簡単に読めるインスタントブログ

ガチな内容やプチなネタまで幅広く載せるよ。HP開設前の準備的なブログだと思うよ。

キンコン西野の絵本。

2017-03-30 23:58:32 | 日記
キンコン西野の作り出した絵本『えんとつ町のプペン』が、彼のブログ上で無料公開された。

ハッキリ言って今の所興味が無い。残念ながら全く感性を刺激しない。

西野の制作指示により他の画家が絵本を仕上げる分業制のスタイルは嫌いではない。

多くの人がゴーストライター仕様の西野の絵本を批判したが、私は映画もキンコン西野の絵本作成も

同じようなモノだと思っている。

代表的には北野武やお金を持つタレントが出資して自分の焼肉店を持ったり、趣味半分で映画を撮る

スタイルと同じだ。これで撮影に関わるカメラマンやアシスタントや絵本の作成に携わる人のメシの

種にでもなれば十分だ。それが成功して利益が出るのなら更に上出来だ。 

でも幾らお金を持っていても馬鹿の映画は作らない。それが職人のプライドだ。


西野が所属する吉本興業はダウンタウン松本人志の映画監督起用に絶命的な大コケをしている。

そこで早めに松本を切り捨てて、キンコン西野を担いで文化枠で活躍の幅を広げようというものだ。

この判断が見事に的中で絵本は異例の圧倒的な売り上げを見せている。今まで絵本を懐疑的に見ていた

人の意見を大きく覆す西野マジックの思い通りの結果を導き出している。


更には売上に気を良くしたのか西野はネット上で無料公開をはじめた。おお何たる大胆不敵な奴。

これまでの成功に飽き足らず更なる快進撃を続け、見えない壁をも破ろうとする天才だ。

しかしその挑戦は再び新たなキンコン西野嫌いを生んだ。 西野の無料公開はクリエーターを薄利にするのだと。


私はこれ以上キンコン西野に期待をしない。異論激論にもたいして興味が無い。

期待しない所から裏切られて意外に良い作品が完成したとしても拒否も肯定もしない。 キンコン西野の企画が

余りにも時間が係り過ぎて、引っ張り過ぎるのでネタバレはするし、途中で飽きてしまう。

おそらく嫌われても利益が無くても高い話題性を維持するように仕組まれていると思うよ。

興味本位と言われてもと気持ち的に盛り上げるように頑張らないと手が出せない位置にある。


キンコン西野がお笑い芸人であると知らない人にとってはあの絵本の主人公が涙、鼻水、ヨダレを垂らして

感動する表情が実に残念な感じを出している。 絵を見た印象は人物がドロっとしたぬめりを持っていた。


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東京コロッセオの狸。

2017-03-30 23:41:56 | 国内国際情勢
少し気が早い話ですが2017年4月からは消費税の増税は延期されましたが5月からは

電気代、保険料や航空運賃、紙などの生活必需品が値上げラッシュを迎える。

2019年10月には否応なしに消費税が10%になるタイミングで、更に物価水準が上がり、

相対的に可処分所得の大幅低下が予想される。 

政府は社会保障費の破綻が叫ばれる2024年までの猶予数年で、少しでも健全さと正常を

取り戻そうと、これまでのルーズな考えを捨てて断固として大鉈を振るう改革をそして粛清を

東京オリンピックの陰で開催しようとしている。 まるでローマ帝国時代のコロッセオだ。

古代ローマ帝国のコロッセオも災害の後に建設されるなど、日本の3.11復興の意味合いの強い

東京五輪と類似している点が多い。


歴史的に俯瞰をして考えると新国立競技場のザハ案が、高額な3000億円と言えども日本の復興のシンボル

又はランドマークとして、日本の21世紀型のコロッセオらしく建設しても良かったのではないだろうか、

ましてや今は亡きザハ・ハディードの監修した最後の作品となるのならば、尚更だ。

森喜朗や都議のボス内田の東京五輪は草刈り場にされるなんて上等だ。それでこそ金権オリンピックだ。



新国立競技場をザハ案で建設したいが為に他の予算を削るのは富国論にも繋がるので右翼や

体制主義には人気があると思いきや、論も証拠も無いまでに批判されて密室で破棄されてしまうのは情けない。 

