令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(二)(01)心隔(へな)てつ

2011年08月19日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年4月日】

あしひきの 山は無くもが
          月見れば おなじき里を 心へなてつ



越前国のじょう 池主から 便りが届く
《先日のお便り 
「独り  晩春の名残りを惜しみ
 いつの日か  共の楽しみを」拝見
 たまさか 公用にて 国境くにざかいに参り
 北のかた かみ殿どのおられる 越中国府 望み
 遭いたさしきり 懐かしさ込み上げ
 矢も楯もたまらず ふみ送る次第
 意尽くせませぬが  お読み下されたく》

月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを へだてたりけれ
《月見たら どこもおんなじ 国やのに あんたるとこ 山へだてとる》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四〇七三〕
桜花さくらばな 今ぞ盛りと 人は言へど 我れはさぶしも 君としあらねば
桜花さくらばな 今盛りやと みな言うが あんたらんで わしさみしいわ》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四〇七四〕
相思あひおもはず あるらむ君を あやしくも 嘆き渡るか 人の問ふまで
《こっち程 思てもらん 守殿ひとやのに なんで恋しと みな聞くんやで》
                         ―大伴池主おおとものいけぬし―〔巻十八・四〇七五〕
                              【天平二十一年三月十五日】 
《追伸 
 先の便りによりますと 
 昨年四月 上皇お亡くなりののち おおよそ一年ひととせ
 歌作り 停止ちょうじとのこと
 また 我輩それがし 越前転任この方 長歌ちょうか無作とか
 そこここ  お気持ち 察するものの
 歌作りは かみ殿どのが天職
 かつての 漢詩り取りの折
 「とても  人麻呂殿 赤人殿には 及びつかず」
 との 申され条 我輩それがし かねて不承知
 かみ殿どのこそ ご両所を継ぐに相応ふさわしい歌詠み
 いや むしろ はるかしのぐと 思うにより
 何卒なにとぞの 歌作り再開を
 凡夫ぼんぷの 申すところではありますれど
 お聞き入れの段  伏して願う次第》

〔それほどまでに この家待 うてくれるか
 友なればこその 諫言かんげん 無碍むげには出来ぬな〕
家持は  ようやくに 重い筆を執る

あしひきの 山は無くもが 月見れば おなじき里を 心へなてつ
《この山が 無いとえなあ 月見たら 同じ里やに 思い届かん》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七六〕
我が背子せこが 古き垣内かきつの 桜花さくらばな いまだふふめり 一目ひとめ見に
《あんたた 元の屋敷の 桜花さくらばな 今つぼみやで 見にえへんか》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七七〕
ふといふは えも名付けたり 言ふすべの たづきも無きは が身なりけり
《「恋しい」は え言の葉や その他は 思い付かんわ わしの気持は》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七八〕
三島野みしまのに 霞たなびき しかすがに 昨日きのふ今日けふも 雪は降りつつ
三島野みしまのに 霞棚引く 春やのに 昨日も今日も 続いて雪や》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇七九〕
                                   【三月十六日】 


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