所謂「第七識」と「第八識」についてまとめてみます。
仏教の中でも大乗仏教に大きな影響を与えた学派の一つに唯識学派があり、そこで説かれて
いるのが人間の六識(五感+意識)の奥に存在するという「末那識」と「阿頼耶識」です。これは
現代の心理学では「深層心理」に相当する分野、無意識領域として扱われています。
一般的な言い方でいう所謂「第六感」と重複する部分もあります。唯識論の仏典の中では第六識
(第六の感覚)に当たるものには「意識」が充てられており、この用語がぶつかってしまっている
ためそれは分けて考えることが重要になります。分野によっては平衡感覚をそう呼びますし。
唯識論においては人間の根本を阿頼耶識の部分としており、そこから自我に対する執着として
末那識が生じ、さらにそこから意識などの六識が生じているとしています。後代になるとさらに
阿頼耶識の奥に阿摩羅識(無垢識ともいう)を想定しますがそこはここでは割愛します。
人間の認識としては無意識部分にまず末那識があり、そのさらに奥に阿頼耶識があり、その
二つは「自我に対する執着」の有無で分かれる形になります。阿頼耶識の方には自他の境界が
なく、利他の精神と結び付けて語られることも多くなります。学術としては融即律が近そうです。
超心理学といった分野で語られることも時折ありますが関係は薄かったりはします。ただし
「普通の人間が普段は自覚していないが本来持っている感覚」という部分での共通性はあり
同じ心理学(の周辺分領域)として人脈などでの関連性はあったりもします。
それを会得するにはどうするか、というところではあまり具体的には語れることはなく、むしろ
語れるような部分ではないともされており、神秘学の領域に近い話にもなってきます。そのため
一般的に相当幅のある使われ方になるのですが、大元の考え方としてはこんな感じです。