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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

タイ語書籍「クルアンパンディンパオ(陶磁器)」より

2015-09-17 07:49:36 | 陶磁器
過日、写真のタイ語書籍「クルアンパンディンパオ」を入手した。その中のサンカンペーン陶磁3点を紹介する。
 先ず、黒褐釉と灰釉の掛分け壺である。壺の器形はサンカンペーンでは多々見ることができる。頸下に印花文をみるが、印刷の解像度が低く、何の文様か判然としない。目を引くのは両耳であるが、これも判然としない。ち龍?龍?それともナーガ?であろうか?口縁が欠けているが、完器であれば名器のひとつで、限りなく興味を抱かせる。
 盤を2点紹介する。カベットに放射状の刻文をもつ盤を、北タイ諸窯では多々目にする。サンカンペーンもその例に漏れず目にすることができる。刻文にも多々あり、写真のように釉を掛けた後、刃物で胎土まで一緒に掻取るもの、釉薬のみ掻取るもの、鎬状に表現するものがある。
 次の盤は鉄絵双魚文であるが、魚の後頭部に鰭がある魚文は多くない。それもあってか、後絵の盤の魚文には、この種の魚文様を多く見る。








Ceramics of Seductionより

2015-08-23 12:13:26 | 陶磁器
 Ceramics of Seductionについては、過日触れている。その書籍にシーサッチャナラーイ・ツカタ窯の陶磁製人形頭部が紹介されている。書籍の表紙と人形頭部のPageを以下紹介する。

 口髭と顎鬚に髪は、頭の上で丸く束ねる髪型である。これは元か明かは別にして、中国人であろう。
 これら6つの人形頭部を見て、どれが何人であるかは分からない。下右端は面長で口髭があり、鼻筋が高いことから西方人種の匂いがする。
 上の3つの頭部も口髭や顎髭をもち、面長で被り物をしており、やはり西方人種の匂いがする。
 スコータイ朝第3代王・ラームカムヘーン王(在位 1279-1299年)の時代の版図は以下の橙色の範囲である(Wikipediaより)。
 ここでナーン、ルアンプラバーン、ナコンシータマラートは非タイ人の領主が、スコータイ朝に朝貢する藩国であった。これらの使節や人々がスコータイ王都を訪れるのは必然である。西方顔の人々が訪れるのは交易目的であろうが、他に何かあるのであろうか? 同時代明の鄭和は大船団を率いて、遠くアフリカに達したという。中東の人々がスコータイ王都を訪問するのは、十分に有り得る話である。






タイ人に円を描いてもらった

2015-08-12 09:21:37 | 陶磁器
 北タイ陶磁の魚文の頭部の向きは、多少大雑把であるが右向き左向きの比率は、50:50である。右利きの場合、筆の運びは左から右で必然的に頭は左を向くことになる。では北タイの人々は左利きであろうか? 調べるとタイ人も日本人同様左利き比率は10-15%と同じである。

 では何故魚文に右向きが多いのか? 1995年4月から1999年10月までの4年半、仕事の関係で当地に滞在していた。その時家内はタイ人の先生のもとで、フルーツカービングを習っていた。その時のカービングナイフの動かし方は、右から左で、円弧をカービングする際は、右から反時計(左回り)方向にナイフを動かしていたという。生徒は6人で6人全員そうであったという。
 そこで実験である。調査人数は少ないが過日、円図形の描き方を調べてみた。対象はカンタリーヒルズの従業員である。

 すると、9人中5人が時計回り、4人が反時計回りの運筆で、先の魚文の頭部の向き、左対右の50:50とほぼ一致した。
 反時計回りに円を描いた人に、その理由を尋ねると、コンムアン(北タイ人)だからという。その意味がもうひとつ飲み込めないが、その言質と調査結果から、北タイ陶磁の魚文の頭部の向きに右向きが約半分と、その多さが納得できそうで、利き腕との関連はあまりなさそうだとの印象をもった。

図書「Southeast Asian Ceramics」より#8:最終回

2015-04-27 09:51:38 | 陶磁器
ミャンマー陶磁#4


 1472年から1492年にバゴー(Bago)に君臨したペグー朝ダンマゼディー(Dhamamazedi)王の宮殿が、1990年代に再建された。
 施釉陶磁片の数々が宮殿跡の基礎部分から出土し、それらは再建された宮殿付属の博物館に寄託された。バゴーは、17世紀まで、重要な政治の中心であり続けた。バゴーの陶片には、多くの赤褐色の器胎に白色の錫鉛釉が含まれていた(これをもって錫鉛釉緑彩盤の産地の候補が、バゴーであろうと推測されている)。

