新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月28日 その2 「我が国のスポーツ界の後進性を嘆く」の訂正版

2023-07-28 13:10:19 | コラム
頭に死球を受けた青木宣親を担架で運んだ:

ヤクルトの青木宣親選手が広島の栗林投手の速球を頭に受けて転倒する場面をYouTubeで見て、その対応というか処置が余りにも非科学的で非近代的だったのには怒りすら感じていた。この一昨日の試合はテレビ中継もなく、死球のこともマスコミが大きく伝えていなかったので知らなかった。

画面では青木選手は倒れたきりで立ち上がらず、僅かに手を振っているところは見えた。脳震盪かまたは何か重傷であったかどうかよりも、頭部に当たったことは重大な生命に関わる危険もある事故なのだ。問題としたい点は下記のように多々ある。青木宣親選手の無事を祈っている。

頭部の損傷:
先ずは「頭というか脳に損傷があれば生死の問題になるという事が、未だに認識できていないこと」は深刻な問題なのだ。これは何も野球界だけの現象ではない。もしかすると「一寸くらいの怪我で狼狽えるな。根性でいけ」などという気風が未だ残っているかも知れないと疑っている。絶対にそうであってはならない。

頭に何か当たったか衝突があった場合の取り扱いは、慎重の上にも慎重であるべきなのだ。あの場で集まった者たちは「無闇に動かしてはならないことが解っていないようだ」と、常識と認識不足を嘆いていた。あの場に白衣の医師の姿が見えなかったのには、怒る前に情けなかった。

施設の不備:
次は「球場/競技場の医療態勢の驚くべき不備な点」である。これまでに何度も指摘したが「救援投手を自動車で連れてくることよりも、負傷者を安全に場内の医務室に搬送するように、最低でもストレッチャーかカートを用意しておくべき」であるのだ。ストレッチャーであれば、救急車にそのまま乗せられるではないか。

だが、サッカーでもラグビーでも審判員が要請するのは人力で運ぶ担架である。

重ねて言うが、特に頭の損傷があるのではと懸念した場合の処置は「動かしても良いか」と、臨場した医師の判断を仰ぐべき性質なのだ。

あの場面には白衣を着用した人の姿は見えなかった。そして、やおら現れたのが担架であり「せーの」で青木選手を人の手で持ち上げてベンチの中に消えていった。恐るべき無神経さではないか。動かしても良いかの判断もないままに、揺れているだろう担架とは、論評の限りではない。まさか、青木選手が「大丈夫」とでも言ったのかとすら疑いたくなった。

アメリカでは:
アメリカの例を挙げて、遺憾ながら非科学的で非近代的な我が国の施設の問題点を挙げておこう。それは「アメリカでは外科医だけの駐在ではなく内科医も準備してあることもあると聞いている。当然のことでX線撮影の機器は据え付けてある。内科医は何も選手だけではなく観客も発症する危険性もあるからだと聞いた。

細かい理屈を言えば、外科医よりも整形外科医の方が必要かも知れない。自動車かストレッチャーによる搬送だが、NFLの試合を見ていれば「何が必要であるか」は解ると思う。それくらいの投資を惜しむなということ。ストレッチャーか自動車にすれば、担架を運ぶ数名の人員は合理化できるだろう。予算の使い方を誤っている。

何で陸上競技用のトラックを設けるのか:
上記の問題と直接の関係がない疑問点も挙げておこう。それは、今や少し理解が進んで秩父宮ラグビー場や幾つかのサッカー専用の競技場にように「陸上競技用のトラックが設けられていない」例もある。

だが、あの何とか言う建築か設計した国立競技場のように、オリンピックのためのトラックを設け、終わったら外すはずだったものが予算の関係とやらで残されてしまった。あれがあると「サッカーやラグビーやフットボールは遙か彼方で競技が進み、観客にはよく見えなくなるのだ。

ところが、施設を造る側の役所や地方自治体は良く分かっていないようで、偶にしか使わないトラック種目の大会のためにあれを付けてしまうのだ。そうすることで、観客にとって見にくい競技場になるとは理解していないのだ。困ったことだ。