私は内心ザハ案の3000億円の建設には大賛成だったのだが今となってはどうにもならない。


豊洲も五輪も新東京銀行も石原慎太郎時代の都政の多くは正しい場合は予算が削減されて

間違えた場合は予算が水増しされる。東京の財政の面で不自然なまでに勧善懲悪がひっくり返る

逆転現象を幾つも確認でき、予算の不整合さと悪質な不透明性が目に付く。


しかし敢えて間違えてこそ良策と成り得るであろう高額な新国立競技場ザハ案に関しては

何故かこれまでのセオリー通りに逆転現象は起こらなかった。誤りこそが価値とは進まなかった。

それどころか有識者会議まで開き大きな局面を作り出され、ザハ案は破棄された。


喉から手が出るほど欲しいザハ案を、嫌々ながらに外資から高額な事業を押し付けられた形に

持ち込めなかった森喜朗。『饅頭コワイ』が失敗した森喜朗。何時かは理由が解ると言って反省丸坊主。


東京財政のひっくり返る性質を利用して故意に間違える事が成功に結び付くセオリーを知ってか森喜朗。

ザハ案の代替案検討でもA案とB案を態と間違えて不人気なB案を選び滑稽なタヌキを演じた森喜朗。

もしも今の東京都民が、小池百合子都知事が、こうした経緯を正しく理解しないで、勢いだけで

都政のボスの内田や森喜朗を批判し目の敵にしているのならば、それは更なる失態を招くものだろう。


インフレーションを呼ぶ込むにはザハ案による国立競技場の建設が必要だったと思う。









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茂木健一郎の炎上の技。

2017-03-28 23:00:50 | 日記
脳科学者 茂木健一郎がSNSでお笑い芸人全体に「日本のお笑いはオワコン」と発言し

業界に一石を投じた後に お笑い界からの素早いカウンター総批判でフルボッコにされている。

器用貧乏というか、懐が深いのか、考えが浅いのか。何かと炎上騒動となる茂木健一郎ですが、関係の無い所に

遠慮なく自分の考えをポンッと投げかけて、答えが返ってくるとは羨ましい程の桁違いの発言力。

茂木のように有名人がSNS上の発言を取り上げられて炎上しボコボコに叩かれるパターンは数多くあるようで

実は意外と少ない。センセーショナルな内容を書いてもその人自身に需要が無かったり、煙たがれ無視されるだけで

終わってしまう、しかしこの男の炎上は日常茶飯事でしかも知名度が高い。


茂木は政治や権力批判を避ける日本のお笑いにセンスが無いと罵ったが、ダウンタウンの松本が逆に茂木に

「笑いのセンスが無い。」と、芸が無いそのままの返しをした。しかし茂木に笑いのセンスは無くともSNS炎上

センスにはピカイチだ。



多くの芸人が彼を批判したが、芸人は笑いを取れる人に嫉妬する傾向が強い。ましてや知性の高さを見せつけ

公開処刑でお笑い芸人をバカにされたと感じたならば、茂木のツィートにお笑い芸人が噛みつくのは尚更だ。


茂木の指摘するオワコン芸人は多数居る。「笑○飯」とか。 大して鍛えられていないお笑い芸人をネタ見せの

M-1企画で一躍有名にして、一発屋で話題性だけを持たせたら後は、旬の芸人として短期間だけ売りまくる。

ネタ見せと話題性で選ばれるので、底力や下積みで培われた芸人気質や実力が有る訳でも無い。単なる今年のお笑い

芸人の流行を作り出し、数年後には名前さえ忘れる。

意外と今回の茂木健一郎のツィートに噛みついた芸人の方が危ないようにも思う。DTの松本と言えども、結構な

「喋り」の差を見せつけられたのだから、業界から松本の真価が問われる。

「日本のお笑い芸人オワコン」騒動は茂木健一郎の厳しいツィートを上手に躱せずに衝突した芸人の方が痛かった。



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セルフメデュケーション税制が始まる。

2017-03-25 23:08:20 | 政治
・セルフメデュケーション税制、一般の医薬品の購入でも控除が受けられる


人工透析は自己責任論でブログが炎上した長谷川豊氏が維新の公認を得て千葉から衆院選への出馬を表明した。

元フジテレビのキャスターだったが、少し強引な金銭問題を会社側と起こして亀裂が生じて不本意ながら

