新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月3日 その2 逸話(=anecdote)

2024-02-03 14:30:37 | コラム
私にしか語れないと自負するアメリカの文化を:

アメリカとはこういう国なのだと思っている話を採り上げていこう。

俺の年俸は彼より低いのだ:
我が副社長兼事業部長は言った「俺の年俸はあの営業部長より低いのだ」と。何故これが逸話なのかと言えば、副社長はそもそも州立の4年制大学出身で、本社とは別組織の工場での地方採用の会計係だった人物。それが抜群の才能を見込まれて、我が事業部のシカゴのカートン販売の営業所長に引き上げられてきたのだった。所長とは言っても所謂「ワンオペ」だったが、そこでも抜群の成績を上げて、34歳で本部のカートン販売部門のマネージャーに大抜擢された。

即ち、シカゴ時代には上司だったマネージャーを、原紙販売部門のマネージャーに押し出したのだった。そして、またまた大活躍で利益を大幅に増加させ、遂にはその後2年で彼を工場から引き上げてきた上司の副社長兼事業部長を追い落として、事業部長に昇進したのだった。という事は、彼が横に押し出した嘗ての上司だったマネージャーは、何と地位が逆転して彼の部下になったのだ。

そこで、新事業部長が私に「俺は彼の上司にはなったが、未だ年俸は彼の方が高いのだ」と言って笑った。この意味は「アメリカの企業社会では年俸制で給与は1年ごとに事業部長と話し合って決めるのだ。故に、その年の途中で昇格しても役職等の諸手当などがない世界だから、年俸は変わらず据え置き」という事。我が国で事業部長の給与が、配下の部長よりも低い事などあり得ないと思うが、アメリカではこの例が示すように、当たり前なのだ。

なお、新事業部長は翌年に自ら改訂して、部下のマネージャーよりも高額の年俸になった。

リタイアした工場の事務課長の家は:
工場の(日本式で言えば)事務課長辺りに相当するFrankが「リタイアしたので、君に遊びに来いと言っている」と、技術サービスマネージャーのGregが言うので、お互いに時間の都合が良い時に案内して貰った。Gregがまるで人が住んでいるような気配がない小高い丘を上がっていくので「何処に行く気か」と尋ねると「この丘がFrankの家だ」と妙な事を言うのだった。

頂上まで上がると100坪はあるだろうか広々とした家があった。「凄いな」と感心して「この丘は君の所有か。その広さは」と尋ねると、約5エーカー(=約6,000坪)の丘全体が彼の土地だと言うではないか。正直、幾ら土地が安い地方の都市でも、個人で5エーカーとは度肝を抜かれた思いだった。軽くウッドデッキでビールなど飲みながら(往年はビールの一杯くらいは飲めた)Frankにフランクに「リタイアした後に何か趣味でもあるのか」と尋ねた。

答えもまた素晴らしかった。「あそこを見ろ」と指さす方を見れば、馬が2~3頭草を食べていた。「あのように馬を放牧して楽しむのが趣味だ」と言われてしまった。Gregは本社機構の一員だが、在職中にコロンビア川という川幅3kmの河川敷の所謂“water front”という、最もアメリカ人たちが憧れる贅沢な場所に、1エーカー(=1,200坪)の土地付きの家を買って、リタイア後の生活の準備してあった。

州立大学にしか進めないと解った時に、自分の将来が決まったと感じた:
2005年に偶然に我が社の林産物事業部門の中のある部の統括の経理担当のマネージャーの女性と、成田行きの京成スカイラナーの中で知り合った。彼女を日暮里の駅で見送っていたのが息子さんで、明治大学に留学中なので、一度会って話を聞いてやってくれと依頼された。帰国後にヒルトンホテルで3時間程語り合った。そして、「何故、日本に留学したのか」等々色々と訊いてみた。

