♦️865『自然と人間の歴史・世界篇』パキスタン

2018-10-22 09:47:41 | Weblog

『自然と人間の歴史・世界篇』パキスタン

 

 2007年10月、元首相のべナジル・ブットは、亡命先からアメリカとイギリスの後押しで10月に国内に戻った。そして迎えた12月27日、彼女は首都イスラマバード近郊の演説会場に車で着いた。その彼女は、ドアがひらいた途端車に近づいてきた男に銃撃を浴びせられ、死んだ。

 思い起こせば、彼女は1953年に南部シンド州の裕福な家庭に生まれた。イギリスに留学して学んだ。やがて、1977年の軍事クーデター後に処刑された父ズルフィカル元首相の後を継ぎ、人民党の党首となる。

 1988年の選挙において人民党が勝利すると、イスラム圏で初めての女性首相に就任した。しかし、政敵とされるムシャラク大統領による解任や汚職裁判で追い落とされ、1999年からイギリスやドバイで亡命生活を送った。

 帰国してからのブットは、ムシャラク大統領との連携を模索したものの決裂し、次の選挙での政権奪還を目指していた。その序盤の戦いでの暗殺であった。遺体は真相解明のための解剖なくして軍の基地に運ばれ、翌日埋葬されたという。暗殺者は自爆したという。護衛にも不備があったという。すべてがわからずじまいのまま、この暗殺は終幕とされていく。

 ブット暗殺への国民の同情もあって、人民党は2008年の総選挙に勝利し、軍制が終幕した。後継者のシャリフ率いる文民政権は、初めての2013年までの5年間を無事に過ごす。ムシャラク大統領(当時)は、2013年8月にブット党首の警備を怠ったとして訴追されたが、国外へ逃亡し、「武装勢力を嫌う私が、暗殺を頼むはずがない」と関与を否定する。

 その後も、遅ればせながらの民主主義の浸透への努力が続く。ところが、文民政権の2期目に入ってからは、軍部の動きが表面に出てくる。2017年7月には、シャリフ首相が議員辞職に追い込まれる。最高裁判所がシャリフの議員資格を取り消す判決を出したことによる。その根拠となったのは、軍部が持ち込んだ不正疑惑なのだという(朝日新聞、2017年12月26日付けなど)。パキスタンにとって2017年は、建国70周年にあたり、絶大な権力を維持し続けている軍部の政治への関与が注目されつつある。

 2018年8月17日、パキスタン下院7月の総選挙で勝利したPTI(正義運動)のイスラム・カーン党首を賛成多数で新首相に選んだ。下院の定数は342議席あって、少数政党や無所属議員らの協力を得て176票を集めたという。

 パキスタンにおいては、汚職の頻発、国民生活の停滞があるほか、対外面での貿易赤字や国営企業の累積債務などがあり、経済の立て直しが急務だとされる。

 

(続く)

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