♦️384『自然と人間の歴史・世界篇』フォービズム(マティスなど)

2018-10-29 21:22:32 | Weblog

384『自然と人間の歴史・世界篇』フォービズム(マティスなど)

 絵画の世界でフォービズム(野獣派)という名の由来は、いささか変わっていた。時は20世紀初頭の1905年、パリで催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された絵のうち、アンリ・マティス(1869~1954)、ドラン、ヴラマンテ、マメケの絵が一堂に集められていた。それらを観賞した美術批評家の弁に、まるで「野獣のようだ」という意味の言葉があったのだという。
 なにしろ、彼らの絵は、色使いがやたらと派手に感じられた。色彩によって明るさを造造形するかのような手法が取られているようであった。少なくとも、印象派絵画のような、光に揺らめくような、微妙な色使いではなかった。
 それらの代表格としてのマティスは、自身の出発点は「生きる喜び」にあったと明らかにしている。画家を志したのは、21歳の1890年に虫垂炎をこじらせ、1年間の静養をしていた時のことであったという。
 それからは、絵画の学校に通い、1896年には早くも国民美術教会に出品使徒、準会員となる。1907年には、ピカソの「アヴィニョンの娘たち」が世に出て、そちらに注目をさらわれた。そのため世間では、「マティスは色だったが、ピカソは形」だと評された。
 ほどなく、ヨーロッパに苛酷な時代がやってくる。第一次世界大戦での、ヨーロッパ列強の激突であった。マルヌの戦いの少し前、マティス一家はパリを離れるのだが、また戻ってきて画業に精出すのであった。その頃、キュービズムの影響もあってか、マティスの画風に、幾何学的単純化のバリエーションが登場してくる。例えば、1916年の「モロッコ人たち」などは、キュービズムの作風とかなり似ているのではないだろうか。

(続く)

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