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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

平戸紀行 #3 (波佐見・やきもの公園)

2016-04-19 08:52:21 | 陶磁器

今回の平戸紀行の目的の一つに波佐見のやきもの公園内「世界の窯広場」を見学することである。吉野ヶ里へ行った後、到着したのは午後2時半頃であった。場所は小高い丘の上、周囲は陶業が盛んなようで陶磁器会社が立ち並んでいた。

 

中国各時代の窯が、復元展示されているものと期待してはいたが、う~ん残念 !。興味は削がれたが、以下数回に分けて紹介したい。
<倒焔式石炭窯>

 

 


<昇焔式上絵窯>

 

タイでも特にスコータイでは、この手の昇焔式窯が使われていたようである。
<昇焔式窯・英国>

 

 

中国や日本では発想しない窯構造か? 多くは中国や朝鮮半島の影響をうけたであろうし、昇焔式窯はオリエントの影響を感ずる。



                                <続く>


伝言ゲームのようなズレ?

2016-04-15 10:23:45 | 陶磁器
先に紹介したサンカンペーンの鉄絵見返り麒麟文盤である。紹介したように10-20%程度の確率で後絵の可能性があるが、個人的には本歌と信じている。しかし、この夏頃には、科学的分析にかけたいと考えている。
今回は、そのような話ではなく、見返りの麒麟文様の話である。前述のように疑問も残るが、先ずサンカンペーン鉄絵見返り麒麟文盤を再度紹介しておく。
蹲り見返る姿で描かれている。尻尾は立ち、其の先端は団扇のようである。これはサンカンペーンや北タイ、中でもカロンのオリジナルであろうか?・・・そうでは、なそうだ。明の民窯染付に同じデザインの麒麟が描かれている。下の写真がそれで、パヤオ・ワットシーコムカム付属文化センターで見た、明染付の見返り麒麟文盤である。
何やら頭部の先に描かれている丸いもの(太陽か月?)を見返しているように思われるが、尻尾の描き方は上のサンカンペーン鉄絵盤と同じで、サンカンペーンの盤が本歌とすれば、ここから構図を拝借したことは間違いないであろう。それにしても、明染付の太陽か月と思われる構図が気になる。その話に触れる前に、先の明染付見返り麒麟文を更に崩した文様も存在する。それが下の写真であるが、それはバンコク大学付属東南アジア陶磁館展示されている。崩れていく過程が理解頂けると考える。
一方で、明末と思われる染付盤の構図も存在する。それが下の写真である。この盤もバンコク大学付属東南アジア陶磁館の展示であるが、キャップションによると、15世紀末から16世紀初頭とある。
この盤は文様の煩雑さを逃れ、いかにもシンプルであるが、見返しているのは三日月であることが分かる。従来の理解度はここまでであったが、これは何やら“伝言ゲーム”のようである。
先に示した三日月を見返した麒麟のような文様もカロンに存在する。それが上図であるが、三日月は写されず、日輪かピクンの花のような文様が、3箇所描かれている。写される都度文様が変化し、まさに伝言ゲームの様相である。カロンには上図と異なる見返り麒麟文も存在する、それが下の写真である。
大きな盤は明染付、小さな皿がカロンの鉄絵見返り麒麟文、カロンの玉壺春瓶には鉄絵で見返りの麒麟が描かれている。
ここで、陶磁文様に麒麟文が現れるのは、何時からであろうか?・・・中国陶磁については、全くの素人なので的外れと思うが、元染めであろうと考えている。
それがトプカプ宮殿博物館所蔵の麒麟文盤であろう(初出が間違っておればご容赦ねがいたい)。
麒麟の頸から胴は鱗のようなもので覆われている。上から2番目の写真に眼を戻すと、胴は格子のような線がはしる。これは元染の鱗を簡略化したものであろう。ところが3番目の写真を見ると、その格子さえ省略されている。弛緩というか伝言ゲームそのものであろう。
元染で蹲る麒麟を見ない(浅薄な知識なので、存在するとも思われるが?)。それでは明染付に存在するのは何故か?明時代のオリジナルであろうか?
過日、世界陶磁全集13巻 遼・金・元を捲っていると、下の青磁盤が目に入った。
見ると、サンフランシスコ・アジア美術館の蔵品で、元代・青磁犀牛望月図盤とある。龍泉青磁であろうか?
この犀牛望月なるものを四字熟語辞典や中国故事辞典などで探すがヒットしない。ヒットするのは中国・簡体字ばかりである。そのなかの百度百科によると、出典は「漢書芸文誌」に採録されている「関尹子」のようであるが、偽作とも云われている。
そこで、犀牛望月とは・・・、天の神将だった犀が天の戒(「一日一餐三打扮」)を破り「一日三餐一打扮」を行った為ため、天の怒りにふれ地上に降ろされ、かつて棲んだ天上界を懐かしんで天を見あげる・・・諺と云う。天の戒とは、一日に食事は一回、身だしなみ・・・つまり身辺を清楚に整えることを一日に三回行えと云う、精進潔斎の教えである。
元染めの画材は故事、元曲から選択されたものが多い。登場するのは呂洞賓、西廂記の登場人物、王昭君等々多彩である。その一環としての犀牛望月であろう。その初出は何時であろうか? 定窯には白磁印花犀牛望月盤が在るという。
写真は、北京・故宮博物院の蔵品である。更には耀州窯にも青磁犀牛望月文碗が存在するとのことである。すると、犀牛望月図の陶磁への採用は宋代に遡るのであろう。
まさに伝言ゲームである。見返の犀は麒麟に変化し、その麒麟が三日月を見返しているが、ついには三日月が日輪らしきものに変化し、ついには見返の麒麟だけになっている。
次の盤はバンコク大学付属東南アジア陶磁館に展示されているミャンマー・トワンテの青磁盤である。
キャップションによると、15世紀末―16世紀初頭とある。時代感から云えば、明染付絵に刺激されて生まれたモチーフであろう。尻尾は木の葉っぱに変化し、口には花喰鳥のごとく、花を銜えている。まさに伝言ゲームのような変化の過程を見ているようである。
中国・宋代と思われる犀牛望月図の本来の意味は伝承されず、文様だけが独り歩きし、その文様も大きく変化する姿を追って見た。
韓国陶磁に当該文様を見るのかどうか知らないが、存在するとすれば、宗主国のことであり、実直にうつすであろうが、そこは東南アジアの国であった。





