日本の右向化や再軍備に警戒するのは周辺国・・・では実はない。
戦争
西南戦争にも見られるように、戦争がおきるのは実は内部相手のことが多い。内戦や紛争、革命
といった形態の。また「内部かどうか」が論議になるような戦いも。国境紛争や独立戦争という
帰属を争う戦いなど。国際法など主権国家体制の発達により主権や国境線の確定が必要になり、
それに冊封体制で動いていた東アジアも組み込まれることで日本も対応が必要になりました。
ロシアの南下政策の中での国境画定の中で蝦夷地(千島や樺太は略)は日本に組み込まれ、
小笠原諸島など太平洋の島々は欧米による領土獲得競争の中で日本領として確定され、
その中でも沖縄は清との領有権争いの末に最終的に日本領として確定。それらとは違う
経緯を持って日本に組み込まれたのが朝鮮と台湾、そして満州なわけですが・・・
朝鮮
朝鮮は日清戦争、日露戦争と清、ロシアと領有権を争った末に日本に植民地としてではなく
併合されることになりました。実態の違いについてはまあ、論議はあるでしょう。しかし明確な
違いとしては大韓帝国の王と朝廷が、勅許会社による経営などと違い、温存された上で
日本本土の統治機構に組み込まれたことです。もちろんそのままではありませんでしたが。
当時士農工商などの身分制度は廃止されていた本土に習い、両班など特権階級が廃され、
明治当初の士族反乱などと同様の不満を持つ階層も当然、生まれました。そして統治機構は
近代国家の運営経験のある者(もちろんほぼ日本人)に事実上「独占」されることになります。
満州が「日本の生命線」とされたのも、朝鮮半島の生命線(主要交易路でもある)だからで
あり、それは現在の北朝鮮にとってのものとまったく同じ意味です。現在は「日本の」は
その意味では、その方向では東シナ海になっています。後にその満州を通じソ連の侵攻を
受け、併合国土を守れなかった、かつその意味に限り、日本には朝鮮分断の責任があります。
台湾
台湾が朝鮮と違っていたのは、当時台湾全土を統治する明確な機構が存在しなかった
ことにあります。また琉球の一部として沖縄と同様視する見方もありはしました。そもそも
多民族が混在する地域であり朝鮮ほどスムーズに占領ができたわけでもありませんでした。
そういう経緯で朝鮮より下の位の植民地として発足し、搾取もまあ、あったのでしょう。
全体として赤字でしたが朝鮮よりはかなりましな経営状態だったようなので。ただ欧米の
植民地政策と違うことは、分割統治という形をとらず皇民化政策という真逆のやり方を
したことです。そのため台湾では現在、伝え聞くほどの民族紛争はありません。
もちろん言語のなど多様性を尊ぶ現代の風潮からは、紛争の遠因も作る分割統治のほうが
優れた植民地経営、という視点もありうるでしょう。反戦主義とは本来反する要素も強い
見方とは思いますが。ちなみに「中国」にとっては朝鮮も台湾も、日本に奪われた領土です。
続きます
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