フジを退社しフリーになりしも予てから注目度が高かったブログが炎上する騒ぎとなり、世間から遠ざかっていた。

しかし強い心臓を持っている男だと思う。このハングリーさは魅力だ。

維新からの衆議選挙出馬は長谷川個人にとっては吉と出るだろうが、維新の会にとってはどっちに転ぶか解らない。

維新が関西を中心にしているだけに逆に批判を集めるだろう。


さてさて未だに答えの出ない長谷川氏のブログ自己責任論ですが、年が明けてから行政の方で動きがあった。

セルフメデュケーション税制として一般の医薬品の購入でも控除が受けられるようになった。

これまで医者に罹らなければ、恩恵に授かれなかった医療費控除の枠が広がり薬局などの一般の医薬品購入でも控除が

受けられるようになった。医師の診察が無くても薬局での購入で受けられるのは、忙しくて病院にいけない人に

とっては非常にありがたい事である。

一部の人しか享受できない形から多くの人の必要性に合わせて控除が適用されるのは非常に有効かつ機能的だ。


社会保障費の増大を危惧する日本の財政には、健全化の前に一般人からの不平等感が存在し燻っていた。

生活保護者や障害者年金を受給している人の中には保護費名目として年間多額の社会保障費が捻出されている

現実から目を背けずに真正面から議論する事の大切さが求められるようになった。

長谷川豊氏のブログの自己責任論はマクロ経済学な意見として日本財政の責任を受け止めるべき要素がある。 

最初は強面過ぎる内容に思わず拒否反応を示し、弾き返されると思うが、徐々に理解をして貰えれば何時かは

主張の内容や彼の気持ちが国民に伝わると思う。今は荒削りで大胆過ぎる発想が致命傷となった。


長谷川豊氏の自己責任論によるブログ炎上の他に昨年2016年は相模原市の障害者施設の『津久井やまゆり園』

で植松聖が大量殺戮で逮捕されて、日本列島に衝撃を与えた。しかしその後の捜査の進展で犯人は社会保障費の

合理性を訴えた主張があり、彼を犯行へと駆り立てた複雑な経緯が注目されるべき事件だった。だが犯人の植松聖の

大麻使用や刺青ばかりに関心が集まり、介護職から残虐な犯行へ向かわせた動機づけを十分に分析できていない。

彼が警察署に自首して公然性を最後まで失わなかった事に社会性と彼のコンプライアンスに大きな意義を持つべきだ。

彼はこれだけの犯行を正当化させる為の更なる暴挙にまで進まなかった事が救いだ。 

神奈川県知事の黒岩祐治、こちらも元フジテレビアナウンサーで国際医療福祉大学の教授まで勤めた人物だ。

このキャリアならば、この事件で良い意味でもっとアクティブな仕事が出来たと思う。残念ながらコチラの方は

地方自治のセルフメデュケーションとまでは進んでいない。 もう少し頑張れるはずだ。






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「A LIFE~愛しき人~ 」最終回を見逃した。

2017-03-25 22:02:14 | 日記
どんな役をやらせてもキムタクになってしまう元SMAPの木村拓哉。彼のSMAP解散後の

ドラマや映画出演での活躍には大きく期待値があがる。しかしキムタクとは別にどんな役でも

演技上手な印象になってしまうのが、堺雅人だろうと思う。


キムタクがドラマの役を自分色に染めてキャリアの上で全部キムタク風味になるとは別に 堺は

彼はどんな役でも演技上手に熟してしまう。NHKドラマ『真田丸』では賛否両論の作品評価の中で、

どちらかといえば、好演と高く評価されている堺。彼は間違いなく一流の俳優だと思う。しかし配役の

デコレーションや仕上がりに関しては作品や演出や助演に助けてもらっている部分が大きい。

彼の長所でもあり短所でもある演技に熱心過ぎて俳優としての存在感が逆に無意味になってしまう所にある。

木村拓哉は俳優であることを忘れないスタンス、堺雅人は演者として配役に尽すタイプの代表格。


もう少し演技よりも俳優としての力に依存した作品が見てみたい。だから彼が半沢2のオファーを

断ったと聞いた時は少し残念だった。

木村拓哉の方は本人も自覚しているように俳優としてもう一皮剥けるように経験を積んでほしい。

視聴者から文句など一言も無かった数年前の圧巻の実力と数字を持っている俳優らしさをまた見せて欲しい。

