◻️232の8『岡山の今昔』岡山人(20世紀、柚木久太)

2019-09-23 10:17:58 | Weblog
232の8『岡山の今昔』岡山人(20世紀、柚木久太)

 柚木久太(ゆずきひさた、1885~1970)は、洋画家。玉島(現在の倉敷市玉島)で生れる。父は玉邨と号す南画家であり、幼い頃から、絵の手解きを受けていたのではないか。
 県立岡山中学校(現在の朝日高校)に入る。卒業すると、明治39年満谷国四郎の門に入る。翌年から太平洋画会研究所に属す。一方では、東京美術学校の聴講生となる。
 1911年(明治44年)に開催の第5回文展に出品すると、「鞆津(ともつ)の朝」が入選する。
 同年フランスに留学、アカデミイ・ジュリアンでジャン・ポール・ローランスに学ぶ。
 大正4年には、帰国する。以後、文展や帝展に出品をつづける。1927年(昭和3年)には、帝展審査員となる。戦争中の空襲により、東京・田無のアトリエが焼け、かなりの作品を失う。
 戦後の作品では、伸びやかな画風に磨きがかかる。「湖雲一帯」には、雄大な自然に流れる時間を感じさせる。その画業のかたわら、晩年は日展評議員、参与をつとめる。

(続く)

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