現川焼?

2016-04-11 08:39:49 | 陶磁器
かれこれ40年前に、写真の両耳瓶を入手した。骨董店の主人によると現川焼と云う。姿形がよく、一輪挿しとして重宝している。
現川焼と云えば、九州では名が売れているであろうが、山陰ではさっっぱりで、これが本当に現川かどうか、判断のしようがない。
来週、佐賀・長崎というより平戸へ旅することにした。多分有田?波佐見?にある”世界窯広場”公園や平戸の異国情緒の何がしかを見聞するためである。司馬遼太郎の”韃靼疾風録は、平戸から物語がスタートする。陳舜臣の”鄭成功”はやはり平戸出身の人物が登場する。それらを頭に浮かべながらの旅にしたいと思っている。其の時、現川焼を鑑賞する機会があると考えており、楽しみの一つである。



石州宮内窯(2)

2016-03-12 08:31:45 | 陶磁器
<続き>

次に工房を見学させて頂くと、丁度「打ち刷毛目」の作業中であった。まことにラッキーである。
宮内窯で用いる胎土は、磁器質に近いほどの白さで、打ち刷毛目の装飾をしてもコントラストの無い文様となる。そこで轆轤引き後半乾きさせ、その上に鉄分の多い泥漿で化粧しており、何やら磁州を思わせる。
その黒化粧土が半乾きすると、上の写真のように絵付け用の轆轤にセットし、轆轤をゆっくり回転させながら、スポイトを軽くつまんで白化粧用の泥漿を「の」の字状に絞り出す。そして写真のように刷毛で皿全面に、泥漿を刷毛掛けする。
毛が柔らかいたのと腕であろうが、器面に刷毛目が残らず均一に刷毛掛けされる。
刷毛掛けによる白化粧が終わった器胎である。次に器面のカーブに沿った曲線をもつ刷毛で、轆轤をゆっくり回しながら、その刷毛を上下に動かしながら器面をなぞっていく。
そうすると、写真のように鎬状の文様が現れてくる。見込み中央は刷毛が当たり続けるため、下の黒化粧が透けて見える。
打ち刷毛目の作業が終わった皿である。当該作業は3-4分であろうか、まことにテンポの良い作業であった。
宮内窯では、胎土が白く黒化粧してからの、打ち刷毛目作業であり上述の手順となるが、小石原皿山の「打ち刷毛目」は、轆轤引き後即白泥漿を刷毛により生掛けし、その手で打ち刷毛目の細工をしている。
その打ち刷毛目の実演がYouTube「小石原焼陶器市、刷毛目実演。」で公開されているので、御覧願いたい。宮内窯と小石原では手順がことなるが、双方共に素焼き後の作業ではない点が共通である。

そこで、先日紹介したサンカンペーンの打ち刷毛目と思われる盤、写真ではあるが見て頂くと下の2点は「打ち刷毛目」であろうとの見解である。
           (出典:Ceramics of Seduction)
        (出典:インターネットオークションの部分写真)
         (出典:バンコク大学付属東南アジア陶磁館)
飛び鉋の技法で可能かどうか質問すると、回答できる見識を持たないとのこと、誠実な陶工さんである。小石原や小鹿田皿山の飛び鉋にも、このような放射状の文様を見ないので、これは片切の刃物であろうか?更なる追及が必要である。




                                  <了>


石州宮内窯(1)

2016-03-11 07:28:03 | 陶磁器
インターネットで「打ち刷毛目」を検索していると、小鹿田皿山や小石原皿山以外にも、打ち刷毛目の装飾をしている焼物を、焼成している窯が存在していた。それは我が田舎の近くで、広島県から県境を越えて流れる、中国太郎とも呼ばれる江川の河口の江津市に在る。
中程度の規模の登り窯で、見学当日は窯詰め用の製品つくりに忙しかった。窯の横には匣が積み上げられている。
先ずショールームを見学させてもらうと、3尺盤(約90cm)が眼に飛び込んできた。
陶工の方に質問した訳でもなく、手で持ち上げたわけでもないが、優に30kgは超えるであろう。このように大きな盤は、焼き歪ができて大変だと思われる。見込みは打ち刷毛目で装飾されている。
脇の方には、沢山の焼物が並んでいる。見ると盤・皿の類は、ほとんど打ち刷毛目の装飾が施されている。中には飛び鉋と併用の装飾もある。

直上の写真の盤は、見込みに打ち刷毛目、カべットから口縁にかけては飛び鉋で装飾されている。
次回は、打ち刷毛目の装飾技法について紹介するとともに、サンカンペーンの打ち刷毛目に似た盤の見立てをして頂いた。その見立ての結果を紹介したい。




                                 <続く>