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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

図書「Southeast Asian Ceramics」より #1

2015-04-09 09:09:26 | 陶磁器
 過日、2度目のイスラム美術館。そこのミュージアム・ショップに「Southeast Asian Ceramics」なる図書が販売されていた。見るとシンガポールのSoutheast Asian Ceramics Soceietyの発刊である。そこのHPを知っていた、それなりの期待がもてそうなので購入した。

 編者はJohn N Miksic氏である。安南、チャンパ、クメール、タイ、ミャンマー陶磁について紹介しているが、タイ陶磁については、多くがロクサナ・ブラウン(Roxanna Brrown)女史の文献を引用している。
 当該ブロガーの関心がある部分を数次に渡って紹介してみる。今回は、ロクサナ・ブラウン女史によるタイ北部窯について、1988年の記述(古くてあまり参考にならない?)である。
 スコータイ、シーサッチャナラーイを除く、北部窯では第一にKalongである。カロンでは、100ばかりの窯が存在していたと推測されている。ブラウン女史によると、カロンでの陶磁生産期間は1300年を中心に始まったとし、1550年頃迄に渡る(最近の発掘調査では、前期と後期に区分され、前期は15世紀初めから、後期は18世紀までありと報告されている)としている。
 カロンの陶土は中世のタイの陶工にとって、非常に良質のものであった。それらは優れた陶磁をうみだした。カロンで良く知られているのは鉄絵の釉下彩である。更にはモノクロの青磁、黒褐釉、褐釉そして緑の鉛釉陶である。


 カロン陶磁では、左下の鉄絵ケンディー、右ページの左下の両環耳壺や窯道具などの写真が紹介されている。


北タイの陶工(絵付工)は左利き?・その2

2015-04-07 10:03:14 | 陶磁器
 先日「北タイの陶工(絵付工)は左利き?」とのタイトルでUP Dateしたところ、それを見ていた家内が、フルーツカービングやソープカービングの時のカービングナイフの動かし方は右から左で、円弧をカービングする際は、右から反時計(左回り)方向にナイフを動かすと云う。

 上の写真は、家内がカービングしたものを写真に写し貯めたものである。1995年4月から1999年10月まで、ランプーンのタイ北部工業団地内の某社現地法人に出向していた。少なくともその4年間、家内はカービング教室に通っており、同時に習ったのは6人で、家内以外はタイ人生徒であったという。先生含めてすべてのタイ人が、ナイフを上述のように動かしていたという。
 この話は、自分で確かめたものではないので、必ずしも正鵠を得ないが、そうであるとすれば、右向きの魚文がタイ北部窯に多いことが理解できる。この5月中旬から半年間チェンマイで長期滞在する予定である。その際、タイ人の直線と円弧の描き方を10名程度の人々で試したいと考えている。


北タイの陶工(絵付工)は左利き?

2015-04-05 09:24:44 | 陶磁器
 北タイ陶磁に興味を持ち、サンカンペーン陶磁については、僅かながら収集もしている。その北タイ陶磁の装飾には、魚文様が多用されている。単魚文なり双魚文での魚の向きは、どちらを向いてるかと云う噺である。見方によっては、どうでも良い噺である。
 景徳鎮の元染めについては、多くを見ていないが、例えば大英博物館や出光美術館の青花魚藻文盤に描かれる厥魚は、頭部が左を向き、尻鰭は右側に描かれる。この向きというか描き方は、右利きの手による描き方で、左から右に向かって運筆すればよく、極自然な描き方である。


 中華の優等生である安南はどうであろうか、上に掲げる写真の出典は『世界陶磁全集16 南海』から引用している。事例がすくなく断言できるほどの自信はないが、写真の魚文は自然と云えば自然ではあるが、いずれも頭部が左を向いており、右利きの仕業である。
 ところが、北タイ陶磁では、頭部が右を向き尻鰭が左側に向く、サウスポーの描き方が多用されている。北タイ陶磁の不思議のひとつである。その様子を表でもって説明したい。


