シニアー個人旅行のかわら版

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鉄道と路線バスの旅・50年前の北海道旅行

2008-05-11 10:55:21 | Weblog
先週、学生時代の友人の快気祝いを東京・御茶ノ水で開きました。同じ病気で、同じ病院で、執刀医も同じ、私が5年前、友人は2ヶ月前の手術という縁で、二人のささやかな宴となりました。

話題はいつしか50年前、昭和34年に出かけた北海道旅行となり盛り上がりました。もう一人の友人三人で、2週間、テント・寝袋を担いでの旅行でした。かかった費用は1万5千円、バイトで貯めた金でした。
当時の大学卒業者の初任給がそのくらいでしたから、今の物価の換算で、およそ10倍、15万円ぐらいになるでしょうか・・・学生の身分にしては豪華な旅でした。テントを使ったのはほんの3日、往復の夜行列車での2日、後は友人の父君が勤めていた国鉄の宿舎や、旅館に泊まりましたので、この金額となりました。
 今でも記憶に残る列車と路線バスを乗り継いでの旅の断面を記してみます。

 網走駅から列車を乗り継いで、帯広駅に出て、士幌線上士幌駅へ・・・そこから山道をテントで泊まりながら、当時秘境としてようやく知られるようになっていた然別湖へ向かう予定でした。
ところが、上士幌の町の人に道を尋ねると、半ば呆れ顔で「熊に食われるが関の山」だと諭され、計画を断念、糠平湖畔の真新しい温泉旅館に泊まりました。糠平湖も完成したばかりの人造湖で、満水までには至らず、赤茶けた湖畔がむき出しでした。

ここの旅館では失敗があります。天汁を澄し汁と思い、ずいぶん量が少ないと思いながら、飲んでしまったことです。当時、天ぷらは醤油でしか食べたことがありませんでしたから、浸して食べる天汁があるのだということなどまったく知らなかったのです。

 私たちが行き帰りに乗った士幌線はとうの昔に廃線となりましたが、当時のコンクリートアーチ橋梁が今では北海道遺産となり、観光客が訪れています。

 上士幌駅から再び、帯広駅へ・・・そこから広尾線広尾駅に向かいました。車中の記憶はまったくないのですが、愛国駅・幸福駅が途中にあり、一時期、大変有名になりましたので、そこを学生時代に列車で通過したのだとようやく思い出したくらいです。

その広尾線も廃線、線路、橋脚は撤去されたものの、駅舎は保存状態がよく、鉄道ファンが訪れているようです。(詳しくは廃線研究所のページを・・・)。

 広尾駅からは路線バス襟裳岬へ・・・見学後、再び路線バス日高本線様似駅へ向かいました。バスの中で、地元の人から、将来は広尾駅から様似駅まで鉄道が繋がるという話を耳にしましたが、その広尾線も廃線、日高本線も一時間に一本列車が走るかどうかという、車窓から見る海岸沿いに干されている昆布の光景がハイライトというローカル線と現在ではなってしまっています。

その代わりとして、広尾町豊似から浦河までが、236号線日高山脈を突き抜ける野塚トンネルの開通で結ばれましたから、地元の方の夢も実現したことになるでしょうか・・・。冒頭の写真は昨年の夏、訪れた襟裳岬です。



(判官館の岬から見た新冠町へ走る日高本線)



(判官館の断崖下を太平洋の波打ち際を走る)

日高本線は様似・鵡川間の廃止が決まりました

苫小牧駅から室蘭本線に乗り換えました。途中の長万部(おしゃまんべ)駅で忘れられない思い出があります。男性の売り子が首からかごをぶる下げ、停車した列車の車窓に向かって「毛がに!毛がに!」と連呼しているのです。たしか一匹50円でした。今の値段で500円になります。ゆで蟹を買うと、新聞紙が手渡され、膝の上に広げて、蟹を捌いて、食べました。この話を北海道出身の同僚に話したところ、「それは歴史的な体験だった」と羨ましがられました。

今でも長万部駅は蟹の駅弁では知られていますが駅弁かにめし本舗のホームページ
をのぞいて見ましたが、50年前に毛がにを新聞紙付で売っていたという記事はありませんでした。
 
青函連絡船青森駅に渡りましたが、洞爺丸の海難事故から5年しかたっていませんでしたから、救命胴衣を真剣に探した記憶があります。
 青森駅からは奥羽本線回りの夜行列車上野駅へ一気に向かいました。車窓から見た八郎潟は干拓が始まったばかり、月明かりの中、満々と水を湛えた美しい姿を見せていました。

 50年前の記憶というものは、受け取り手によってずいぶん異なるものだと痛感しました。一方が鮮明に覚えている光景・出来事も他方の記憶にまったく残っていないなどちぐはぐの連続でしたが、それでも話が途切れることなく続いたのは50年前、青春時代の2週間を、ともに過ごした濃密な時間・空間があったからでしょう。
今ではまったく顧みられることがなくなった、普通列車と路線バスを乗り継いだスローな旅の楽しさを久しぶりに思い出して、私のブログ東京から行く石見銀山の旅を紹介、他の旧友にも声を掛け、50年ぶりの列車とバスの旅で世界遺産石見銀山を目指すことを約束して、宴を終わりました。

北海道旅行に関する私の他のブログもお読みください。
富良野、日高原生林、そしてサラブレッド銀座へ
旭山動物園、大雪山国立公園を往く
札幌と留萌を結ぶオロロンラインを往く
フェリーで行くロマンチックな旅を
LCCで行く初夏の北海道







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