だが、「予算が云々」と言い出されれば、中々抵抗できないことのようだ。要するに「何かの専用競技場であってはいけない」というような判断が働くらしい。「ものを知らない連中だな」と何時もウンザリさせられている。


我が国のスポーツ界の後進性を嘆く

2023-07-28 07:38:06 | コラム
頭に死球を受けた青木宣親を担架で運んだ:

ヤクルトの青木宣親選手が広島の栗林投手の速球を頭に受けて転倒する場面をYouTubeで見て、その対応というか処置が余りにも非科学的で非近代的だったのには怒りすら感じていた。この一昨日の試合はテレビ中継もなく、死球のこともマスコミが大きく伝えていなかったので知らなかった。

画面では青木選手は倒れたきりで立ち上がらず、僅かに手を振っているところは見えた。重傷であったかどうかよりも、頭部に当たったことは重大な問題なのである。問題としたい点は下記のように多々ある。青木宣親選手の無事を祈っている。

頭部の損傷:
先ずは「頭という可能に損傷があれば生死の問題になるという事が、未だに認識できていないこと」は深刻な問題なのだ。これは何も野球界だけの現象ではない。もしかすると「一寸くらいの怪我で狼狽えるな。根性でいけ」などという気風が未だ残っているかも知れないと疑っている。絶対にそうであってはならない。

取り扱いは慎重の上にも慎重であるべきなのだ。あの場では「解っていないようだ」と、常識と認識不足を嘆いていた。あの場に白衣の医師の姿が見えなかったのには、怒る前に情けなかった。

施設の不備:
次は「球場/競技場の医療態勢の驚くべき不備な点」である。これまでに何度も指摘したが「救援投手を自動車で連れてくることよりも、負傷者を安全に場内の医務室に搬送するように、最低でもカートを用意しておくべき」であるのだ。だが、サッカーでもラグビーでも審判員が要請するのは人力で運ぶ担架である。

重ねて言うが、特に頭の損傷はあるべき形は「動かしても良いか」と、臨場した医師の判断を仰ぐべき性質なのだ。

あの場面には白衣を着用した人の姿は見えなかった。そして、やおら現れたのが担架であり「せーの」で青木選手を人の手で持ち上げてベンチの中に消えていった。恐るべき無神経さではないか。動かしてよいかの判断もないままに、揺れているだろう担架とは、論評の限りではない。まさか、青木選手が「大丈夫」とでも言ったのかとすら疑いたくなった。

アメリカでは:
アメリカの例を挙げて、遺憾ながら非科学的で非近代的な我が国の施設の問題点を挙げておこう。それは「アメリカでは外科医だけの駐在ではなく内科医も準備してあることもあると聞いている。当然のことでX線撮影の機器は据え付けてある。それは、何も選手だけではなく観客も発症する危険性もあるからだと聞いた。

細かい理屈を言えば外科医よりも整形外科医の方が必要かも知れない。自動車かカートによる搬送だが、NFLの試合を見ていれば「何が必要であるか」は解ると思う。それくらいの投資を惜しむなということ。カートか自動車にすれば、担架を運ぶ数名の人員は合理化できるだろう。予算の使い方を誤っている。

何で陸上競技用のトラックを設けるのか:
上記の問題と直接の関係がない疑問点も挙げておこう。それは、今や少し理解が進んで秩父宮ラグビー場や幾つかのサッカー専用の競技場にように「陸上競技用のトラックが設けられていない」例もある。だが、あの何とか言う建築か設計した国立競技場のように、オリンピックのためのトラックを設け、終わったら外すはずだったものが予算の関係とやらで残されてしまった。あれがあると「サッカーやラグビーは遙か彼方で競技が進み、観客にはよく見えなくなるのだ。

ところが、施設を造る側の役所や地方自治体は良く分かっていないようで、偶にしか使わないトラック種目の大会のためにあれを付けてしまうのだ。そうすることで、観客にとって不便で見にくい競技場になるとは理解していないのだ。困ったことだ。だが、「予算が云々」と言い出されれば、中々抵抗できないことのようだ。要するに「何かの専用競技場であってはいけない」というような判断が働くらしい。「ものを知らない連中だな」と何時もウンザリさせられている。