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♦️876『自然と人間の歴史・世界編』エジプト(1990~2018)

2018-10-16 21:29:14 | Weblog

876『自然と人間の歴史・世界編』エジプト(1990~2018)

 エジプトにおいては、2011年2月の「アラブの春」によりムバラク大統領が辞任を余儀なくされた。長期政権の終わりとなり、自由を叫ぶ民衆には高揚感があった。

2012年6月に行われた大統領選挙では、イスラム組織「ムスリム同胞団」出身のムルシが新大統領に当選する。就任するや、彼は宗教色を強める方向へと動いていく。8月、そのムルシ大統領がタンタウ国防相を解任し、シーシを指名する。

2013年6月、反ムルシ派の大規模なデモが起きる。これを利用して、軍がムルシを大統領職からおろし、イスラム色の強い政権は崩壊する。暫定内閣が組閣となる。ムルシの勢力は排除された。8月には、治安部隊がムルシ派のデモを排除し、多くの死傷者が出る。

2014年6月には、軍のシが大統領に就任する。2016年4月、紅海にあるチラン、サナフィルの2つの島がサウジアラビアに帰属するという内容でサウジ政府と合意する。12月には、カイロのコプト教会で爆発が起き、ISが犯行声明を発す。

2016年の8月には、IMF(国際通貨基金)から3年間で計120憶ドルの融資を受けることで合意をとりつけたという。11月には、通貨のエジプトポンドの固定相場制を変動相場制に改めた。ところが、通貨の価値は、2018年3月の時点では、ドルの半分以下になっているとされるのだが。2017年の物価上昇率が高いのには、通貨減価による輸入価格の上昇も寄与しているのではあるまいか。

2017年4月には、アレクサンドリアなどコブト教会で連続爆破事件が起き、ISが犯行声明を行う。エジプト政府は、全土に国家非常事態を敷く。5月、中部のミニヤ県でコブト教徒をせたバスが襲撃を受け、ISが犯行声明を発す。11月には、シナイ半島のモスクがテロ攻撃を受け。300人以上が死傷する。

(続く)


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♦️882の2『自然と人間の歴史・世界篇』シリア内戦(2017~2018現在)

2018-10-16 18:52:23 | Weblog

882の2『自然と人間の歴史・世界篇』シリア内戦(2017~2018現在)

 国連人道問題調整事務所の2017年1月時点の報告によると、2011年3月以降、シリアでは死者約25万人、負傷者は100万人を超過している。国外へ逃れた人々は490万人、国内避難民は650万人に上る。また、シリア国内では1350万人が人道支援を必要としている旨。
 2017年2月には、国連安保理がアサド政権の化学兵器使用に対する制裁決議案なるものを採決に持ち込むが、ロシアと中国が拒否権を行使して不成立となる。そのロシアは、2015年9月に、アサド政権を支援するために大規模な軍事介入に踏み切っていた。
 2017年4月、シリア北西部のイドリブ県で空爆がある。住民80人以上が死亡したと伝えられる。「政権軍が化学兵器使用」と反体制派が非難、アメリカも、化学兵器使用とみられると発表する。シリアのアサド政権は、そんなことはやっていないと否定する。これに対し、アメリカが、地中海に展開の空母からシリアに数十発の巡航ミサイルを発射する。政権軍の空軍施設などを狙った。
 6月には、OPCW(化学兵器禁止機関)がイドリブ県で使われたのは猛毒のサリンを用いた化学兵器であったとの見解を調査報告書にして発表するも、使用者は特定しなかった。7月には、イラクのアバディ首相がモスルの対IS作戦で勝利宣言を行う。
 この年の2017年10月になると、アメリカ軍が支援するクルド系のシリア民主軍(SDF、「人民防衛隊(YPG)」。後者はクルド人主体の連合部隊)が、ISの首都とされる北部の都市ラッカの解放を宣言する。ここにSDFとは、ISの掃討作戦を行ってきた少数民族クルド人勢力中心の部隊であり、自らの大義のため命を惜しまず、頑強に戦うことで知られる。
 追い出された側のISは2014年にラッカを占拠し、一方的に「首都」と宣言し、以来、この地を死守してきたのだが、ついに落城となった。
 SDFは米軍の支援を受け、2017年6月から市内で軍事作戦を展開していた。激しい戦闘により、推計3000人もの兵士が死亡したとされる。SDFは17日に大規模な戦闘の終結を宣言し、残る戦闘員の掃討や地雷除去などを行ってきた。SDFは、ラッカは「地方分権が進んだ民主的なシリア」の一部を構成するとして、シリア北部に広がるクルドの勢力圏に組み込みたい考えをにじませている。より俯瞰して言うと、ISから街を奪還したことで、クルド人自身による国づくりを視野に入れたい。11月になると、政府軍が反体制派拠点の東グータ地区への攻撃を開始する。