彼は州立のUniversity of Oregonにしか進学できないと解った時に「高校までの間にもっと勉強しておくべきだったと反省した」と言うのだった。実は、これは非常に尤もな嘆きなのだ。それは、アメリカでは我が国とは異なって州立等の公立大学は私立大学よりも格下に評価されているのだ。州立大学、それも4年制の出身では先ず大手企業に途中からでも採用される機会は殆どなく、またその機会があっても身分/地位の垂直上昇は望めないのだ。

彼が言うには「大いに反省して、どうしたら自分の将来を自分の手で切り開けるかを考えた」そうだ。そこで到達した結論は「母が勤務している会社は輸出に注力して日本を主力にしていると理解している。そこで、経済学を学ぶ傍ら日本語を身につければ、日本向けの輸出企業に就職する道が開ける」と考えて、教養課程で2年間日本語を習得してから、明治大学の政治経済学に留学したのだという。

ここまでのところで要点は二つあって、先ずは「アメリカでは州立大学ではビジネスの世界では容易に立身出世の道が開けてこないという事」と「日本との密接な関係を考える時に、日本語を習得してあれば、海外への進出の可能性が出てくると考えたという事」なのだ。また、この彼の考えの背景には「ウエアーハウザーの経理担当マネージャーの家庭からでは、東海岸のIvy Leagueの私立大学への進学は経済的には難しい」という事がある。

この会談で非常に衝撃を受けたことがあった。それは、彼が「2年間大学の教養課程で日本語を学んだだけで、明治大学の政治経済学に留学して、日本語の授業に何らの問題もなく理解できているし、ついて行けている」と自信たっぷりで言った事だった。「我が国の英語教育で2年間勉強しただけで、アメリカの大学に行って何の問題もなく英語の講義に付いていけるだろうか」を考えてみて貰いたい。何かが違いすぎないか。

何か忘れてはいませんか?:
少し軽い話題を。アメリカでは旅行社のガイドなどには、彼らが団体客等を案内した店から一定額の手数料が支払われるような決め事(文化?)があるようだと何となく聞いていた。私は仕事の一部で日本からいらした団体などのアテンドをする機会が屡々あり、要望があれば買い物にご案内する事があった。確か1983年にシカゴで、30数名の団体の買い物ツアーをした場面があった。

ご一行様がお土産に化粧品を買いたいとの要望があり、かの有名なる「華麗なる1マイル」と言われる“North Michigan Avenue”のデパートにご案内した。ご一行様は何故か私がお勧めしたChanelではなく、クリスチャン・ディオールの化粧品売り場に殺到され、買いまくられた。売り場の担当者はサンクスギビングとクリスマスが同時にやってきたようだと大喜びだった。私はふと思い出して、担当者に「何か忘れていませんか」と揶揄ってみた。

彼は慌てふためいた表情で「大変失礼致しました」と言って奥に引っ込んで何かを持ってきて「これをどうぞ」と言うのだった。矢張りガイドに手数料を払うというのは事実だったと確認できた。だが、彼には「私はこれこれ然々のアメリカの会社のマネージャーで、現地でのアテンドをしている者である」と名乗って、丁寧に返却した。まさかツアーガイドだと見られるとは予想していなかった。

クレディットはSueに付けておくから:
アメリカは何事でも「個人が単位」と繰り返して指摘してきたので、その具体例を。私はスーツケースやブリーフケースを同じブランドで、同じ店の顔見知りの女性店員・Sueから買い続けていた。名刺も渡してあった。すると、彼女が東京のオフィスにまでセールの葉書を送ってきた。偶々出張の時期と合ったので、その葉書を持って長年狙っていたガーメントバッグを買いに出かけた。生憎彼女は休暇だったので、店長が担当して無事購入できた。

