goo blog サービス終了のお知らせ 

♦️882の1『自然と人間の歴史・世界篇』シリア内戦(2011~2016)

2018-10-16 18:51:26 | Weblog

8821『自然と人間の歴史・世界篇』シリア内戦(2011~2016)

 シリアは、北をトルコ、西を地中海とイスラエル、南をヨルダン、東をイラクと接する。宗教面では、首都ダマスカスの旧市街には、715年に完成の世界最古のモスク(イスラム教礼拝所)があり、イスラムの聖地の一つでもある。ゆえに、ここでの政治情勢の変化はとたんに近隣諸国に影響を及ぼす。
 このシリアでの内戦は、2011年に始まる。まずは、これより前の2010年12月、チュニジアで反政府デモが起こる。これが中東各地に広がり、「アラブの春」と呼ばれる。その本質は民主化運動だといえよう。
 その波はシリアにも及び、2011年2月にダルアーで小規模な反政府デモが起こると、3月には、各地で小規模な反政府デモが開始される。国内各地に政権打倒を叫ぶ大規模デモが広がっていく。やがて、民主化運動は内戦へと変化していく。

5月には、デモ参加者がアサド政権の武力弾圧に抵抗して武装を開始する。内戦は、かたや政府軍に対し、反政府勢力(「自由シリア軍」)というのが主な構図だが、その他多くの武装勢力も参加していく。それらの対立によって泥沼化していく。
 明けて2012年7月、北部の都市アレッポでアサド政権と反体制派の戦闘が本格化する。なお、アレッポは首都ダマスカスに次ぐシリア第二の都市で、内戦前は約300万人の人口で商工業の中心。紀元前から、地中海世界とメソポタミア地方を結ぶ交易中継地として栄えてきた。
 2013年8月、首都ダマスクスの近郊の東ゴータ地区にて、反体制派が「政府軍の猛毒ガスで1350人が死亡」と発表する。ダマスカス近郊でアサド政権軍による化学兵器使用が取り沙汰されたのだ。アメリカのオバマ大統領が、アサド政権の化学兵器使用でシリアへの限定的軍事介入を表明する。
 9月には、アメリカとロシアとがシリアの化学兵器を国際管理下におくことで合意し、アメリカのオバマ大統領はシリアへの軍事介入を見送る。
 2014年1月、国連の仲介で、反体制派と政権側との和平協議が開始される。6月、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」(IS)が、北部モスルを制圧し、その北部の都市ラッカを首都とする国家樹立を宣言する。この同じ月、アサド政権が保有しているとみられる化学兵器の原料となる物質につき、化学兵器禁止機関(OPCW)が国外搬出を終えたと発表する。9月には、アメリカ軍を中心とする「有志連合」の軍が、がシリアのIS拠点への空爆を開始する。

2015年5月、ISが国連・世界遺産のあるパルミラを制圧する。春の時点で、反体制派がイドリブ県の大半を制圧する。9月には、アサド政権を支援するロシアが、シリアのIS、反体制派の両方への空爆を開始する。

 2016年2月、政権側と主要反体制派が停戦に合意する。しかし、その後停戦が崩壊。8月、国連が2014年4月と2015年3月における、アサド政権によるシリア北西部イドリブ県の反体制派拠点への化学兵器の使用を裏付けるとした、調査報告書を発表する。
 2016年12月、アサド政権・政府軍が反体制派の拠点アレッポを制圧、奪還する。ロシア・トルコ主導の停戦が全土で発効する。しかし、この間も戦闘は続く。つまりは、停戦は合意されたものの根本的な解決に向かって動くことなくいるうちに、その合意は順守されることなく、戦闘がぶり返している。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。