 それに似た陶片は、17世紀のスマトラとシンガポールのSiteから発見されている。バゴーの近辺では窯址が発見されていないが、陶磁生産がそこに存在していた可能性は高い。他にマンダレーの北のShwebo地区に窯が、おそらく存在していた。
 ミャンマーの施釉陶生産の歴史を明らかにするための、多くの調査研究が残されている。ビルマ陶磁に関心のある地元の学者グループの形成は、この研究が追究される希望を与えてくれる。
 イラワジ・デルタの西で、アデレード大学Dr,Heinと彼のミャンマー人チームはミョーハン(Myohaung)で一つの窯址を発掘した。それはミャウンミャの南10kmのところである。
 そこでは暗褐色から黒い鉢が、紐作りで作られていた。他には動物の肖形物と寺院用の建築用材であった。発掘された窯はトワンテやラグンビーと似ているが、幾つかの技術的特徴を持っていた。



 上の2点はいずれも、バンコク大学東南アジア陶磁博物館に展示されている青磁盤で、トワンテ窯とキャップションに記載されている。盤形状や釉薬の調子は北タイの青磁盤を想わせる。

 途中注釈も入れたが以上が、図書「Southeast Asian Ceramics」の紹介である。しかし中味に詳細性はなく、物足りない。これよりも詳しい論文を津田武徳氏が発表されている。それによるとトワンテの窯址発掘に参加されており、それは北タイと同じ横焔式単室窯であったとのことである。この似たような窯業文化の底流には、モン(MON)族の存在が考えられる。
 尚、「東南アジアの古陶磁(6):富山市佐藤祈念博物館」に津田武徳氏の「ミャンマー・ラオス陶磁解説」が掲載されている。こちらの方が図書「Southeast Asian Ceramics」よりも、詳しく記載されている。

 以上をもって図書「Southeast Asian Ceramics」の紹介を終了する。





図書「Southeast Asian Ceramics」より#6

2015-04-24 09:40:09 | 陶磁器
ミャンマー陶磁#3

 ビルマ人考古学者はトワンテ地区に、窯場が歴史史料に基づき存在するであろうと、予見していたとブラウン女史は云う。しかし、その仮説を確認するための現地調査は未だ行われていない。具体的な情報の欠如は、彼女のいうタイとビルマの陶工と、青磁を焼成した窯との関係について、推測以上のものにしていない。
 しかし1990年代後半、この状況は変わった。トワンテとヤンゴンの北西(Lagunbyee)の窯場が特定された。トワンテはイラワジ・デルタに窯が横たわっている。焼成品の中心は施釉陶から成立している。多くは青磁だが、白釉陶に緑の幾つかの陶片が収集された。しかし残念ながら、これらの陶片は、収集された窯の正確な情報が記録されていない。
 カンヨゴーン(Kangyogone)として知られているトワンテの発掘現場では、スコータイやスワンカロークと似てはいるが、全く同一ではない窯が発見された。緑釉盤を含む陶磁は鉢、動物の肖形物などである。
 トワンテ地区の他の村落であるYadesheで、盗掘された9基の窯が観察された。焼成物の範囲は広く瓶、ハニージャーやタイルもあった。また褐色釉や刻花文陶磁もあった。

 ラグンビーの窯は、城壁や濠などが複合しており、15世紀以前の広大な開拓地であったと考えられている。ここはビルマの考古学者によって1999年6月に発掘された。鉛釉の白釉陶と多くの“箆”で刻まれた文様の「せっき」の2つのタイプの陶磁が出土した。それらは盤と大型の壺であった。これらのイラワジ川下流の窯は、多くが東南アジアの施釉陶の「黄金時代」に創業した15世紀からと思われる。

 古代の首都バガンには、早い段階から施釉陶の伝統がある。しかし、それは貯蔵壺よりむしろ、ストゥーパに使われた「せん」や寺院の基礎部分の銘板(以降「せん」と表現する)などである。緑と白のモノクロームの釉薬は低温焼成であった。この事例は、寺院の素焼の銘板を用いた伝統に由来する。

(錫鉛釉緑彩「塼」は多くが紹介されているが、上の無釉塼はバンコク大学東南アジア陶磁博物館に展示されている)
 施釉の塼を持つバガンの幾つかの寺院は、碑文によって年代付けできるにもかかわらず、施釉の「せん」が寺院の創建と同時代であることを確認することができない。少なくともそれらの幾つかは、後代に施釉の「せん」に置き換えられた可能性がある。しかし、それらはバガンの黄金時代である11-13世紀に焼造されたものと思われる。

 更に多くの施釉の「せん」が15世紀の間にバゴー(Bago)で作られた。ブラウン女史は1988年、バゴーのシュエグジー(Shwegugyi)寺院の1000以上の「せん」が、1980年代に高度に組織化された略奪者によって、事実上一晩で持ち去られたと記録している。現場からの「せん」の略奪は19世紀に始まった。
 しかし、USやヨーロッパの多くの美術館や個人コレクションに、シュエグジーの「せん」が保存されている。