そりゃあないだろう
立場が変わったら、言動が変わっちゃう?
あきれ返ってひっくり返りそうな話だ。なにって民主党の話。証人喚問を要求するでしょう?立場が逆なら・・・・。
国民感情とかなんとかの前に、やらなきゃならないことがあるでしょう?って、思うのは私だけだろうか・・・。物事を隠そうとすると、つじつまが合わなくなるってことかな。
立場が逆ならどうだろう・・・と、考えることはとても大切なことだと思う。
そりゃあないだろう
立場が変わったら、言動が変わっちゃう?
あきれ返ってひっくり返りそうな話だ。なにって民主党の話。証人喚問を要求するでしょう?立場が逆なら・・・・。
国民感情とかなんとかの前に、やらなきゃならないことがあるでしょう?って、思うのは私だけだろうか・・・。物事を隠そうとすると、つじつまが合わなくなるってことかな。
立場が逆ならどうだろう・・・と、考えることはとても大切なことだと思う。
私は午後の授業をメインにしたクラスを担当している。準備のために、午前中から学校へは行っている。午前の授業をメインにしているクラスの先生たちとは、お昼の時間にお会いすることになる。
先日、午前のクラスの先生のお1人が手にされていた、小さなノートが気になった。先生、そのノートなんですか?と伺うと、授業の様子、自分がどんな準備を事前にしたかなどが、大雑把にではあるが、まとめてあるもの と教えてくださった。
それを聞いたとき、私は素直に、それは大切なこと、必要なこと、私もしなくてはならないこと と思った。授業は面白いもので、回数を重ねると、どんどん自信がなくなってくる。生徒たちが最近落ち着いていない、集中して学習に取り組めない、それらすべてが、私に問題があるような気がしてならない。
何をどうしたらいいのか・・・と、迷ったときは、記録をとることがいいのではないかと、直感的に思う。そして続ける。そんなシンプルな、基本的ナ作業が重要であることは自明の理である はずだよね。
台所横のユーティリティーが、私の発信基地。
狭い机(作業台)の上に、パソコン、本棚、照明が、所狭いよ~と、置いてある。背中側に洗濯機。右のドアはお風呂場に続く。左はキッチン。
そんな狭いところに・・・たくさんの、線がぶら下がっている。
携帯の充電、I-podの充電。万歩計をパソコンにアップロードする線もある。パソコンの線もあるし、webカメラも線で繋がっている。コンガラガッテしまうのも頷ける。
線と同じくらいこんがらがっているのが、音。お知らせ音が大半だが・・いまや音のない家電の方が少ないのでは・・とも思う。同じようで、少し違っている、コンピューター音が、うち中に充満している。
加えて、携帯にメールが入っても音がなって、お知らせしてくれる。
そんことに、疲れた・・・と、思うこともある。そして、これらが無かった時はどうだったのだろう・・・と、いつの間にか、あたり前にすべてを受け入れている、自分を発見する。人間は適応する術に長けているなあ・・・と、今更ながら感心している。
クラスで生徒たちの前に立つとなると、それなりに服装には気を遣う。
私は、子供の頃は母が選んでくれた地味な服を着ていた。そして、中学、高校になっても、父や兄の洋服だけでなく、下着までもを拝借するような、いわばあまりかまわない女の子だった。兄などは、女の子だとも思っていなかった。大学の友達には弟がいると言っていたような・・・記憶がある。
だからかな・・流行には無頓着かな。それがかえって幸いしている。自分の好きなスタイルで服を着る。あまり回りが気にならないから・・・。スタンダードなシンプルな服を選ぶことが多い。背が高いので、かわいい系の洋服が似合わないこともあるしね。そして、気に入った服を、長く着る。・・・体型が変わらない限り・・・(最近ピンチ)
昨日は、どちらかというとあまり意識せず、何気ないセーターを着て行った。それが学生には大好評だった。先生今日のファッションはいいよ キレイだ~ 髪もきれいです。・・・と、賞賛の声が上がった。
え?そう? と、ちょっとばかり複雑な心境。それでも、キレイと言われて、気分が悪くなる人はいない。ちょっとどころか、相当いい気分になる。このまま、誰かにどう?と聞いて歩きたくなる心境にまでなった。
加えて言わせてもらうなら、一回 『言った!言ったからね!』という義務感での発言とは違うのよね。授業の中で、間違いを指摘すると、今日は先生がきれい過ぎて、勉強ができません とか返事が返ってくる。女子学生も含めて、いったい昨日は何回『きれい』と、言われたかしれない。途中、自分でトイレにいって そうかな?と、鏡を見て確認したくらいだから・・・・^^
