新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日米文化比較論

2015-05-01 10:16:33 | コラム
総理の演説は文化の相違を乗り越えた立派な演説だった:

昨30日は午前中から退院以後最長の約4時間の外出で昨年末以降の2度の入院中に体重が約6 kgも減少し丁度良い胴回りの普段履きのズボンがなくなり、止むを得ず目下お買い得価格でチノパンを売り出しているかの有名なる柳井某の新宿駅西口の店に。裾上げの90分間の待ち時間に4ヶ月振りにデパートの売り場を見学し、昼食は昨年12月30以来丁度4ヶ月振りに家内と減塩食ではない外食。

帰宅して佐藤氏が送ってくれた総理の演説の録音を聞いた。確かにどこかの局が採り上げたいたように総理は何度も冗句を挟んでおられた。これはアメリカの文化では何ら不謹慎ではない。彼等の間ではユーモアは必須であり、そうしないことには聴衆に興味を持って貰えないし、また彼等の集中力の維持を図るためにはごく普通の手段なのである。即ち、文化の違いの典型的な一例。

総理の側近か外務省がこの点を心得ていて、あれほど頻繁に冗句を盛り込んだのであったら、少なくとも私はこれまでの外務省批判を撤回せねばなるまい。また、側近の何方かが提案したのだったならば、総理は良い人選をしておられたことになると思う。私は総理の英語を批評するのは不適切だ思っているので何も触れい。

但し、時と場合によってはその冗談の質も問われることがあるので、余程英語というかアメリカのjokeというかユーモアとは如何なるものかを熟知している練達熟練のスピーチ・ライターが原稿を纏めておかないと、冗談が逆効果になる危険性があるのは言うまでもないこと。

私が1972年に最初に転身したM社のパルプ部の1974年度のDivision meetingはフロリダの有名な大クラブ、Ponte Vedraの半分以上を借り切って開催された。これには全世界の代理店も参加していましたし、オウナー兼副社長と社長も出席した。その開会の辞を述べた事業部長はいきなり猥談から入りユーモアに溢れた落ちで全員が拍手喝采。未だアメリカのユーモアに不馴れだった私は度肝を抜かれたものだった。

私が1988年に参加したW社本社で開催されたセミナーでは、講師の質問に答える時でも冗談が入るのは当たり前で、それが受けない場合には出席者全員に$1の罰金をその場で渡さねばならぬルールがあった。しかも”Joke of the day”という制度まであって、当日最高と評価された冗句には賞品が出た、集められた罰金の中から。

これがアメリカの企業社会の文化であり、その感覚が国会まででもそれが通用すると承知していた人が総理の周囲にられたようで、私は安心させられたし、その方々に敬意を表するに吝かではない。

総理の演説には既に中・韓の両国から雑音が出ているのは想定内だっただろうが、最も怪しからんのかカリフォルニア州選出の下院議員のマイク・ホンダだ。彼には”Shame on you!”とでも言ってやりたい。しかし、経験上言えるが、遺憾ながらアメリカに移民したアジア人の中で最も早く祖国の”identity”を捨て去るのが日系人だと思う。彼等は直ぐに日本語が話せなくなる。

マイク・ホンダは三世とあっては仕方がないかとも思うが、不愉快である。29日のフジテレビの夕方のニュースに登場した元WP極東支配人だった学習院女子大の石崎某氏は「ホンダの選挙区にはアジア系が30%もいて、彼は中国系に支援された対抗馬を韓国系に支えられて退けたので、総理がXX婦問題に関して何も言われなかったことを批判するのは仕方ないだろう」と指摘していた。

私も2009年と2011年にカリフォルニア州に行っているが、帰国後の旅行記に「これから先にカリフォルニア州に旅に出掛けられる方は英語よりも韓国語とスペイン語を覚えて置かれた方が便利かも知れない」と書いたほど所謂(最早少数ではない)週数民族が圧倒的に多いのだ。

本題からは外れるが、我が友人のSM氏の家庭では3人のお子さんたちは何の不自由もなく家では日本語で会話をしている。そういう日系人もいるのだ。また2010年にローズ・ボウル観戦の際に知り合った「ベニハナ・オブ・トーキョー」をロッキー・アオキとともにNYで創業したフルタ氏のお孫さんは、日系人とは思えない日本語を話す能力があって、Citibankの東京勤務。このように日本人の魂を失っていない日系人もいるのだ。