 そして迎えた2017年12月、ロシアのプーチン大統領が、シリアからのロシア軍の撤退開始を命令する。同12月時点のダマスカスと周辺の支配図(12月22日付け毎日新聞)によると、市の北東部の一角を反体制派が占め、旧市街の南にあるスペイナ地区には、反体制派地域とIS地域が混在する。アサド政権が全体的に優勢であるものの、反政府勢力との和平の見込みは立っていないし、ISの抵抗も散発的だが残っている。
 この2017年12月の時点で、「これまでに40マン人以上が命を奪われ、内戦前の人口約2200マン人の半数以上が家を追われた」(朝日新聞、2017年12月19日付け)ともいわれる。

 2018年1月、アメリカのティラーソン国務長官が、IS掃討後もアメリカ軍のシリア駐留を継続する考えを示す。同月、隣国トルコの政府軍と反体制派が、YPG支配下のアフリンに越境作戦を行う。2月、シリア首都ダマスカス近郊(約10キロメートル東にある農業地帯)の反体制派支配地域「東グータ地区」をアサド政権軍が攻撃する。これにより、反体制派の在英NGO「シリア人権監視団」によると、18日から22日朝までに少なくとも市民335人が死亡、1700人以上が負傷したと発表される。
 また、2月21日のシリアの少数民族クルド人勢力主体の武装組織「シリア民主軍」(SDF)は、同組織が支援を受けるアサド政権側の民兵部隊が、シリア北西部アフリンにおいてトルコ軍による砲撃を受けたと発表する。これに対しドルコの大統領報道官は、「政権軍であろうが別の部隊であろうが、クルド人に加勢する者は重大な結果を被る」と警告する。
 2018年4月3日、アメリカのトランプ大統領がアメリカ軍のシリアからの早期撤収につき、「すぐに判断する。撤収させたい」と表明する。4月7日、東グータ地区とドゥーマ地区へ空爆が行われる。救助組織などは、49人の住民が呼吸困難の症状で死亡、化学兵器が使われたのではないかと指摘した。10日、国連安保理において、化学兵器使用の調査チーム設立案を採決したところ、ロシアが拒否権を行使して廃案となる。13日、これをアサド政権側が仕掛けたと判断したアメリカ、イギリス、フランスの軍による、シリア政府軍軍事施設へのミサイル攻撃が1回にかぎり実施された。
 4月14日には、政府軍が反政府派の拠点東グータ地区を制圧したと宣言する。


(続く)

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♦️882の1『自然と人間の歴史・世界篇』シリア内戦(2011~2016)

2018-10-16 18:51:26 | Weblog

8821『自然と人間の歴史・世界篇』シリア内戦(2011~2016)

 シリアは、北をトルコ、西を地中海とイスラエル、南をヨルダン、東をイラクと接する。宗教面では、首都ダマスカスの旧市街には、715年に完成の世界最古のモスク(イスラム教礼拝所)があり、イスラムの聖地の一つでもある。ゆえに、ここでの政治情勢の変化はとたんに近隣諸国に影響を及ぼす。
 このシリアでの内戦は、2011年に始まる。まずは、これより前の2010年12月、チュニジアで反政府デモが起こる。これが中東各地に広がり、「アラブの春」と呼ばれる。その本質は民主化運動だといえよう。
 その波はシリアにも及び、2011年2月にダルアーで小規模な反政府デモが起こると、3月には、各地で小規模な反政府デモが開始される。国内各地に政権打倒を叫ぶ大規模デモが広がっていく。やがて、民主化運動は内戦へと変化していく。

