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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

憶良編(16)言霊の幸(さき)はふ国と

2009年09月13日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月5日】

神代より らく
 そらみつ やまとの国は 皇神すめがみの いつくしき国
  言霊ことだまの さきはふ国と・・・



天平五年〔733〕三月 
憶良は 丹比たじひ真人まひと広成ひろなりの 訪問を受けた
この度の 遣唐使派遣の 大使である 
「憶良殿 貴殿のもろこしでのご活躍 聞き及んでおります 是非とも ご経験を教示きょうじのほど」
〔そういえば  大宝二年〔702〕の折には 人麻呂殿が 送りの歌を うたってくれたのであった〕
憶良に かつての いさおしが よみがえ

大使訪問の翌々日  憶良は 無事の行き来を「好去こうきょ好来歌こうらいか」に託し 広成ひろなりに 奏上した
神代より らく 
そらみつ やまとの国は 皇神すめがみの いつくしき国 言霊ことだまの さきはふ国と 
語りぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり

《大和の国は  神代から 威厳あふれる 神の国 言霊ことだまかなう さちの国
 語り継がれて 今の世の あまねく人の 知るところ》 
さはに 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷みかど かむながら めでの盛りに 
あめした まをし給ひし 家の子と えらび給ひて
 
数多あまたの人の る中で 天皇すめらみことの 思し召し めでたき者と 選ばれて》 
勅旨おほみこと いただき持ちて もろこしの 遠き境に つかはされ まかいま 
《お言葉持って からの国 遠きつかいに 出かけらる》
海原うなはらの にもおきにも かむづまり うしはいます もろもろの 大御神おほみかみたち 船舳ふなのへに 導きまを 
きしおき治める 海神うみがみは 船に先立ち お導き》
天地あめつちの 大御神たち やまとの 大国霊おほくにみたま ひさかたの あま御空みそらゆ あまかけり 見渡し給ひ 
天地神あめつちがみと 大和神やまとがみ 空駆け渡り お見守り》
ことをはり 還らむ日には またさらに 大御神たち 船舳ふなのへに 御手みてうち懸けて 
墨繩すみなはを へたる如く あちかをし 値嘉ちかさきより 大伴の 御津みつ浜辺はまびに 
ただてに 御船みふねてむ
 
《お役目終えて 帰る日は 神々すべて 打ち揃い 舳先へさきつかまえ 引き戻す
 値賀島ちかじま通って 難波なにわはま ひとすじ道に 戻りませ》
つつがく さきして 早帰りませ
《無事な行きを 祈ります》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九四〕 
大伴の 御津みつの松原 かききて われ立ち侍たむ  早帰りませ
《大伴の 御津みつの松原 掃き清め わし待ってるで 早よ帰ってや》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九五〕 
難波津に 御船みふねてぬと 聞きこば ひもけて 立走たちばしりせむ
難波なにわ津に 船帰ったと 聞いたなら 取るもん取らんと 駆けつけまっせ》
                         ―山上憶良―〔巻五・八九六〕 
〔はたして わしの人生 どれ程の功をなしたと言うのか〕 
憶良晩年の胸に 込み上げる 悔悟かいごの念


憶良編(17)現(うち)の限は 平けく

2009年09月12日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月6日】

たまきはる うちかぎりは たひらけく 安くもあらむを・・・


天平五年〔733〕 
老身憶良は 病の床にあった 数えて七十四 

たまきはる うちかぎりは たひらけく 安くもあらむを 
事も無く くあらむを 世間よのなかの けくつらけく

《生きてるうちは  病気せず 楽に死にたい おもうても
 世の中うっとし ままならん》
いとのきて 痛ききずには 鹹塩からしほそそくちふが如く 
ますますも 重き馬荷うまにに 表荷うはに打つと いふことのごと 
老いにてある わが身の上に 病をと 加へてあれば 

《塩を生傷なまきず 塗るみたい 追い荷重荷に 積むみたい
 老い身に病気 重なって》 
昼はも 嘆かひ暮し よるはも 息衝いきづきあかし 
年長く 病みし渡れば 月かさね 憂へさまよ
 