 上表の出典は、敢木丁コレクション(東南アジアの古陶磁(8)、(9):富山市佐藤記念美術館刊)、本多コレクション及び『東南アジアの古陶磁:関千里著』、サンカンペーン及びパヤオについては清邁堂HPから引用している。
 大雑把であるが、右向きと左向きが50:50の比率である。右向きの魚文をサウスポーが描いたと決めつける訳にはいかないが、それにしても・・・の多さである。右利きでも、右から左に運筆できるわけであり、右向きの魚文描いた陶工(絵付工)もいたのであろう。
 他の窯場ではどうであろうか?景徳鎮の元染盤については少ない事例を冒頭紹介した。しかし酒会壺には頭部が右を向く厥魚も描かれている。元染もどちらもあるということである。
 
 では北タイ陶磁は、何故頭部が右を向いているのか?。中世は知らないが、現代のタイ人も日本人同様、左利きは10-15%の比率と云われている。タイ人にとっては、左手は不浄の手というが、現地ではそんなことはない。変な日本人の吹聴によるものだが、確かにヒンズー教徒は、左手を不浄としており、その影響でタイ人云々であろうか?。
 中世の北タイでも同じようであるのか、ないのか不明だが、頭部の右向きの多さの背景がわからない。
 但しムエタイ選手にはサウスポーが多い、一説にはサウスポーは3割と云われ、利き腕は右だが、グローブをつけると左という矯正を行っているという。何故かといえばサウスポーが有利であると、一般的に喧伝されていることによる。
 中世、北タイの陶工も矯正してサウスポーで仕事したのであろうか?。このようなことを研究している、専門家はいないのであろうか?。



続・これは何だ?

2015-02-07 09:53:06 | 陶磁器
 執拗に記載しているようで申し訳ない。サンカンペーンは奥が深い。次の写真を御覧願いたい。これは最近知人がインターネット・オークションで落札したと、連絡してきたものである。このオークション出品作は、<パヤオ褐釉釘彫り幾何学模様図皿15世紀>とのネーミングで、当該ブロガーもこれを見ていた。
 次の文章で、説明がなされていた。曰く、”作品の区分は、今まで判りにくかったが近年パヤオ窯の窯址(個人博物館)が見つかり作品の区分が明確になり、この作品はパヤオ窯であることが判明された。”と、ある。


 
 写真を見ると、見込みと圏線を挟んでその外周と2箇所に、櫛歯による波状文が刻されている。なるほど波状文はパヤオとシーサッチャナラーイのコーノイ窯の最下層から出土する、所謂モン陶の専売特許である。しかし、パヤオとするには違和感が残る。一つは釉調、このように飴色で艶を帯びるのをパヤオでは見ない。二つはカベットの鎬、刃物が入って、周囲より少し深く削られたところに、釉薬溜りができ、そこの釉薬が黒褐色に見えるのは、サンカンペーンの鎬の特徴である。


 決定的なことは、胎土の発色である。写真のように発色するのは、サンカンペーンであり、パヤオでは皆無とは云わないが、9割5分以上の確率で黒褐色や暗灰色に発色する。
 知人は一度見てほしいとのことであるので、一度現物を見て最終判断をしたい。もしこれがサンカンペーンだとすると、サンカンペーンとパヤオとの関係が、相当濃密であったと考えられる。

これは何だ?

2015-01-30 08:39:12 | 陶磁器
 サンカンペーン古陶磁に興味を持って20年以上が経過した。多少のコレクションと共に、各国の博物館での見学、国内で展覧会でもあれば、山陰の片田舎から出かけもし、サンカンペーン陶磁に限れば数百点を現認してきたが、写真の印花魚文盤は初見である。

 結論から云えば、サンカンペーンは奥が深い、逆に云えば場数を踏むのが少ないことになる。パヤオ・ウィアンブアには印花三魚文盤があり、印花の魚文では、これが最も数が多いとおもっていたが、サンカンペーンに四魚文が存在したのである。珍品中の珍品であろう。
 尚、この盤は東南アジア陶磁博物館(Southeast Asian Ceramics Museum)で見学することができる。