絵本の読み聞かせが、子供たちの旺盛な好奇心の下、快く終了した朝10時過ぎ、私は大型スパーマーケットに立ち寄った。先日買ったタイマーが壊れて使いものにならず返品するためだった。
パーキングに車を駐車し、車を降りた直後、若い男性が目の前に現れた。身なりは悪くはない。ちょっと作業員風で、年齢は30歳過ぎとみた。毎度の事ながら、英語で急に話しかけられると、その内容をつかむのに3分くらいはかかる。
僕は今日、クレジットカードを忘れてしまった。現金も持っていない。隣町に帰らなければならないが、車のガソリンが切れてしまった。1ドルか2ドル貸してもらえないだろうか・・・。正確にいうと、貸してではない。でも、動詞が聞き取れなかった。give ではなかったけどなあ・・・。私は、すぐに信用し、それはたいへんだなあと、正直思った。二ドルくらいなら、あげてもいいや・・・と、思い、財布を彼の目のまで開けた。そこには、10ドル札しか入っていなかった。10ドルしかないから、つまり一ドル紙幣がないから、あなたにお金をあげられない。。。とは、言えなかった。目の前に困っている人がいて、1ドルならOKだが、10ドルなら、駄目では、申し訳ないような気がしたからだ。結局私は、その10ドルをその男性にあげた。
彼は丁寧にお礼を言った。が、返すからとは、一言も言わなかった。
なんだか、気分が悪い。アメリカはカード社会であまり現金は持ち歩かない。でも、10ドルはちょっと、軽いお金ではない。でも、生活に困るような金額でもない。
もやもやした気分を感じながら、マーケットで用事をすませた。そして、そこのいた女性の従業員に今さっき、この店の駐車場で起こったことを話してみた。彼女は申し訳なさそうに、彼は困っていたのではなく、最初からあなたのお金が目当てだったと、いう。どんな服をきていたか(風体を)言える?と聞かれ、他の人に対処を聞きに行った。
結局、貴重な情報をありがとう。駐車場を見回り、うろうろしているような人を、追い出すから・・・・と、返事が返ってきた。
私はお金を差し上げたのだから、彼は犯罪を犯したわけではない。
私はちょっと複雑な心境になる。1ドルならあげられる善意。10ドルならお金をだまされて盗られてしまったと感じる。金額の多寡が問題なのか・・・・。
その日、私は小学校に行った為普通とは違う格好をしていた。ロングスカートにジャケット。日ごろは、ジーパンにセーターで闊歩している。ちょっと小金持ちに見えたのか・・・。
妙な気分になった一日だった。