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安倍70年談話に対する評論の無価値さ。

2015-08-19 23:50:08 | 政治
いやはや、1985年の中曽根総理が突発的に行った「靖国公式参拝」から日本は自主的に
戦後問題を取り扱えなくなり、公共性を持たなくては謝罪を行えなくなった国家状況を
揉み消すように本質を見失った安倍総理の戦後70年談話。

ココまで来るのには85年から約30年という長い歳月を要してしまった。戦後から数えて70年だ。

根本的に何故に日本は閣議決定までして10年毎に時の総理大臣から戦後談話を発表せなならんのだ。
という疑問もかき消される程に安倍総理の談話の内容が良かったとの評論には問題は構わないが、
残念ながらどこか安倍総理と談話をバカにしているように戦後談話は「一発芸」扱いになっている。


戦後70年談話を発表するにあたり元次世代の党の幹事長であった山田宏の存在を忘れちゃいかん。
彼の行った安倍内閣に対してのこれまでの談話を見直す必要があるかないか?の問いかけや新談話の
発表があるのかどうかの直談判は安倍政権の菅官房長官を肉薄させた過去がある。

今年2015年の1月には米国から河野・村山談話を踏襲するようにとの呼びかけもあった。
その前に2014年の国連人権委員会における、従軍慰安婦問題で日本の有罪判決がある。
日本側に法的な責務を果たすべき事実があるとする判決はこの談話にも影響したのだろう。

国内外の幾つかの客観的な経緯から談話は戦後問題に踏み込まない抽象的で小さく縮んだものになった。
今年4月に訪米をして米国議会で演説までした安倍総理はそこで米国と何を話したかは定かではないが
これまでのように原爆被害に関しては御法度であったのだろうな。 

安倍談話の歴史の認識を素直に受け止めて、次世代に遺恨を残さないようにしなければならないとする
発言が高い評価を得ているようだが、非常に無知な評論だと思う。

この内容は村山談話を発表した後に国会において村山総理が発言した国民に対する説明と同じだった。

自虐史観からの謝罪を談話に盛り込むことに反対していたネトウヨや新保守派は挙って無責任を
決め込むかのように安倍総理の一人物に逃げ込むような現象があとを絶たない。

もしもこのまま発展性の無い時の総理大臣の「一発芸」として戦後談話を10年毎に発表するのならば
それは殆ど「ガキの使い」の山崎邦正卒業!の企画に近いものになりそうだ。
それにしてもこの談話でネトウヨは非常に惨めに感じたのだろうなとつくづく思う。

もう少し次世代の党で活躍した山田宏を拾った方が戦後70年談話の評論は奥行を持つものだと思う。






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