すると、女性の店長が言うには「心配しないでください。今日のクレディット(=creditは手柄、功績の意味)はSueに付けておきますから」だった。この意味は「アメリカの小売業では販売員たちは言わば個人事業主たちで、一人一人が自分の店を張って自分の常連乃至は固定客を沢山持っておこう」とするのだ。この習慣を知ってからは、化粧品なども同じデパートの同じ販売員から買うようにして、大いに便宜を図って貰っていた。この辺りも文化の違いの一つの例だろう。


あらためて私が体験してきたアメリカを語ろう

2024-02-03 08:21:40 | コラム
アメリカとはこういう国だった:

こんにちまで私がアメリカ人の世界に入って20年以上も勤務して知り得た「アメリカとは」を色々な形で語ってきた。その内容は一般的に我が国に広まっている「アメリカとは」とは異なる点が多々あるので、信じ切って貰えていなかったと思っている。それは、高名な大学教授やジャーナリストや評論家が語らなかったような事柄が多かったからだと思う。

それは、あの方々は私のようにアメリカ人たちの中に入って、アメリカの為に働くとか、彼らの仲間としてというか、彼らの一員として勤務するというような形で外側からしかアメリカを見てこられなかったからではないかと考えている。私はインサイダーとして経験したし観察してきたのだ。

私は1994年1月末でリタイアする前までは、時には「もしかして、引退後も十分な収入があり、豊富な蓄えさえ出来ていて、アメリカ市民権が取れるのならば、このままこの国で暮らす方が気楽ではないか」と考えた事もあった。

アメリカの何処が良いかと言って「全てが個人の主体性が基本」だから、周囲に気を遣う必要がなく、他人が干渉してくる事が先ずないのが、我が国とは異なる点で気楽なのです。その辺りは2021年にノーベル賞を受賞された眞鍋淑郎博士が言われた、

>「日本人は調和を重んじる。イエスがイエスを意味せず、常に相手を傷つけないよう、周りがどう考えるかを気にする。アメリカでは、他人にどう思われるかを気にせず好きなことができる。私は私のしたいことをしたい」

に非常に良く表されていると思う。「同調圧力」などないというか、そういう気風は非常に希薄なのだと思う。

だが、私は実行しようとは全く考えていなかった。理由は簡単で、私にはそんな資金力も蓄えもなかったし、第一にアメリカの生活には欠くべからざる自動車の運転の仕方を知らない(出来ないのではない)からだった。

次には繰り返して語ってきた「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い」に触れておこう。言うなれば「会社」と“company”は我が国で認識されているよりも遙かに違うという事。何処がどのように違うかの例をいくつか挙げてみよう。

アメリカのある程度以上の規模の会社では「4年制大学の新卒者を定期採用する事はない」のだし「年功序列で昇進し昇給する事もない」のだし「社員から取締役に任じられる事もない」のだし「本社機構と地方の工場は別組織で、工場で採用された者が本社機構に組み込まれてくる事などは極めて例外的である」のだ。給与も「本給一本だけで、役職等の諸手当はない」と思っていれば良いだろう。

そこでは「地位と肩書き」(=rank and title)は我が国とは異なって別物で、マネージャーと名刺にあっても、それは単に肩書きであり地位を示すものではないのが一般的なので、役職手当など支給されない。それもそのはずで「年俸」で契約しているのだから、年の途中でマネージャーの肩書きを貰っても年俸の増額はないのである。

ボーナスも我が国の方式とは大違いで、マネージャーの肩書きを貰えるまでの実績を残して、初めて社長が指名するボーナスを貰えるクラブに入れる資格を得られるのだ。私は本部勤務ではなかったのでクラブには入っていなかったので、その金額がどれ程か知る由もなかったが、そこまで昇進している本部の管理職の者たちは優雅だった。

例えば、子供たちを授業料をも含めて年間1,500万円もの学費がかかる有名私立大学に大学院まで2人送り込んでもビクともしていないし、勤務地周辺の最高の住宅地に立派な家を持ち、中にはキャビンクルーザーを持っていて週末のクルージングを楽しんでいたりする者もいた。年に一度のボーナスだって「今年は副社長兼事業部長が部門統括のEVPと不仲になった為に、3万ドルと従来の半分以下に減らされた」とぼやく者がいた事が示す程貰えていたようだった。