そこで、考えてみたのだが・・・どうも、外国人の男性はとても、敏感に女性を褒めるような気がする。なにも、ヨーロッパの文化だけでなく、アジアの男性たちも、女性を褒めてくれる。驚くほど、敏感に、女性の服装やしぐさに関心を持っているような気がする。
今日は素敵です、と、クラスに響くように言うこともあるし、何気なく通りすがりに、低い声で、先生今日はきれいです と言われることもある。何歳も違う年代の男性からそう言われるのも、不思議な気はするけど、悪い気なんて全くしない。ルンルンしてくる。
男子学生だけではない。女子学生も褒めてくれる。日本でも、女性同士は敏感に褒めあったりできるから、そこはあまり違和感がない。違うのは男性だよね。日本の男性だけが、ちょっと違っているのではないか・・・。よく知らないけど・・・・。
外国人たちは、きっと褒め上手な、お父さんとお母さんに、そして国の文化の中にいたのだろう。日本の男性たちにも、バレンタインデーに義理チョコを期待する前に、声にだして、褒めることをなさってみたら? と、ご助言申し上げたいところではある。
そして、私は生徒たちにずっと 先生きれいです と言ってもらえるようにありたいなあと、思っている。
泣いている人がいる。
目の前に・・・もし・・・。私は、出来る行動は、大まかに分けて二つだと思っている。ハンカチを差し出し、背中をさすってあげる、そして、やさしくハグしてあげる。・・・もし、相手がそれを許してくれるなら。
もうひとつは、さりげなく、心を残しながら、目をそらしてあげること。
至らない私のこと、他にあったら教えてほしい。
が、あり得ないのは、泣く瞬間を待って、シャッターを切ることだろう。朝青龍のことだけではない。甲子園でもそう。高校球児が泣くまいとして、下を向いているところを、カメラを下におろしてまでも、写真を撮る。カメラマンは地を這ってまでも、泣いているアングルが欲しい。そういう場面を何度となくテレビで見てきた。
NHKの昨日のニュース。『会見後の朝青龍の単独インタビュー』。質問の内容にあきれ返った。あきらかに、相手が泣くだろう、そういう意図を持った質問だった。『もっと、相撲をとりたかったんじゃないですか?』 そんなことは、記者会見の様子をみてりゃわかるだろう。彼の行動は問題だったとして、しかし、辞めると断腸の思いで決断したであろう、彼にそんな質問をする必要がどこにあるのだろうか。私には理解できない。
もっと尊厳があるだろうと思う。人に対する、尊厳に対する敬意だ。子供たちも見ているでしょう?情けなくなる。人に対する敬意を子供たちはどういう風にみるだろうか。
報道は、知りたい人がいるから ということに、その指針を置いて取材しているようだが・・日本人は、人が悲しくて、辛くて、悔しくて泣いているところを、それほど見たいと思っている民族なのだろうか・・・・
そっちの方がよほど悲しい。凛とした、朝青龍を、凛とした高校球児を、凛とした人間を報道すればいいじゃない。その後のことは、推し量る領域で、それこそが、日本人が愛した、粋だとか風流だとかそういう世界ではないのか。
私は、ますますラジオ人間になっていく。
ルンルンと背中を押された気分になった。
朝日新聞今日の朝刊。漢字学習に関して、小学校の先生からの投稿が掲載されている。藤井千代子氏 大分県の小学校の先生 『分解し部首と音符覚えよう』。
書かれている内容は、私が授業で、実践していることだった。
小学生にとって、漢字学習が大変なように、留学生にとっても漢字学習は、日本語のハードル イコール 漢字 だといわれるくらい大変だという。もちろん漢字圏の生徒は漢字が得意であるが・・・。彼らにとっては、訓読みが大変ではあるのだが・・・。
私は漢字の書き方を教える際には、必ず漢字をパーツに分けて説明する。立ち木の傍で見ているのが親 と教えてしてくれた小学校の先生、あの時の新鮮な感動がそのまま今の私にも残っている。実際この例は留学生にも容易に理解できるようだ。だから、漢字は意味を考えること、それだけで、漢字がわくわくと面白くなる。
どんな難しそうな漢字でも、パーツに分けることができる。そのパーツの中にこそ、面白い発見がある。加えて、訓読み。これは面白い。訓読には、和の知恵がたくさん詰まっている漢字が いえ 感じがする。
藤井先生の説明で私にもやっと『わかった』ことがある。部首の問題だ。漢検二級をUSで受けた時、部首を『どうして、これが部首になる?』と、考えるのは不可能だと思った。法則性が見えなかった。わらなかった。そこで、特徴的ナ、間違えやすい部首を覚えるという方法で、漢検は乗り切った。
今回、先生の説明はすばらしいよ。部首は そのものずばり その漢字の本質を見極めればいいと。聞く 悶々とする 間 門 部首は すべてが 門構えではない。