多分、堺雅人と木村拓哉を足して2で割ると織田裕二位のキャラになると勝ってに推測している。



ドラマは一昔前のフジ月9よりも今はTBSの日曜劇場だ。どちらも作り上げたのは木村拓哉です。

賛否両論あっても日本を代表する俳優であることは十分すぎる程に認められる。

やっぱりキムタクは凄いと思うよ。

これが「 A LIFE~愛しき人~ 」最終回を見逃した人の感想だ。www

最終回を見てないけど、おもしろかった。先の展開が解ってしまう分は安心感があった。

出演者のリアル伴侶もまたすべて芸能人というだけあって、逆境をものともしないプロフェッショナルな根性を感じた。








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9.11テロとロックフェラーの陰謀の解明へと

2017-03-24 22:23:09 | 国内国際情勢
改めて米国ロックフェラー財団の当主であるディビット・ロックフェラーが亡くなって財団関連の

話題でも調べてみようと思い、いろいろネット検索を試みるのだが、英国のロスチャイルド財団を始め

米国のロックフェラー財団に対して 根拠の無い陰謀論や世界の闇の支配者と呼びディープな単語が並ぶ

罵詈雑言ばかりで驚いた。 全く関係の無い人物との意外な血縁関係を唱える者や世界人口論を

唱えて憂うことを批判したりと、まるで血に塗られた悪魔の正体のような印象を提供しているのは考えものだ。


20世紀的な資本主義世界を支えた雄でありながら、その本質を雑踏に消し去り噂に惑わされるのは不用意に

混乱と不安定へと繋がってしまう。 陰謀論は逆に世界観を見失わせる煙幕としての役割を果たしてしまう。

陰謀論の最たる例として20世紀的な資本主義を崩壊させた9.11の同時多発テロにまつわる真実が幾つもの疑惑で

囁かれ長い時間が経っても未だにあのビル倒壊は何であったのか漠然とさせられる。


静かに最後の時を迎えたディビット・ロックフェラーの死亡原因やこれまでの経緯に関して、真実が人々に

知れた時に彼ら家族の負の印象も大きく変わると思う。そしてそれが9.11テロの真実でもあると思う。

少なくとも今のようなロックフェラー財団が私利私欲の為に関与したものではないことは確かだ。

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ディビット・ロックフェラー死去101歳。R.I.P

2017-03-22 23:44:53 | 経済
ディビット・ロックフェラー氏が心不全で亡くなった。死因については今の所一通りでは無い。

101歳だったそうです。RIP。

彼はこれまでの人生で交通事故をきっかけに数回の心臓移植を行い、現代医学のハイエンドを存分に

受け続け、お金と権力によって、まるで不死身の体を手に入れたように語られる伝説の人物でもあった。 

これが自分で稼いだお金ってのも凄いし、更には医療の新たな研究の為に資本を提供までしている。私利私欲に

溺れることなく社会への貢献度の高さも長生きの秘訣かもしれない。



彼の訃報を聞いて最初に思ったのが目標の120歳まで生きる事が出来なかった事に残念さを感じた。

人類と医学の発展はこれまでの寿命の限界を超えて更なる長生きの可能性に到達するものだと期待していたが

ここで命が尽きてしまいまいた。 100歳を超え長生きするまでには跡目であり2014年6月に自らの操縦する

飛行機事故で命を落とした息子のリチャード・ロックフェラーの存在が大きかったのは確かだろう。

ロックフェラー家の一員でありながら、国境なき医師団の医者として活躍しており、父ディビットの99歳の

誕生日を祝いその帰りに事故で死亡した。 当日の天候では視界が悪かったそうだ。

この親子は間違いなく医療の面から長寿を考える上でパイオニア的存在でもあり、世界中から健康の為に

知識と情報を集め、大きな社会貢献を果たした。


彼の死後の2015年には彼が所属していた国境なき医師団が活動するアフガニスタンの病院が米軍による空爆の被害に

遭うなど息子のリチャードの廻りには常に不穏な空気が流れていた。生前にも国境なき医師団が不法な薬物を所持して