5月には、デモ参加者がアサド政権の武力弾圧に抵抗して武装を開始する。内戦は、かたや政府軍に対し、反政府勢力(「自由シリア軍」)というのが主な構図だが、その他多くの武装勢力も参加していく。それらの対立によって泥沼化していく。
 明けて2012年7月、北部の都市アレッポでアサド政権と反体制派の戦闘が本格化する。なお、アレッポは首都ダマスカスに次ぐシリア第二の都市で、内戦前は約300万人の人口で商工業の中心。紀元前から、地中海世界とメソポタミア地方を結ぶ交易中継地として栄えてきた。
 2013年8月、首都ダマスクスの近郊の東ゴータ地区にて、反体制派が「政府軍の猛毒ガスで1350人が死亡」と発表する。ダマスカス近郊でアサド政権軍による化学兵器使用が取り沙汰されたのだ。アメリカのオバマ大統領が、アサド政権の化学兵器使用でシリアへの限定的軍事介入を表明する。
 9月には、アメリカとロシアとがシリアの化学兵器を国際管理下におくことで合意し、アメリカのオバマ大統領はシリアへの軍事介入を見送る。
 2014年1月、国連の仲介で、反体制派と政権側との和平協議が開始される。6月、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」(IS)が、北部モスルを制圧し、その北部の都市ラッカを首都とする国家樹立を宣言する。この同じ月、アサド政権が保有しているとみられる化学兵器の原料となる物質につき、化学兵器禁止機関(OPCW)が国外搬出を終えたと発表する。9月には、アメリカ軍を中心とする「有志連合」の軍が、がシリアのIS拠点への空爆を開始する。

2015年5月、ISが国連・世界遺産のあるパルミラを制圧する。春の時点で、反体制派がイドリブ県の大半を制圧する。9月には、アサド政権を支援するロシアが、シリアのIS、反体制派の両方への空爆を開始する。

 2016年2月、政権側と主要反体制派が停戦に合意する。しかし、その後停戦が崩壊。8月、国連が2014年4月と2015年3月における、アサド政権によるシリア北西部イドリブ県の反体制派拠点への化学兵器の使用を裏付けるとした、調査報告書を発表する。
 2016年12月、アサド政権・政府軍が反体制派の拠点アレッポを制圧、奪還する。ロシア・トルコ主導の停戦が全土で発効する。しかし、この間も戦闘は続く。つまりは、停戦は合意されたものの根本的な解決に向かって動くことなくいるうちに、その合意は順守されることなく、戦闘がぶり返している。

(続く)

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♦️882の3『自然と人間の歴史・世界篇』イラクとIS(2013~2018現在)

2018-10-16 10:44:08 | Weblog

882の3『自然と人間の歴史・世界篇』イラクとIS(2013~2018現在)

 2013年4月、イスラム過激派アルカイダのイラク支部のリーダーだったとみられるバグダディが、「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)の樹立を宣言する。国際社会では、「過激派組織「イスラム国」(IS)」と通称している。2014年1月、ISISはシリアでも反体制派・自由主義軍を破り、ラッカを占領する。6月になると、ISISはイラク北部のモスルにも攻略をはたする。そして迎えた6月29日、バグダディがカリフ制に基づく「イスラム国」の樹立を宣言する。

 2015年12月には、イラク軍がラマディを奪還する。これを契機に反転攻勢に打って出る。2016年6月26日、イラク軍がファルージャの解放を宣言する。2017年7月10日、シリアでクルド人勢力らの連合軍が、ISISが首都とするラッカを奪還する。

 2017年11月、イラクの隣国シリアのアサド政府軍は自国の東部でリゾール県のユーフラテス川の西側に位置する県都デリゾール、イラク国境のアブカマルなどIS拠点を制圧する。そして迎えた12月9日、イラクのアバディ首相が、イラクからのIS掃討作戦の官僚を宣言する。これより前の6日には、ロシアが「IS掃討の完了」を宣言していた。

 

(続く)

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♦️875『自然と人間の歴史・世界編』東欧(1990~2018)

2018-10-16 10:06:32 | Weblog

875『自然と人間の歴史・世界編』東欧(1990~2018)

 東欧諸国の中で、自称「自由化、民主化」の波になかなか乗れない国もある。まずは、ルーマニアの近現代史を紐解くと、1878年にオスマン帝国から独立を果たす。1881年、ドイツ出身のカロル1世が即位し、ルーマニア王国を名乗る。大戦後の1947年、王政は廃止され、社会主義体制をとる。1989年の自由を求める国民のデモの中で、チャウシェスクの率いる独裁政権が崩壊、民主化の波が主流となる。

 2004年には、決して、NATO(北大西洋条約機構)に加盟する。2007年には、ルーマニアはEU(欧州連合)に加盟する。 

(続く)

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♦️879『自然と人間の歴史・世界篇』朝鮮半島(1992~2018)

2018-10-16 09:51:09 | Weblog

879『自然と人間の歴史・世界篇』朝鮮半島(1992~2018)

