こんなことまで書いて良いのかどうか解らない所もあるが、自分なりに
現在の総理大臣の職にある人物の靖国参拝について考えてみたい。
先ず、総理大臣の靖国参拝が問題視されるようになったのは1985年の中曽根康弘総理大臣
の靖国公式参拝からだと云われている。
中曽根首相は総理大臣として初めて8月15日に公式参拝をしたことが
中国で日中関係の拗れから政局になることを恐れて、その後の公式参拝は見合わせている。
この靖国参拝の以後も以前も公人として閣僚を引き連れて内閣総理大臣として靖国参拝を行ったものはいない。
中曽根康弘氏は8月15日の終戦記念日に閣僚による公式靖国参拝を行った唯一の総理大臣となる。
小泉元総理は06年の終戦記念日に靖国参拝はしたが、公私の分別もしなかった。公式参拝でもなかった。
以前にも書いたが、中曽根元総理が靖国神社への公式参拝を辞めた理由は
「中国が政争になり影響を及ぼすのを避ける為」
改めて考えても何十年と中国共産党の一党独裁政権が続いている国で85年当時日本の総理大臣が
靖国神社へ参拝した為に政局となることは先ず無理がある。今でも無理だと思う。
普通に思い当たることは当時の米国レーガン大統領との関係に配慮したものだと考えられる。
総理大臣としてだけではなく普通の政治家としては何度か靖国参拝をしていた中曽根さんですが
それ以降は私人としても参拝をしていない。確かそうだったはず。
私的な予想としては中曽根元総理の靖国公式参拝は戦後40年の年に行われた、正直内心は
戦後50年という節目までは靖国へは行かないと我慢の姿勢が無難だったと思う。
しかし中曽根自身が総理の立場であり、あと10年は待てなかったために
戦後40年を節目として公式参拝を見切り発車で行ってしまった。所謂「勇み足」である。
そこを当時の米国大統領のレーガン氏に指摘されたと考えるのが妥当である。
中国に対する配慮ではなく、米国レーガン政権に対する配慮だと思われる。
1985年の中曽根総理の公式参拝以降の政治家と靖国の関連性を見ると、現総理の安倍晋三であったり
小泉純一郎であったり、米国CIAと関連性が強い政治家のみが参拝をする可能性が高い。
そして靖国神社の場所について報道しようとしていた朝日テレビに対してプライバシーを侵害する恐れがあると
異議を申し立てたのがCIA関係であったように靖国とCIAの繋がり方には一般論では語れるものではない。
戦後の靖国神社は戦で失った犠牲者を英霊として祭る大義の上に乗っかるようにWW2のA級戦犯の合祀などの
第2次世界大戦のメモリアルとして存在価値を見出す場合が多く、その為に8月15日の終戦記念日に参拝することは
極めて危険な行為だと判断するのが米国?そして中国?などからの意見であっても不思議では無い。
≪85年以降の終戦記念日に総理大臣の靖国参拝≫
・85年の終戦記念日(8月15日)に中曽根康弘首相(当時)が閣僚を引き連れて公式参拝
・06年の終戦記念日(8月15日)に小泉純一郎首相(当時)が個人で参拝。公私の分別はなし。
一番気になるのは中曽根元首相が85年8月15日に公式参拝を行ってから、他国からの批判もあったが
個人でも靖国参拝を辞めている理由だ。もしかして85年公式参拝の後から靖国神社がCIAの管轄に
置かれている現状を憂いで参拝をしなくなったのかもしれない。
中曽根元首相による靖国神社公式参拝は85年の一度っきりでその後に慣行とならなかった事への責任も
感じているのかもしれない、どちらにせよ靖国への参拝による右翼に対する求心力を持つにはCIA関連の
政治家でなくては成らない現状を感じぜずにはイラレナイ。
「保守」という政治的な思想を表す言葉がある。最近は「新保守」として対中国の覇権争いを強く意識した
政治思想を表す場合が多いが、これは日本の伝統的保守では無く、米国の保守派と非常に類似した考えになっている。
これと同じように「靖国参拝」も85年の公式参拝以降、CIAの管轄に置かれて工作活動を通して、
伝統的な戦没者の英霊を祭る訳では無く、アジア地域における覇権争いに日本が米国に加担する時のみ
国家的な求心力を得る道具になるのかもしれない。 すべては85年の公式参拝を行った中曽根さんのみが