いるなどの疑惑や不可解な噂が流れ、陰謀論でも注目されることが多かった為かリチャードの飛行機事故は

一筋縄ではいかない陰謀や暗殺説が今でも議論の卓上に上り、解決を見ない場合もある。


ディビットが死亡した事で、直系ロックフェラー家の第3世代が終わりを告げ、これからは4世代へと移行する。

3世代で最も活躍したのが末っ子のディビットとリチャード親子でもあった。





ディビット第3世代のロックフェラー家で最も大きな出来事と言えば、9.11の同時多発テロだ、その頃には兄のローレンスが

がまだ健在であったので、難を逃れロックフェラー家の威厳は一家の協力により保たれた。しかし2014年のリチャードが

死亡する少し前にロックフェラー財団は化石燃料つまりはオイルマネーからの撤退をしている。その頃から原油価格は下落を

続け2016年までの2年をかけて大暴落を期している。

原油価格の大幅な下落はISIS中東情勢とロシアのシェールガスの利益を下げる為の経済的な戦術として評価される反面

米国経済の雲行きの危うさから経済的な生産性の向上の為に負担を軽くしようと原油価格を下げているとのコアな見解も

ある、これには当時のオバマ大統領や次期大統領候補の筆頭であったヒラリーも明言を避けている。しかしイスラエルからの

ケニー国務長官への当て付けは厳しい物事出逢った事も忘れてはいけない。


オイルマネーは経済に付加価値を与え大利益をもたらす。それは英国ロスチャイルド(ユダヤ)と米国ロックフェラーの

2財団とロシア国家とアラブ系国家の2国間によって妥結し争われ4竦みで成り立っている。このカルテットから

米国ロックフェラーが抜けるということは、英国ロスチャイルド(ユダヤ)の一財団とロシアとアラブの新たな3竦みに

よるカルテルの形成を意味する。

長年に渡り、ロスチャイルドは中東のイスラエルの手によりアラブ系を封じ込め、ロックフェラーは米国としてロシアを

抑えていた。これによりロスチャイルドとロックフェラーの蜜月の関係とオイルマネーでの欧米諸国の上位相互関係が

成り立っていた。 タックスヘブンとオイルマネーのバランスが崩れたことによる世界経済の不安定化は資本主義の

本質が揺らいでいる事を示している。


最近のCIAが世界で暗逆する情勢の中で日本は安倍総理や小池都知事などCIA関連の政治家の活躍が見られ

米国CIAに追随する傾向が強い。がしかしロックフェラー財団のディビットは日本に対して尊厳を与え、最高の

理解者であったことも忘れてはならない。今の日本は恩を仇で返しているようにしか感じられない。







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ロックの巨匠チャック・ベリー90才の大往生です。

2017-03-20 23:46:15 | 音楽
米国ロックギター界の巨匠、チャックベリーさんが2017年3月18日に死亡した90歳だった。

エルビス・プレスリーと同時代に活躍した人物だ。彼がギターを弾きながら踵を使ったステップを披露すれば

プレスリーが監獄ロックで膝ガクガクのダンスをする。そしてどちらもセンセーショナルに大ヒットする。

2人のビックスターを生んだ1950年代の米国はテレビが普及した時代でもあり、それまでの音楽は

ラジオから流れて人々に知られるのが普通だった時からテレビでも音楽が娯楽として楽しまれるようになったと

考えれば、目で観るダンスが踊れるミュージシャンが画面に栄えるのは必然的だったかもしれない。


私の中で未だに解決しない音楽に関する未解決事件があり、エレキギターを弾いている人ならば誰しもが知る

ダウンチューニングは、チャック・ベリーがロックな曲と同様に世界に広めたの答えを本人の口から聴きたかった。

多くの若者がチャックの演奏やギターテクニックをマネしようとしたが、上手くいかなかった。それはチャックが

ギターをダウンチューニングしていたからだとされている。チャックをコピーする時に多くの人がギターのダウン・

チューニングを勉強したという訳だ。


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トドの詰まり、海馬が損傷したダメージで、記憶があうあうぁ~。

