決して死ぬまで口外せず腹の中に収めて秘密にする時、人は“墓場まで持って行く”と表現する。
34年の歳月を超えても日航機123便墜落事故に関する陰謀や疑惑にまみれた異質な存在感を持っていた
総理大臣中曽根康弘は多くの疑惑を弁明することもなく死去した。101歳の大往生だった。
中曽根は日航機事故から3日後の1985年8月15日の戦後40年目の終戦記念日に閣僚による靖国神社の公
式参拝を電撃的に行った。そしてこれが最初で最後の閣僚による靖國公式参拝となる。
結論から言えば、戦前戦中と政治に利用された過去のある神道の信用回復を求めて内閣による公式参拝
を慣行にしようと目論んだのかもしれない。生前の中曽根の主張である戦後政治の清算の一つとして“
靖國公式参拝”があったとしても不思議では無い、しかしそれは時期早々の“勇み足”だったと判断し
なくてはいけない。もしも公式参拝が戦後50年目の節目に米国を始め戦勝国と協議を重ねた上で実施さ
れた場合に、今の靖国神社と政治の関係は大きく変わったかもしれない。
あれから34年後の2019年の夏に中曽根康弘の死亡する数か月前に長年行方が知れていなかった閣僚の靖
国神社参拝問題に関する懇談会の議事録通称“靖国懇”の一部が発見された。普通の人には余り聞き慣
れない言葉ですが、たしか90年代後半の橋本内閣時代にも一度この“靖国懇”の存在が話題になった。
1993年の細川護煕内閣が誕生して自民党の55年体制が崩壊したお蔭でこれまで機密事項であった文書の
存在が公にされることは民主主義の開かれた政治の理念に適っていると盛り上がった。しかし政府は“
靖国懇”の存在は認めたが実物やその内容に関しては公開されることは無かった。
だから正確に言うと90年代後半に発覚した“靖国懇”が20年以上も封印されていたが、当時の総理大臣の
中曽根康弘総理大臣の死を目前にしてその一部が公開されることになった。2019年の夏に発見された訳で
は無いが、あたかも今発見されたような言いぶりに少し警戒を強める必要がある。85年の内閣議事録の靖
国懇10年後に発見されるもその内容を20年間封印され続けて来た訳だからそれなりの内容があるものだと
考えて良い、しかもまだ一部だけしか見つかっていない。全容解明には程遠いのは仕方がないが、やはり
“靖国懇”は中曽根康弘の事だけでは無く日本の近代史を知る上で無くては成らないモノだと思う。
死人に口無しでもう中曽根康弘本人から話を聞くことは出来なくなってしまったが、この“靖国懇”が日
航機123便の墜落事故の真相ばかりでなく日本政治の闇が絡んでると考えることが妥当だと思う。まだ一部
だけの発見だが、平積みになっている本の上にでも置いてあったかのような軽率な態度で扱われてはいけ
無いモノだと思う。 大体こういうモノは政治家本人の自宅に隠し持っているケースが多い。しかし英訳された
ものを既に米国は所持していると思う。 そして今後もこの問題を引き摺るだろう。
http://adoi.hatenablog.com/entry/2019/08/24/170856
警察コンツェルンによる日本政府並びに皇室へのクーデターで警察予備隊北富士が日本の首都東京に侵攻し日本国政府及び皇室を制圧し警察政権を目指す動きであった。警察予備隊千歳及び北海道警察も虐殺に加わっていたため詳細を調査中である
http://boosuka-asuka.hatenablog.com/entry/2019/09/21/151721
なお、先日、扇平山ふもとを調査したところ日本国の内調系で情報収集に入っていて警察らに殺害された一団の遺体等も確認されたため日本政府に対する警察クーデターの詳細も調査中である。
なお、前日8月11日の日航ジャンボ123便には美智子さまがご搭乗させられていたため日本では山の日の休日となっている
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2076f3ee19f50c1fbf8d4120bc402f34