昨日の記事の続きです。今までに考えたこととかを
纏めるのにいい機会かとも思いこんな形で。
キャラの一貫性の方は、実はネギまとハヤテは作者自身の言葉として
一貫性を考慮して書いている旨の発言があったのでこの二つから始めてみた、
という面もあったりはします。それでも保ち損ねかけた例(美空)もあったようで
登場させた時と本格的に動かしたときでほぼ別のキャラ、ということを
避けるのはかなり大変なのでは、とも思います。
またナギとヒナギクの例としてもこちらは同じような性格付けを企図したが
役割の違いのためキャラを設計しているうちに違うタイプになってしまった
ということのように思います。またその後予定したとおりに動かすために
余分に話数を費やしたのではないか、という例も実は散見されます。
サブキャラがなにか決意するとかでの独立した1話とかは案外そういうことではと。
虚構とはいえ作者自身もリアルな人物であり、一度キャラを決めれば
特にエニアタイプに関しては一貫性を保つ書き方でないと不自然なように
描いているときに感じてしまうのではないかと思います。その顕著な例は
恐らくHUNTER×HUNTERで、細かい描写でまで一貫性を保つためには
週刊ペースでは苦しくなる、それ位の思考量を要してしまうのではないかと。
実際ハヤテと神のみでは、再登場時とか役割が変わるときに今のところ
ことエニアタイプは一貫性を保っているようです。それが破たんするとき
とかいうのは恐らく、正常に描き続けることができなくなったりストーリーの
大筋の変更を余儀なくされたり、とかいう形になると思います。
正直どちらも作者の言を頼らないとそうなのかどうかわからないと思いますが。
本当はそういう辺りも探して解析してみたいのですが、まだとりあえずは
サンプルをまだまだ集めてみないといけないような感じです。とりあえずは
キャラクター類型との対比とかからならエニアグラムでできるかな、と思います。
ただリアルになるかどうかとかいうことより、作者によってこのキャラの
こんな場面は描くのを避ける、みたいなのがあるような感じがします。
これは実際にキャラを判別するときに感じたことで、判別したいキャラが
反応を確認したい場面で見当たらない、といったことをよく見たためです。
そういう「遭遇する場面」でリアルな反応が描けなかったりするのかな、と。
東野圭吾に関しては作品を一つも読んでいないので語るのを控えさせて
頂きます。ナルトの解析はしばらくは判別と「似てるとこ」しか書けないと
思いますが、ちょっと思いついたネタもあるのでどうかお待ちください。
というわけで長文コメントありがとうございました。
正直今まで書く機会のなかった辺りのことを絡めてみました。