2017-03-20 23:30:53 | 政治
東京都では茶番と言われながらも小池新都知事により、百条委員会が開かれて、証人として元東京都副知事の

浜渦武生が呼ばれた。その中で東京都と東京ガスが水面下で交渉に当たっていた事は認めたが、合意に関しては

役人が勝手にやったとして否定した。 時折恫喝するかのよう机を叩く行動からは到底、真実を語る気が

無い事は明らかだった。 悪は連なるというが、長年に渡り石原慎太郎の側近であっただけの事はある。

浜渦も反省の弁はなく石原同様に身の保身にしがみ付くだけの情けないエゴでしかなかった。

「水面下での交渉」「豊洲への移設は役人が勝手に決めたこと」この二つだけが表に出た。


後日、浜渦元副知事同様に都議会の百条委員会に疑惑核心とも呼べる元都知事の石原の証人喚問は更なる真実の解明に

進展が期待されていたが、既に始まる前から予定の3時間では無く1時間程度の証人喚問へ短縮になっていた。

この茶番に、この為体ぶり、数日前の「果し合いに向かう侍の気分」とは打って変わって、逃げ惑うゴキ武士。

百条委員会の始まる前に出て来たセリフが数年前に脳梗塞を患い、海馬がやられてひらがなさえ忘れてしまった。

言わない方が良い言い訳を飛び道具的に出してくる愚かさは、今も尚健在だ。医師の書いた診断書を持って来い!!



