四捨五入すれば30%じゃないか:
自分のその30%の中の一人だ。その中でも現在のICT化というのかディジタル化というのか知らないが、何事にもスマートフォンやPCや自動化された機器が並べられて「さー、来い」と待ち構えている世の中になってしまった。だが、その変化に30%の高齢者の何割が対応(対抗でも良いかも)できているのだろうかと、何時も不安に感じている。
つい先頃退職したばかりの65歳辺りの年齢層であれば、スマートフォンにもタブレットにもPCの扱いにも慣れていることだろうが、1990年以前辺りに第一線を引いた人たちにとっては、これらの文明の利器は「知られざる世界の出来事」なのだろうと思う。それでも、政府も企業も何かといえば平然としてQRコードからどうのとLINEに「友達登録して」などと命令するのだ。何時から我が国では全国民がスマートフォンを持っていることが前提になったのだろうか。
新型コロナウイルスが蔓延する前のことだった。昼食時に外にいたのだが、眼前の「すき家」に値頃のランチのポスターが見えたので、ついうっかり釣られて入ってしまった。だが、そこにあったのは無情にもタブレットで、店員は注文を取りには来なかった。何とかいじって目指す料理は見つけたが、2人分の注文の仕方に迷い、運良く隣の席にいた青年に教えを請うた。家内は「もう、これからは単独ででは外食はできない時代になる」と言って嘆息。
当方は滅多にコンビニエンスストアでは買い物をしない。それは、彼らは24時間営業すること等によって発生するコストその他を商品の価格に転嫁するから高くなるからだ。新型コロナウイルス後だったが、国立病院の地下のセブンイレブンで買い物をした。そこには「購入者は係員の指示に従って自分から機械で払え」という仕掛けになっていて、係員は横柄にUPCを読み取って扱い方を指示すると、後は知らん顔だった。
これは彼らの為には合理化であっても、顧客の為の措置ではないと思った。私にはレジスター係を減らすのか、ウイルスに感染しているかもしれない紙幣や貨幣に触れたくないからのことかと疑った。即ち、顧客がウイルスに触れていることはどうでも良いと言っているように思えた。何の為にこうしたのかくらいは掲示しても良くはないか。このホールでイング会社には、こういうお客の為を思う考え方が欠如しているのだ。だから傘下の百貨店を売ろうというのだ。
もう一つ、コンピュータ化というのかディジタル化の例を挙げてみよう。利用する客である当方には便利にできていることは解るが、このシステムの導入で「何を」か「誰を」合理化できたのかは見えてこないのだ。ここは「回らない」を売りにしている「回転寿司」である。システムは最早斬新でも何でもない事で、お客はタッチパネルで席を選び、その席の伝票に記載されているUPC(バーコード)を支払機に読ませれば支払いができるのだ。
席についての注文は勿論タブレットであり、注文品は張り巡らされたレールで遅滞なく運ばれてくる。思うに、タブレットと席の伝票が連係でできているのだろう。この寿司店は価格も経済的で週に2回も利用することもある。だが、ここで何時も気か付くことがある。それは恐らく我らが夫婦はこの店を利用するする最高年齢のお客だろうということ。同年齢層は言うに及ばず、老人は見たことがない。矢張り、タッチパネルとタブレットは敬遠されるのだろう。
ここまでで何が言いたかったかといえば、全人口の30%をも占める人たちの中には現代のICT化とディジタル化というのかコンピュータ化の流れについていけなくなっている事に対する対策を講じろということ。彼らは可処分貯蓄もあるかも知れないし、未だ未だ活動する意欲もあるはずで、支出する余力があるはずだ。一方では後期高齢者はスマートフォンやタッチパネルやタブレットでは尻込みしてしまうのではないかということ。
現に昭和26年(=1951年)に新制高校とやらを卒業した我々のクラス会の生き残りではPCを使っているのは私一人だし、杖を持っていないのも例外的だ。政治家も経営者も少しは「高齢者」のことに気を配ったらどうか。未だ未だ用途によっては使える人だっているだろうし、彼らの財力の活用法だってありはしないか。
経営者たちはこの方面にも神経を使うべきだが、初任給も社員の給料も引き上げる努力を怠っていれば、何時まで経っても景気は回復しないだろう。貴方方がぼんくらだと我が国はどんどん劣化していくだけだという自覚はあるのか。何か、日本のこの製品を輸入しないと立ちゆかないというような業種が世界の何処かにあるのか。何度も言ったと思うが、我が国の経済の沈滞の原因を「経営者の劣化だ」と断じた昭和一桁生まれの経営者がおられたではないか。
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