なんで?全部門構えなのに・・・。聞くは ずばり 耳で聞くのだから 部首は 耳
悶々と考えるのは ずばり 心だから 部首は 心
門は・・・・行間を読んで はない。門は 門構え。
すばらしい。やっとわかったよ。先生が例に取り上げられているのは、梨 梨は木だから ずばり 部首は 木 ですよ。
漢字に関する授業は、先生の間でも論議が分かれる。かけりゃいいのよ~とおっしゃる先生も。そう、究極的にはそうです。でも、どうしたら、頑張れるか・・・物事は面白くなくっちゃ続かない。好きこそ続く漢字学習。
あ~なんだか、すっきりした。気分が晴れた。
余談だが、藤井先生の記事の下に、北村郁子さん(日本福祉大教授) の『寄り添うよさ』という、記事も掲載されていた。偶然にも、外国人の問題に関する記事だ。私が最近ブログで使った言葉でもあるので、吸い寄せられるように読んだ。こちらには、ただただ涙が流れた。
晴れたり、泣いたり、忙しい朝だ。
だんだんと自信がなくなっていきますが・・・。今度のマラソンの大会には出ない方がいいでしょう という、複数の先生から、事実上のドクターストップがかかりました。
まあ、接骨院から、他の医者まで、実は医者通いが続いています。あちこちと症状が出てから、それでも我慢し、(医者が嫌い)、どうしようもなくなって行くから、どうしても治るまでに時間がかかってしまうようです。
大したことではないと信じています。が、先生からは、フルマラソンを走れるとは思わない、悪いとはいわないけど、決して止めなさいとはいえませんが、自重してください。自分の体の調子を考えてください 言われています。これって 走るなってことでしょう?
次回 4月には間に合わせたいと思います。私から、出よう と言ったのに、Mちゃんごめんね。この寒空ですが、いい走りをして、皆でアフターを楽しんでください。応援しています。
まったく、自分でも情けないけど、私はどうも、自分の体が分かってないようです。昨日は接骨院の先生から、足が冷えているので、半身浴をしてみてください、とアドバスを受けました。自分では気付いていなかったので、もうびっくり。
いろいろあると・・・ガタガタがたがた・・と、大きな音を立てて、自分の『私は元気』と、思っていた自信がなくなっていきます。今は、冷静に、ひとつずつやらなくてはならないことをやって、一日も早く体調が戻るようにしたいと思います。
月曜の読解の時間に、節分の由来について考えてみた。
考えてみたのは、私で、生徒たちには、情報を読解すべく読み物に変えて提供するという作業になった。お恥ずかしながら、この歳になるまで(歳は????)節分とは何か、鬼とはなにか、なんで豆をまくのか・・・考えたこともなかった。
節分とは、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことをいうとか。立春、立冬と個別には聞いたことがあったが、そうか、全部そろっているんだ・・・と、ちょっとした驚きがあった。
陰暦だから、二ヶ月くらいずれがあるのか・・・。中国、韓国では陰暦で正月を祝うから、学生たちにも分かりやすかったようだが、そのほかの国では???という顔をしていた。
季節の変わり目の前日には邪気が入りやすく、それの象徴として鬼がある。鬼は、寅の牙をもち、丑の角を持っている、架空の存在らしい。あの、今にして思う、寅柄のパンツは伊達に着ているわけではないのね。あれがルーツであるのだし・・・それにしても、最近の鬼はどちらかというと、ナイスバディーの男性版ハイレグパンツを着用されているようだが・・・。
毘沙門天が鬼をやっつけるために、霊能力をもっているとされる、大豆をぶつけたのが、豆まきの由来だという。最初は鬼にぶつけて追い払っていたものが、農作物の豊作を祈っての種まきに置き換えられていき、豆まきになったらしい。
東北地方では(宮城だけ?)豆まきに殻付き落花生を使う。正直これには、私は驚いたものだが、今では普通に落花生を使っていた。やはり大豆だったんだ。それも、炒った大豆。実際に豆から芽が出てきては不吉なので、炒った大豆を使い、歳の数より一つ多い豆を食べると、その年の安寧が約束される?らしい。
しかし、日本にいて、日本人で、よくもこの歳まで、何も思わないできたものだ・・と、逆に自分の無関心を恥ずかしく思った。日本の文化は面白い。
今年の節分はいつもの年とは違ったものになりそうだ。
そうそう、肝心の生徒たちはというと、豆だべよう~と、食べるほうに興味がいってしまった。確かに言葉が難しくて・・・大変だったかもしれない。でも、きっと、あちこちで売られている、鬼の面や豆をみて、授業でやったなあ・・・と思い出してくれるだろうと思っている。きっとね。