目はショボショボで瞼が垂れ下がり顎は無く顔の輪郭が崩れ首と顔が一体化し、髪は整髪の限りを尽くして数日持たず。

石原ファミリーで声を合わせて幾ら虚勢を張っても、無能な石原慎太郎は、数年前に中国と戦争する事が目的と豪語した

姿からは、あまりにもかけ離れており、お情け頂戴の物乞いにしか見えなかった。

この姿を見た瞬間に田中角栄を自叙伝風に描いた小説の『天才』は到底本人が実力で書いていないと覗える。

「海馬をやられて・・・」つまりは馬鹿だ。認知症だ。目ヤニ、ヨダレ、失禁、脱糞で妄想虚言癖が全開になりました。 

石原慎太郎の百条委員会への証人喚問は 誰の目からも明らかだった。話せば話す程有罪だった。

トドの詰まりは「海馬がダメージになりまして・・・記憶が曖昧でう。あうあうぁ~」


浜渦に続き石原から出て来たのは「豊洲への移設は青島都政から決まっていた。」「部下に一任させていた。」

石原→浜渦→役所への豊洲無責任トリクルダウンにより、事実は解明されないままだ。交渉相手の東京ガスが封を切って

真実を公表してしまった方が自社の為にはなると思うのだが如何だろうか。 実は築地の豊洲へ移設する話は候補地の一つ

として存在したが決定案では無かった。そして豊洲に決まる前から築地市場関係の人は土壌汚染の実態を把握していた。

築地市場がこうした行政上の問題に対して堅実で強みがある事は北朝鮮事情に詳しい人は御存じだと思う。

青島都政に対して都政運営の時間を錯誤をさせる事も失敗だったな。築地市場の人の言い分が一番信用できる。

確か2007年に明らかな都知事選の争点になったはずですよ。青島時代までぶり返さないはずですよ。


・トドの詰まり記憶が無い。

・海馬(トド)の詰まり記憶が曖昧だ。

・海馬のダメ―ジにより記憶が無い。




~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・



予てから石頭は高齢による健康上の理由の為、適切な対応が出来ない場合があり、即興で病人を装って逃げるような

手段を良く使っていた。今回の百条委員会と同じように扁桃体や海馬の調子が良くないもよく使っていた理由の一つだ。

ド定番の言い訳が用意されていた事は石頭の自宅の近くや田園調布に住む人の多くは知っていた。

そんな彼の事を周辺の一部の人達は皮肉って「かいば(海馬)」と呼んでいた。www。お約束の海馬ですーーーー。

老害石頭の苦手なモノ。海馬と呼ぶご近所様と空撮の為に空を飛ぶヘリコプターの音だそうだ。

何処の誰からの情報かは・・・何となく解るかも。wwwwww





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石郷岡病院の精神科准看護師 傷害致死容疑の裁判

2017-03-18 23:09:09 | 社会
千葉県の『石郷岡病院』の精神科に入院していた男性が2名の男性准看護師に暴行を受け、寝たきりになり

2年後に肺炎を患い死亡した事件で、入院中に密閉された保護室内で男性患者を暴行する看護師の姿が映し

出された動画が証拠の決め手となり、傷害致死容疑での逮捕となった。裁判では准看護師の男性一人に無罪が、

一人に30万円の罰金が科せられた。 膝で患者を押さえる行為は「医療行為」と認められ頸髄損傷に関しては

「ケガとの因果関係が断定できない」とした。

死亡した被害者が自由に体が動かせる健常者で場所が精神科の密閉された保護室で無い場合に限り、この判決に

不服は無いが、どうも裁判官が被害者が身体の不自由な人であることを無視しているようだった。


死亡した患者家族の必死の努力が報われて裁判にまで至った例は稀で注目されるべき事件内容だった。

しかし結果は毎度毎度の検察や裁判所にお株を奪われるような結果になってしまった。やはり不健全ながらも

行政組織がイニシアティブを発揮して、病院側に都合の良い結末を迎えるケースであることは否めなかった。

広義の意味で身内である裁判所と検察そして病院。行政上のサービスを担う機関同士による罪の擦り付け合いは、

どうしても、立場が弱い人に嫌な思いをさせてしまう。それは被害者となった患者ばかりでなく逮捕された

2名の男性准看護師にとっても同じだろう。



裁判は真実の追及や罪を咎める事が目的でも無く、結果的にどこかで妥協点を探るものだったかもしれない。

もしもこの事件で病院側の責任を追及した場合、多額の損害賠償が請求され、病院側は経営が厳しくなる。

看護師個人の責任に押し付けるのが法の網を掻い潜る抜け道のように準備されているのが今の法廷だ。

それは仙台で起きた筋弛緩剤点滴事件で准看護師の逮捕された守大助の無罪主張の内容と非常に輪郭が似ている。

20年近く経っても医療の法的な根拠が成長して無いのが一番問題だと思う。実際にはもっと長い間医療ミスは

放置されている。社会で議論され初めて40年以上の時間が経った。


これは明らかに検察をはじめ法曹界の甘えや緩慢さである。医療の問題は専門的でデリケートであるが為に非常に

慎重に扱われ、被害者の負担を減らしながらも器用に上手に対処されてしまって、法による統治よりも病院の自主的な

モラル規範による病院統治が当然になっている。余りにも慣れ過ぎて医療事故の対処が上手に成り過ぎて返って、

具体的な事例が発生し難くなり、何時かは超法規的な存在として独立独歩が始まっているのかもしれない。



今回に限らず医療や法廷の場に置いて、失ってはいけない大切な良心の中に「被害者は生きていても仕方が無い存在」

の認識が心情に縺れて、改めて本質を考え直させられたり、信念が揺らいだりすることもあるだろう。


去年2016年に起きた重大事件の相模原市の障害者施設津久井やまゆり園大量殺戮事件、犯人の元介護士の植松聖容疑者が

障害者を殺害する理由に社会保障費などの財政的な負担を主張しており、時間が経つにつれて事件の残虐性が薄れて、

彼の書いた手紙の内容に一定の理解を示す人も増加し、精神障害者の尊厳を軽視する傾向がある。

以前のように無尽蔵なまでの人権の尊重とは別に、公共の福祉の範囲内の限定的な意味を重視する他に、

タダ生きているだけでは人権は達成されず、不断の努力として人間的な価値観を持てなければ、尊厳が踏み躙られる

場合もあるだろう。生きる権利は社会の中で生存権としての意味合いを強めている。 


実際に社会の中では暗黙の了解として精神障碍者は忌み嫌われ、社会の中で関わり合いを持つことを拒まれるのが

当然とされる。偏見のようでありながら、人間性や社会性の尊重の意味では分配的平等としてそれが正義となる。

しかし患者の近い将来の健康上の運命が解っていても、障害者だからと言って暴力的でゴミのように扱ってはいけない。

例え、評価が最低でも精神障害者を手段においてもお行儀よく社会性と人間性を失わず丁重に扱わなくてはいけない。

それがお仕事というもので、准看護師の男性2名が非難されるべき場所はそこにある。


精神障害者が社会から疎外される事を肯定的にする意志は、イジメの発想とは対極な位置から発生しているようだ。

姥捨て山に捨てられる事と、津久井やまゆり園で殺害される事は、結果的に同じであっても、

意義に於いては全く対照的なモノである。立派に最後の時を迎えさせるのも社会性な努力である。

こうして精神障碍者は外堀を囲まれていくんだなと知った。








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