防衛大綱の見直しで自衛隊の所有する戦車が700両から400両に減らされ、
更に削減をせまられ、300両にまで削減する事が決まっているのですが、
この700両の戦車が本州に配備されている訳はというと旧ソ連が本州に上陸して
侵攻される事を防ぐ為に配備されていたらしい。
現実的に今の時代にロシアが日本の本州に上陸して領土拡大を狙う侵攻がある事は
考えにくいのですが、なぜこのような身も蓋もないような要因で戦車の配備がなされるかと
いえば、やはり防衛予算なのだな。一昔前には無駄な道路を建設する事や、それに付随する
かのように旅館や施設などの建設が目立ち、有権者にとっては眉を顰める状況が続いた。
このような公共事業の在り方が決して良くは無い事は多くの日本人が理解するところとなって
いるが、建設予算ばかりでなく防衛予算でも同様な事が罷り通っていた。
結果的に防衛大綱の見直しで半分以下に配備数を減らされる戦車はこれまでの無駄な公共事業のよう
杜撰な予算の使い方とみなされた。この無駄使いには内部からも不満や不信感があったらしく、
実際に紛争やロシアからの領土侵攻が無く、訓練にしか使われない戦車を自衛隊内部の一部では
それを皮肉るように「平和の象徴」と表現されていた。
一般的には平和の象徴とされるのは「白い鳩」であるが、自衛隊では訓練にしか使われず、
実戦的な活躍の場が無い戦車を本州に無駄に配備する事が「平和の象徴」だというのだ。しかしそれも
700両まで配備数が増えれば、流石に防衛予算による財政の無駄使いとして「平和ボケの象徴」扱いで
行政から大幅削減が要請されたわけです。
防衛省関連の官僚は戦車を企業に生産受注して仕事を振り込めば天下りに役立つので
それはそれは戦車の需要を伸ばしたかったのだろう。今、談合問題で俄かに注目を浴びる防衛関連予算の
流用先である幾つかの企業は美味い仕事が減ったと嘆くのだろうが、これだけの予算を流用していながら
自国での軍事防衛が難しい状況が目白押しで結局は日米同盟に頼らなくてはその本分が達成できないとは
一国一城の主である政府にとっては恥ずべきことなのだ。
尖閣諸島問題にしろ竹島問題にしろ防衛相はこれまで何をしてきたのだと問われれば、実戦で使う事の無い
戦車を本州に配備してました。と答えるようではホトホト呆れかえってしまうのです。
おまけに日本の防衛力の技術的な弱さも目立ち米国から水陸両用車を購入することになった。これでは
イージスシステムの導入の時と同じような成り行きです。
TPPなどにより貿易の自由化が進み郵便局で外資系保険会社の取り扱いが可能となる場合には非難轟々なのだが
軍事面での日米貿易はその同盟関係に裏付けされるように反対の声はそれ程大きくはならない。
こうなってしまった以上、尖閣や竹島問題で軍事的な需要が高まれば、米国軍産に頼り、国内企業への受注は
戦車の生産配備と同様に削減されるのが妥当な流れです。 軍事マニアが海外からの軍事装備品を解体して
すぐさま日本の技術力に反映させようとする魂胆も的外れなのだ。
これからは秘密保護法に基ずく機密情報扱いとしてイージス戦闘機やその他の装備品も簡単には扱えない
状況が出来上がってしまったのだから、米国はそう易々と軍事技術力を盗まれるわけにはいかないのです。
日本企業が軍事関連予算の全てをトータルで受ける事は難しく高度な技術や専門性の高い分野については
米国軍産が幅を広げて、その他の部分で国内軍産が受注を受けるという住み分けが始まったのだと思う。
日清カップヌードルのCMで錆びついた戦車の周りが野原となり、花が咲くシーンを思い、闘う必要が無くなったことを
平和的に描く映像があるが、まさか防衛予算の杜撰な管理の象徴となる無駄な戦車配備が平和の象徴とは
恐れ入った。これは誤解を招く悪質な表現だと思ったよ。
くれぐれも防衛予算の無駄使いの為の戦車配備は「平和の象徴」ではありません。
こういうのに詭弁っていうだよな。
日清カップヌードル「NO BORDER」 花篇 60s