 朝鮮半島は、朝鮮戦争での休戦ラインを挟んで北と南とで対峙する様になって以来、同じ朝鮮民族同士で軍事的ににらみあってきている。朝鮮民主主義人民共和国(「北朝鮮」という)は、南の大韓民国(「韓国」という)に長距離砲の軍門を並べでいる。南の方も、北に向かっての戦争に備えている。そして韓国軍の後には、在韓米軍が控えている。米韓は、自分達が取り組んでいるのは北の脅威に対抗しての共同防衛の陣を敷いているのだという。
 1992年、南北の間で非核化宣言がなされる。「核兵器の製造、保有、使用は行わない」とするもので、北朝鮮側のキム・イルソン主席が積極的役割を果たす。翌1993年、北朝鮮はNPT(核不拡散条約)からの脱退の意思を明らかにし、国連の安全保障理事会(「安保理」と通称)では、NPT(核拡散防止条約、1968年7月1日に発効)への復帰を要請する。1994年には、アメリカと北朝鮮の間で、核兵器開発の凍結と原子力発電所・軽水炉の提供についての合意が成ったものの、その後に話は破綻になってしまった。1998年には、北朝鮮が長距離弾道ミサイルのテポドンを発射した。
 北朝鮮に対する安保理による制裁決議の採択は度々にわたる。その理由とされる北朝鮮の軍事行動はだんだんと高度化していく。2000年には、アメリカのクリントン大統領が予定していた北朝鮮への訪問を諦める。2002年には、アメリカのブッシュ大統領が、北朝鮮などを「悪の枢軸」と発言する。2003年、北朝鮮がNPTからの脱退を再度宣言したことで、米朝の協議か暗礁に乗り上げた形になると、北朝鮮のさらなる軍事行動をくいとめるべく6か国(中国が議長で米韓日ロが参加)による協議が開始となる。
 2005年、北朝鮮が「自営のための核兵器製造」を表明する。これに対し、6か国協議による共同声明が出される、その中で核兵器の放棄と北朝鮮の不侵略で求める。同年、6か国協議がまとまり、北朝鮮のキム・ジョンイル総書記が「すべての核兵器と検討計画を放棄する」ことを表明する。
 2006年7月、北朝鮮は弾道ミサイル7発を撃ち、10月には1回目の核実験を行う。これを受けて国連安保理が動く。加盟国に北朝鮮への大型兵器や贅沢品の輸出禁止を求めることを決める。これが、安保理による北朝鮮への最初の制裁措置に踏み切った時であった。2009年6月、安保理において北朝鮮への制裁の拡大を打ち出す。具体的には、すべての武器の禁輸、制裁履行の監視強化の決定が行われた。こちらの制裁の原因となったのは、2006年10月の1回目の核実験(TNT火薬換算の規模は推定0.8キロ・トン、ちなみに広島に投下された原爆の規模は同15キロ・トン)、2009年5月の2回目の核実験(TNT火薬換算の規模は推定3~4キロ・トン)などであった。
 2012年4月には、国連安保理において、北朝鮮の核・ミサイル開発への議長声明が出される。2013年1月、ミサイル発射に関与した4個人6団体の資産凍結が行われる。制裁の原因となったのは、2012年12月には、弾道ミサイル・テポドン2改良型が発射された。そして2013年2月に北朝鮮が3回目の核実験(TNT火薬換算の規模は推定6~7キロ・トン)を行うと、国連の安保理は、3月にこれの制裁として核ミサイル関連貨物の検査を義務化する。この年、北朝鮮のキム・ジョンオン委員長は、「経済建設と核開発を同時に進める」との並進路線を表明する。
 2016年3月、北朝鮮からの鉱物資源の禁輸・制限措置が決定される。この制裁の原因となったのは、同年年1月の4回目の核実験(TNT火薬換算の規模は推定6キロ・トン)と弾道ミサイルの発射であった。続いての9月には、北朝鮮による5回目の核実験(TNT火薬換算の規模は推定10キロ・トン)があった。2016年11月、これらに反応した国連安保理が、それまで民生用に限り認めてきた北朝鮮からの石炭輸出に上限を設定する。
 2017年2月12日、北朝鮮は新型中距離ミサイル「北極星2」を発射する。3月6日、中距離「スカッドER」4発が発射される。5月14日、中距離「火星12」を発射した。21日には「北極星2」を発射、29日にもミサイルを発射する。6月、ミサイル開発に関与した14個人4団体の資産を凍結する。こちらは、5月に2回目の弾道ミサイルの連続発射があったことへの制裁措置となっている。