《夜は溜息 昼嘆き 長患いの 続くうち》 
ことことは 死ななと思へど 五月蠅さばへなす さわどもを 
てては しには知らず 見つつあれば 心はえぬ
 
《いっそ死のかと おもたけど 餓鬼どもって 死なれへん
 子供見てると 胸痛む》 
かにかくに 思ひわづらひ のみし泣かゆ
《なんやかや 考えあぐねて 泣くばかり》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八九七〕 
慰むる 心はなしに 雲がくり 鳴き行く鳥の のみし泣かゆ
《安らかな  気持ちなれんと ピイピイと 鳥鳴くみたい ずっと泣いてる》 
                         ―山上憶良―〔巻五・八九八〕 
すべも無く 苦しくあれば で走り ななと思へど 児らにさやりぬ
《苦しいて あの世行こかと おもうても 子供邪魔して 死ぬことでけん》
                        ―山上憶良―〔巻五・八九九〕 
富人とみひとの 家の児どもの み くたつらむ きぬ綿わたらはも
《金持ちの  家の子供は 着もせんと え服 ってる 絹や綿入れ》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇〇〕 
荒栲あらたへの 布衣ぬのきぬをだに 着せかてに くや嘆かむ むすべを無み
《捨てるよな  ボロ服さえも 着ささんと 嘆いてみても どうにもならん》 
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇一〕 
水沫みなわなす いやしき命も 栲繩たくなはの 千尋ちひろにもがと 願ひ暮しつ
《泡みたい  すぐ消えるよな 命でも 長生きしたい おもうて暮らす》
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇二〕 
倭文手しつたまき 数にもらぬ 身にはれど 千年ちとせにもがと 思ほゆるかも
安物やすもんの 飾りみたいな このわしも せめて長生き したいと思う》 
                         ―山上憶良―〔巻五・九〇三〕 
し方 行く末 心休まらぬ 憶良がいる


憶良編(18)士(をのこ)やも

2009年09月11日 | 憶良編
【掲載日:平成21年10月7日】

をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよ
           語りくべき 名は立てずして



いまでも 夢に見る 
あの 御津みつの浜での 盛大な見送り・・・

難波なにわの津を出て の津へ
そこからが 大変であった 
出港した船は 嵐に見舞われ 筑紫に戻り  
再度の船出は 翌年よくとし
忘れもせぬ あの恐ろしい波の音 海の色・・・  
唐土もろこし 
むきだしの山肌 巻きあげる黄砂きいろずな 濁り水
大和の 青い山 白い砂 清い流れを  
どんなにか恋しく思ったことか 
いざ子ども 早く日本やまとへ 大伴おほともの 御津みつの浜松 待ち恋ひぬらむ
《さあみんな 早く日本やまとへ 帰ろうや 御津の浜松 待ってるよって》
                         ―山上憶良―〔巻一・六三〕 
あのとき  すでに四十二 若くはなかったが  唐土もろこしへのつかいに列し 青雲の志に 燃えていた 
しかるに 帰朝後に待っていたのは 十年余りの虚しい日々 
その後 伯耆守ほうきのかみに任じられはしたが 
すでに よわい五十七を数えていた
地方官の任務に耐え  一度は京の職に着いたものの 六十七の歳 筑前守ちくぜんのかみを命じられ 天離あまざかひな

でも 筑紫は 楽しかった 
旅人殿を中心とした 筑紫歌壇が 懐かしい 
旅人殿は 赴任早々 奥様を亡くされたのだった 
鬱々うつうつたる日々 せめてもの慰みにと 催されたうたげの数々
七夕の宴 
梅花の宴 
あのころの友 小野老おののおゆ 沙弥満誓さみまんぜい・・・
みな 遠くなった 

筑前守の解任は昨年 
京に戻れはしたが もう お役目とてない 
世をうとう 歌みの日々が 過ぎて行った
今 病を得 このていたらくだ
藤原八束やつか殿が 川辺東人あずまひとをして 見舞いに寄こして下された
果報者よ 憶良 まだ 友が
「見舞いの礼に 八束やつか殿に この歌を
 憶良めは まだまだ 死なぬと お口添えを」 
をのこやも 空しくあるべき 万代よろづよに 語りくべき 名は立てずして
丈夫ますらおと 思うわしやぞ のちの世に 名ぁ残さんと 死ねるもんかい》
                       ―山上憶良―〔巻六・九七八〕 
天平五年〔733〕 
社会派歌人うたびとは 帰らぬ人となった 享年七十四