その意味を知る。
現在の総理大臣の職にある人物の靖国参拝について考えてみたい。
先ず、総理大臣の靖国参拝が問題視されるようになったのは1985年の中曽根康弘総理大臣
の靖国公式参拝からだと云われている。
中曽根首相は総理大臣として初めて8月15日に公式参拝をしたことが
中国で日中関係の拗れから政局になることを恐れて、その後の公式参拝は見合わせている。
この靖国参拝の以後も以前も公人として閣僚を引き連れて内閣総理大臣として靖国参拝を行ったものはいない。
中曽根康弘氏は8月15日の終戦記念日に閣僚による公式靖国参拝を行った唯一の総理大臣となる。
小泉元総理は06年の終戦記念日に靖国参拝はしたが、公私の分別もしなかった。公式参拝でもなかった。
以前にも書いたが、中曽根元総理が靖国神社への公式参拝を辞めた理由は
「中国が政争になり影響を及ぼすのを避ける為」
改めて考えても何十年と中国共産党の一党独裁政権が続いている国で85年当時日本の総理大臣が
靖国神社へ参拝した為に政局となることは先ず無理がある。今でも無理だと思う。
普通に思い当たることは当時の米国レーガン大統領との関係に配慮したものだと考えられる。
総理大臣としてだけではなく普通の政治家としては何度か靖国参拝をしていた中曽根さんですが
それ以降は私人としても参拝をしていない。確かそうだったはず。
私的な予想としては中曽根元総理の靖国公式参拝は戦後40年の年に行われた、正直内心は
戦後50年という節目までは靖国へは行かないと我慢の姿勢が無難だったと思う。
しかし中曽根自身が総理の立場であり、あと10年は待てなかったために
戦後40年を節目として公式参拝を見切り発車で行ってしまった。所謂「勇み足」である。
そこを当時の米国大統領のレーガン氏に指摘されたと考えるのが妥当である。
中国に対する配慮ではなく、米国レーガン政権に対する配慮だと思われる。
1985年の中曽根総理の公式参拝以降の政治家と靖国の関連性を見ると、現総理の安倍晋三であったり
小泉純一郎であったり、米国CIAと関連性が強い政治家のみが参拝をする可能性が高い。
そして靖国神社の場所について報道しようとしていた朝日テレビに対してプライバシーを侵害する恐れがあると
異議を申し立てたのがCIA関係であったように靖国とCIAの繋がり方には一般論では語れるものではない。
戦後の靖国神社は戦で失った犠牲者を英霊として祭る大義の上に乗っかるようにWW2のA級戦犯の合祀などの
第2次世界大戦のメモリアルとして存在価値を見出す場合が多く、その為に8月15日の終戦記念日に参拝することは
極めて危険な行為だと判断するのが米国?そして中国?などからの意見であっても不思議では無い。
≪85年以降の終戦記念日に総理大臣の靖国参拝≫
・85年の終戦記念日(8月15日)に中曽根康弘首相(当時)が閣僚を引き連れて公式参拝
・06年の終戦記念日(8月15日)に小泉純一郎首相(当時)が個人で参拝。公私の分別はなし。
一番気になるのは中曽根元首相が85年8月15日に公式参拝を行ってから、他国からの批判もあったが
個人でも靖国参拝を辞めている理由だ。もしかして85年公式参拝の後から靖国神社がCIAの管轄に
置かれている現状を憂いで参拝をしなくなったのかもしれない。
中曽根元首相による靖国神社公式参拝は85年の一度っきりでその後に慣行とならなかった事への責任も
感じているのかもしれない、どちらにせよ靖国への参拝による右翼に対する求心力を持つにはCIA関連の
政治家でなくては成らない現状を感じぜずにはイラレナイ。
「保守」という政治的な思想を表す言葉がある。最近は「新保守」として対中国の覇権争いを強く意識した
政治思想を表す場合が多いが、これは日本の伝統的保守では無く、米国の保守派と非常に類似した考えになっている。
これと同じように「靖国参拝」も85年の公式参拝以降、CIAの管轄に置かれて工作活動を通して、
伝統的な戦没者の英霊を祭る訳では無く、アジア地域における覇権争いに日本が米国に加担する時のみ
国家的な求心力を得る道具になるのかもしれない。 すべては85年の公式参拝を行った中曽根さんのみが
その意味を知る。