兎に角、何が何でも勤務する(採用される機会があれば)「寄らば大樹の陰」なのである。それも新卒からではなく、job型雇用の中途採用に機会を巧く捉えられればの話だ。仮令格下とされている州立大出身だろうと、上場企業の本社組織に職を得て、恙なく仕事をすれば、昇給も昇進にも限界があるとは言え、リタイア後も不安なく暮らせるのがアメリカの企業社会なのである。

その世界で支配階層にまで上がっていく為には、上記のような高額な学費がかかる私立大学に進学できて、しかもMBAを取得するのが、ある程度の企業で生き残る為の必須の学歴になっているのだ。要するに、裕福な家庭に生まれ、有名私立大学に進学で来るような学力がない事には、支配階層の仲間入りが出来ない仕組みになってしまっているのだ。

だが、海外にいては、そういう貧富と学歴による強烈な差別があって不公平な国だとは容易には知り得ないし解らないので、この世の楽園に見えるアメリカに行こう、自由競争の世界で立身出世しようとの夢と希望を抱いてアメリカに渡っていく人たちが出てしまうのだと思って見てきた。

度々引用する技術サービスマネージャーは地方の工場で、言わば「地方技師」で現地採用されたのだった。彼は裕福な家の子弟でもなく、州立の大学の四大出身だった。それでも、同じ州立大学の四大出の副社長に才能を見出されて管理職になれたし、遂には工場での現地採用という一生浮かばれない低い身分から、本部のマネージャーに採用されたのだった。これなどは例外中の例外的出世なのだ。

副社長も上記のようにMBAでなくても地方の工場での現地採用から、本部長に希有の才能を買われて本社機構に転進できた例外的な存在。ここで注目して貰いたい事は「我が国とは全く異なっていて、同期入社や同じ課や部内の者たちと昇進/昇給の競争をする事はなく、人事等全権を持つ事業部長に評価されるか否かかが運命の分かれ道であるという点だ。団体の中で抜きん出るのではなく、個人として認められるか否かなのである。

アメリカのように大きな内需に支えられた国では輸出に対する依存度が高くないのだ。ウエアーハウザーのよう立地条件を抱えた会社だから輸出に注力していても、対日輸出を担当する部署にでも採用されない限り、海外出張の機会は滅多に回ってこないのである。要するに、海外の市場に関心を持つ者などは極めて少ないのだ。(だから、トランプ前大統領は輸出入の分野をご存じなかったのには何の不思議もない)

企業社会、弁護士、医師というような高い学歴を必要とする世界には、自ずと裕福な家庭の頭脳明晰な者が多くなっているのだ。私は論旨の飛躍はあるかも知れないが「そうではない階層に生まれた人たちの中から芸人、スポーツ選手、ミュージシャン、料理人、中小企業の社員、小売店の従業員等々が出るのだ」と見ている。

換言すれば外国から希望を抱いてアメリカに留学しても、外国人が大手企業に職を得ても、容易に責任ある地位にまで上がれるとは思えないのである。また、外国人が高額の年俸を取れて、優雅な生活が出来る地位にまで昇進できる可能性は高くないと思う。我が友のYM氏や、優雅に隠退生活を楽しんでいるSM氏などは、矢張り例外であろう。

なお、今更回顧すれば「私は外国人でありMBAではなくて、40歳を過ぎてから大企業に入っていったのは『肩書き(title)は与えられても地位(rank)の垂直上昇はない世界だと承知でくるのなら、どうぞ』という世界だった」と学習したのだ。アメリカは「個人が主体であるから周囲に気を遣わずに済むし、出世競争ではなくて、如何にして馘首される事なく、自分から身を引く(リタイアする)まで、自分本位で懸命に働けば良い」という世界だった。