 さらに、7月4日と28日に大陸間弾道ミサイル(ICBM、「火星14」)発射がある。これに対し、8月の国連安保理で石炭や鉄鉱石それに海産物の同国からの輸出を例外なく禁止する措置(禁輸)を発表する。新規の北朝鮮労働者の受け入れ禁止も決めたのだといわれる。この場では、米国などが当初求めた軍事目的の石油の取引制限を主張したのであったが、これに穏健派の中国とロシアが反対したため、同決議には盛り込まれなかった。
 8月21日からは、米韓による共同軍事演習「乙支(ウルチ)フリーダム・ガーディアン」が始まった。この軍事演習においては、グアム島にいる米軍のB1戦略爆撃機が参加することも含まれるという。8月26日、短距離弾道ミサイル3発が発射される。続いて29日、弾道ミサイルが発射され、日本上空を通過し太平洋上に落ちた。グアム島のアメリカ軍基地に届く飛距離をねらっての発射だとみられる。
 これに対し、国連安保理の議長名で北朝鮮を非難する決議を出す。アメリカや日本が北朝鮮に対し石油禁輸も含めた最大限の対抗措置をとるよう働きかけ、中国とロシアは北朝鮮を挑発している米韓軍事演習の中止も求める。9月3日には、北朝鮮は6回目の核実験(TNT火薬換算の規模は日本政府の推定で70キロ・トンとも)を行い、これを「水爆」だと主張する。
 2018年に入ってからは、中国も入っての北朝鮮へのかつてない厳しい経済制裁が続く。そんな中、情勢を大きく変える動きがあった。北朝鮮のキム・ションオン委員長が、これまでの経緯から一転、韓国とアメリカへ向け、事態打開のための首脳会談を呼びかけたのだ。3月末には、彼は中国を急遽訪問し、交渉での後押しを頼んだとみられる。4月27日には、南北の首脳会談が行われた。
 これまでを振り返ると、21世紀に入ってからは、この両者の力関係に大いなる変化が認められる。その一つは、北朝鮮の核武装化がひとまず成功した、とみられることだ。大陸間弾道ミサイル(ICBM:intercontinental ballistic missile)の開発がかなり進んだことになっている。これには、隣国のロシアが開発をひとまず完了したとの確認情報を入れているところだ。
 今ひとつは、アメリカはアメリカ本土を攻撃できる兵器を認めたくない。一方、これを機に米軍と韓国軍との戦闘能力の一体化が進みつつある。こうなると、互いの非難合戦が果てしなく続くことになろう。互いにか、どちらかからか、この動きをとめないと事態はエスカレートしていくばかりであろうにと、世界の世論がこれを心配するのは当然のことだ。双方とも、このまま一触即発の事態となることを望んでいる訳はではあるまい。その先にあるのは戦争でしかない。そして戦争というものは、偶発的に起きることがあることから、互いの自制が求められる。
 国際的な核兵器の拡散が進む中、21世紀に入っての国対国での局地戦の特徴は、核兵器の使用が絡んでくることであろう。これには、通常兵器で武装した勢力が、原発など原子力施設の攻撃を計画する場合を含む。朝鮮半島の有事とて、その例外ではない。ちなみに、北朝鮮の核兵器の保有能力については、韓国側の現状認識として、例えば次の紹介記事がある。
 「韓国国防白書(2016年版)によれば、北朝鮮は兵器用プルトニウムを50キロ以上保有。北朝鮮の技術力があれば、プルトニウム4~6キロで核兵器1個を製造可能だとされる。高濃度ウラン型と合わせ、20年までに計50個の核弾頭を保有するとの指摘もある。化学兵器や生物兵器も保有する。」(朝日新聞、2017年4月16日付け)
 ついては、自国領土に飛来してくるICBMを撃墜できるかどうかであるが、現段階で確実なことは何も言えないという。迎撃をとる場合の技術面で最も難しいのは、当該弾道ミサイルの終末局面(ターミナルフェイズ・大気圏再突入から着弾期)なのだという。音速の20倍からの速度でほぼ垂直に落下してくる核弾頭を迎撃ミサイルでもって撃ち落とす実験を、アメリカ度々行っているという。

 とはいうものの、成功率は公式報道されているほどには、そう高くないのではないか。しかも、演習では、某かの情報が前もって知れている上、単独弾頭に対応して行うものであり、いわば「模擬実験」のようなものだ。これまでの迎撃システム・技術が、実戦で発射される場合の核弾頭の迎撃にどれほど役立つかは技術的に未知数であるとし、そうなると、先制攻撃への誘惑が出てくることになるだろう。
 これらから、今回の和平進展への転換が行われれば、政治的にも、軍事的にも、それから北朝鮮の経済困窮についても、何らかの改善が期待されるのである。

(続く)

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