♦️589『自然と人間の歴史・世界篇』フルシチョフ失脚とコスイギン経済改革

2017-09-28 10:12:21 | Weblog

589『自然と人間の歴史・世界篇』フルシチョフ失脚とコスイギン経済改革

 1964年10月、第一書記で首相のフルシチョフが失脚した。彼の党第1書記からの事実上の解任は、それについて書かれた色んな史料を当たると、およそつぎのような模様であったらしい。10月12日、休暇中の彼を出し抜いた形で、党中央委員会幹部会が開催され、二つの決定事項があった。一つは、農業問題に関する討議の必要などを話してフルシチョフをこの場に呼び出すこと、今ひとつは同時にモスクワに党共産党中央委員とその候補などを招集することだった。翌13日から14日にかけて、保養先からモスクワに呼び戻されたフルシチョフを入れて党中央委員会幹部会が開催される。そこで、バトルが始まる。その中で、ブレジネフなどはフルシチョフの下で行われてきた経済改革の遅れ、集団指導違反などを理由に批判を彼に集中する。
 最後にはブレジネフがフルシチョフの党第1書記職を解任する動議を出したときには、誰一人これに反対する委員はいない。そこで、フルシチョフをして「闘うつもりはない」と全ポストから勇退させることに成功し、その党内手続として予定どおり、この席でフルシチョフ辞任問題で緊急の中央委員会総会を招集することが決定される。続く14日、ソ連共産党中央委員会の場で、フルシチョフの辞任は満場一致で採択された。要するに、フルシチョフに受けて立つだけの余裕を与えなかったのではないか、そうであるなら、まさに仕組まれた辞任劇であった訳なのだ。
 1966年の第23回共産党大会において、ブレジネフはソ連共産党書記長の肩書きをもって登場する。それより先の1965年5月の戦勝記念日の基調報告で、彼は「国防委員会の長であった党書記長」のスターリンの業績を激賞したことは、フルシチョフ失脚の背後に誰がいたのかを内外に知らせた。
 明けて1965年からは、コスイギン首相が中心となって経済改革を進める。ただし、ブレジネフと保守派の目の光っているところでの、実践であったことに留意されたい。その際、理論的な後ろ盾となったのが企業経営への利潤指標の導入であった。企業による成功指標を利潤と関係させることを説いた経済学者リーベルマンらを登場させたのが1962年9月9日付け「プラウダ」における彼の論文「計画・利潤・報奨金」の紹介であった。この論文は、中央集権的計画化を緩和し、企業の自主的決定の権限を拡大し、「計画標準収益率指標」、すなわち利潤率を企業活動の評価基準とすることを勧告したものである。
 これを皮切りに、政府による、企業の独立採算・経済自主性を与える経済改革(新工業管理方式)が準備されていく。1965年9月の共産党中央委員会総会で、コスイギン首相が行った報告「工業管理の改良、工業生産の計画化の改善と経済的刺激の強化について」は、工業企業に対する新しい管理が必要となっていることをさらけ出した形だ。それからは、企業の法的地位、権限を明確にしたところの「社会主義国営生産企業規程」がつくられ、1966~1967年には新制度の下での企業の計画化、運営の方法を規程した国家計画委員会(ゴスプラン)の実施要領と、それに基づく「指示」「標準規程」の類いが定められた。また、1967年、工業のための新しい「技術生産財務計画」の構成が明らかにされるととともに、卸売物価の改訂がなされていく。
 こうした資源配分上の欠陥は、技術水準が低く、産業連関もさほど複雑でない時期にはさほどの問題とはならず、むしろ集中生産によるメリットの方が強調された時期もあり、国民経済にとって致命的なものにならずに容認されてきたのであるが、経済規模が膨れ上がり、産業連関も複雑になってきた1950年代末からは何らかの手だてを早急に実施しなければならなくなる。果たしてこれらに必要な技術はどのくらい発達していたかはよくわからない。この問題の処理に関して必要とされる一定の手順とは、まずモニタリング(計測)、アセスメント(評価)、コントロール(管理政策)となるのだが、それには、すべての原因と考えられる要因を検証しなければならない。
 この一連の改革は別名「コスイギン改革」と呼ばれているが、成果と挫折が相半ばしつつ続けられていき、1967年からはペースダウンしていく。そもそも、企業への自主性の付与、賃金、ボーナスなどの提案は、一方で経済における国家と政府の集権的統制、ひいては共産党支配を弱める行為でもあり、ブレジネフはこれに乗り気でなかったのではないか、とも言われる。第9次5か年計画では、国民所得の37%から40%増加、工業生産高の42%から46%増加、農業生産の20%から22%増加が見込まれていた。結果としては、期間中、工業生産高は43%、うち生産財46%、消費財は37%増加。これらのうち、農業生産目標については達成できなかった。要するに、期間中の国民経済活動効率指標の達成は、はかばかしいものではなかったらしい。社会的労働生産性の伸び率は3分の2に低下した。鳴り物入りの改革にも関わらず、コスト削減ははかどらなかったのだ。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


コメントを投稿