

(墳頂の埴輪群)

今回は、以下の埴輪類を紹介する。

(靫形埴輪・北東造出し部)

(盾形埴輪・北東造出し部)

いずれも武器形埴輪で騎馬民族かどうかは別にして、それらの人々に繋がる遺品である。

(円筒埴輪・円筒埴輪・朝顔形埴輪)

(蓋(きぬがさ)形埴輪)

(家形埴輪・出土地点非表示)

(家形埴輪・東造出し部)

(家形埴輪・出土地点非表示)

(家形埴輪・北東造出し部)

家形埴輪はバラエティーに富んでいる。片流れ屋根の埴輪を現認したの2例目で実に興味深かった。

次回は、特に現認したかった囲い型埴輪を紹介する。

<続く>


加古川市総合文化センター博物館(5)

2021-12-14 08:33:19 | 博物館・兵庫県

<続き>

展示されている古墳時代中期(5世紀)の出土遺物の須恵器と、同時期の古墳である池尻2号墳とカンス塚古墳の出土遺物を紹介する。

当該博物館訪問目的は、以下に紹介する両古墳と次回以降紹介する行者塚古墳出土遺物を見たいがためである。池尻2号墳、カンス塚古墳の出土遺物も期待に違わぬものであった。

古墳時代中期(5世紀中頃)の池尻2号墳から、騎馬民族の特徴を示す鉄製武器・武具(冑)に馬具である轡(くつわ)が出土している。馬具の中で鞍などは、少し時代が下る古墳時代後期の古墳から出土する。轡の出土は乗馬が始まる初期の特徴であろう。この時期に騎馬民族かどうか別にして乗馬を風習とする半島系の移民が渡来したことになる。

カンス塚古墳からは、青銅鏡が出土しているが、この時期から中国製ではなく、日本で作られた倣製鏡に変化する。また金製耳飾りは朝鮮半島南部から出土するそれと瓜二つである。騎馬民族の特徴を示す出土遺物が、両古墳から出土していることを再確認できた。

<続く>

 


加古川市総合文化センター博物館(4)

2021-12-13 08:43:35 | 博物館・兵庫県

<続き>

今回紹介するのは、古墳時代中期を飛ばして古墳時代後期の展示遺物である。

古墳時代後期(約6世紀以降)になると、古墳から出土する遺物は、騎馬民族が持ち込んだであろうと思われるような、金銅製や金製の耳輪・金環や馬具類、半島から持ち込まれたであろう須恵器が中心となる。古墳時代前期の出土品との変化は、古墳時代中期頃から現れ始め古墳時代後期になると武器・武具・馬具類・金銅製や金製の装飾品・須恵器が主体となる。この変化は、騎馬民族征服王朝が存在したかどうかにかかわらず、騎馬民族の影響以外の何物でもない。

<続く>

 


加古川市総合文化センター博物館(3)

2021-12-11 08:29:00 | 博物館・兵庫県

<続き>

今回は、弥生時代後期と古墳時代前期の出土遺物を紹介する。

古墳時代前期になると、前代の弥生時代後期に比較して鉄製品の出土がおおくなるが、何となく弥生時代の様子を引き継いでいるように思えるが、古墳時代中期になると出土遺物の様子が一変する。

<続く>